中国の春秋戦国時代から大きく飛んで‥‥日本の信長の戦国時代へ。
永原氏は依知(愛智)秦公の一族であり、佐々木氏の婿となり、佐々木氏流山崎と繋がっているようなのだ。その山崎の由来がどうも鎌倉の山内荘にあるようなので気になった。
詳しくはこれから調べるが、山内荘の中に山崎郷がある。
山内荘(ヤマノウチ)は大きな荘園で、歴博のデータベースを下に貼っておこうと思う。
永原氏の系図
http://www.eonet.ne.jp/~academy-web/keifu/keifu-nagahara.html
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/nagaha_o.html
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/naga_omi1.html
山崎家系図
http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/Japan/koutai/yamazaki.htm
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yamazaki.html
https://satetsu.seesaa.net/article/201302article_6.html
佐々木哲先生の佐々木哲学校より ↓
《 永原氏は『源行真申詞記』に登場する愛智家次の一族という系譜伝承をもつ。
愛智家次は近江愛智郡大領愛智秦公の子孫と考えられるが、佐々木荘下司源行真の女婿となることで佐々木一族化した。》
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滝口俊秀がキーマンのようである。
義通りの孫か?と思うが。
とすれば、中原久経の従兄弟の息となる。
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依知秦公関係
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怖かった事。
黙っているとなおさら怖いので書いておきます。
昨日は秦氏を中心に調べていました。
その時に、友人が単身赴任であったご主人の引っ越しの手伝いから帰宅し、お土産を持ってきてくれたのです。
いただいた時に「川勝」京都とあり、全身凍りました。(中身は大好きなしば漬け!笑)
ずっと秦河勝の同祖と思われる始皇帝、その子孫であろうと思われる秦氏を調べている時の「川勝」なんです。
しかも、永原氏を調べ始めたのも、まさかそこが始皇帝につながるとは思ってもいなかったので、そこも怖いのです。
何かを呼んでしまったのでしょうか。
私、時たまこのようなことが起り、元から怖がりなので…どうしたらいいんでしょう。
とにかく、冷蔵庫に貼ってある「夢違い観音」様にお祈りし、聖徳太子様のパンフレットにもご挨拶しておこうと思います。
偶然が偶然を呼び起こす。
ココが、九里と関係があるという事なのでしょうか。
お久しぶりです!
以前のメールに、送信してみました。
繋がらないようでしたら、こちらに御一報いただけますと助かります。
独自の研究中とのこと、応援しています!!
富山の方のことも、嬉しいです。
ご質問にお答えできると良いのですが、憶えているかどうか‥‥
もう一度チャンスが来た!と思って、勉強し直しておきます。
また、どうぞよろしくお願いいたします。