前回の系図に【赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!】さんの頁にあった系図をプラスしてみると、
前野勝長(又五郎)と佐々平左衛門の娘の息が「吉康」
その吉康の息に「宗能・某・直勝」がいる。
つまり、武功夜話の系図の後に続くのが赤丸米の方の出されている系図なのである。
ありがとうございます!
ここが、まず佐々氏と九里氏の接点の一つとなる。
忠勝の続きではなかったようである。
吉康ー宗能・某・直勝
其の某の息は九里六左衛門・六蔵となって九州へ赴く。
七右衛門が「生一男」に当たるのであろうか。
六左衛門の弟に吉左衛門もいたようだ。
此の後、養子として「九里八郎右衛門修政」となった人物は某の弟だった直勝の系からである。
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ここで、佐々盛政(余語左衛門大夫盛政)に関する情報がいくつか見つかったので記載しておきたい。菅原入道梅哲とも云う。
https://6245.teacup.com/kojimakousi/bbs/159
http://www.md.ccnw.ne.jp/rekishi_tajimi/%E5%B0%8F%E7%89%A7%E5%B8%82%E6%9E%97%E3%80%80%E4%BD%99%E8%AA%9E%E5%8F%B3%E8%BF%91%E5%B0%86%E7%9B%A3%E3%81%AE%E7%A2%91%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.html
https://star.ap.teacup.com/tensi/67.html
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飽浦三郎左衛門尉信胤が登場するなんて、想像だにしなかった。。。
真実は小説より奇なりって、いう感じ。
そこと加地余語氏 佐々氏 佐久間氏 原氏 とつながっていくのだろうか。
以前佐々木哲氏のブログにもあった部分とも関連する。
「上記の源胤時(東郷左衛門)のことが佐々木哲学校のブログにあったのでご紹介したい。
まず備前守護となったのは信実の三男時秀(東郷氏)であり、信実がのちに次男実秀(大友二郎左兵衛尉)に相続させようとしたところ、幕府はその所領を没収してしまった。実秀は幕府に所領回復を愁訴している。そのあいだ大江広元の子孫長井泰重(因幡前司・備後守護)が備前守護を兼務した。備前守護職は実秀の孫長綱(小島太郎左衛門尉、筑前守)が東郷胤時(時秀の子左衛門尉)の女婿になることで、小島実綱・長綱父子に受け継がれて佐々木加地氏が回復した。こののち備前守護佐々木加地氏(小島氏)は太郎左衛門を通称とし、東郷胤時の子胤泰(十郎左衛門尉)は飽浦氏を名乗っている。
佐々木盛綱
┃
信實 安元二年生
┃
時秀 正治元年正月生
┃
東郷胤時 嘉禎元年九月生
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飽浦胤泰
この続きが以下に載っている。
飽浦高信 ー 飽浦信胤 となるようだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%BD%E6%B5%A6%E4%BF%A1%E8%83%A4
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上記の情報には
「佐々木盛綱の子加地信実の八男氏綱が、上総国佐々庄に住み、佐々氏を称した。」ともある。
他にも、詳しい情報があり、私もこれからじっくりと読もうと思っている。
https://6245.teacup.com/kojimakousi/bbs/157
たぶん、我が系の九里と関係があるのだと思う。
もしも佐久間氏と佐々氏が同族というのならば、原胤高の記事に出ていた佐久間九郎左衛門入道も関係者かも知れない。
まだ知ったばかりで、これから調べていこうと思う。