中原祐安と藤原家の関係を読み解きたい。
中原師遠の娘が藤原公重の妻である。
藤原公重
生年は元永二年(1119)とも。閑院流公実の孫。権中納言通季の息子。母は藤原忠教女。公通の同母弟。子に内大臣実宗・参議実明がいる。
父に早く死に別れ、叔父実能の養子となる。紀伊守・侍従・右少将などを経て、正四位下に至る。
『治承三十六人歌合』に選ばれる。家集『風情集』がある。詞花集初出。勅撰集入集歌は計六首。
通季の息に公通・公重の二人がいて、公通の息には九里と関係があるかもしれない実明がいる。
通季が亡くなったときには、公通は11歳。公重は10歳であった。
そこで、公重は叔父の徳大寺実能の養子となったのだ。
公重の妻に中原師遠の娘が嫁ぎ、中原と藤原家のつながりができていた。
そして、その師遠の娘は師元の姉である。
師元は、清原家から祐安を養子として入れた。
その中原祐安の義理の兄弟に平清貞がいる。
清原の実兄には頼業がいる。
中原師遠の娘が藤原公重の妻である。
藤原公重
生年は元永二年(1119)とも。閑院流公実の孫。権中納言通季の息子。母は藤原忠教女。公通の同母弟。子に内大臣実宗・参議実明がいる。
父に早く死に別れ、叔父実能の養子となる。紀伊守・侍従・右少将などを経て、正四位下に至る。
『治承三十六人歌合』に選ばれる。家集『風情集』がある。詞花集初出。勅撰集入集歌は計六首。
通季の息に公通・公重の二人がいて、公通の息には九里と関係があるかもしれない実明がいる。
通季が亡くなったときには、公通は11歳。公重は10歳であった。
そこで、公重は叔父の徳大寺実能の養子となったのだ。
公重の妻に中原師遠の娘が嫁ぎ、中原と藤原家のつながりができていた。
そして、その師遠の娘は師元の姉である。
師元は、清原家から祐安を養子として入れた。
その中原祐安の義理の兄弟に平清貞がいる。
清原の実兄には頼業がいる。