佐々木荘に関係する成頼の弟である経頼だが、その妻は、藤原行成の娘となっている。
では、行成自身の妻はどなたであろうか?
源泰清の娘二人ともに、つまり姉妹揃って行成に嫁いでいるようだ。
そして、行成の娘(妹)のほうは、藤原長家に嫁いだ。
同じく長家の妻に源懿子 - 源高雅娘がいる。この源 懿子(みなもと の よしこ)は、藤原頼明、藤原長家の妻とある。
彼女は、藤原彰子に仕えた典侍であるそうだ。長家との間に藤原忠家(1033-1091)を生んでいる。
長家は御子左家の祖であり、息忠家の妻は藤原経輔の娘となる。二人の間に
男子:藤原基忠(1056-1098)
男子:藤原俊忠(1073-1123)がいる。
その俊忠の息に、
男子:藤原公長 - 藤原通季の養子
男子:藤原俊成(1114-1204) がいる。
一方の基忠のほうは、目賀田氏や三井氏の祖とつながっていくらしい。
さて、初めに戻り源経頼だが、佐々木哲氏のブログ記事に重要なことが書かれていた。
http://blog.sasakitoru.com/201210/article_2.html
【源経頼と佐藤公行】
『小右記』万寿四年(1027)二月二十七日条に、昨日のこととして、宇多源氏左中弁経頼が近江志賀郡の崇福寺参りの帰りに、逢坂関山で群盗に襲撃さ れ、前佐渡守公行朝臣が射られたが命に別状はなかった。経頼は藤原道長の正室源倫子の甥だが、矢を射られたのは経頼ではなく、随行していた秀郷流藤原氏公行であった。公行は文行の子であり、はじめから公行を狙っていたものと考えられる。
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この秀郷流藤原氏公行は、題名のように佐藤公行のことだそうである。
ここで、首藤山内氏につながっていく。
http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/e99409c55a18bf437b7fb11be3fa0305
そして、もうひとつ。【赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!】さんのブログ記事にも、合致する一文があった。
http://blog.goo.ne.jp/magohati35/s/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%9B%BD
近江守に補任された「宇多源氏」は、近江に勢力を張って俵藤太と呼ばれた秀郷流藤原氏を郎等にしながら近江に進出していったと考えられると云うのだ。これが近江源氏佐々木氏の源流となっている。一方、秀郷流藤原氏を名乗る「蒲生氏」は近江国蒲生郡から甲賀郡にかけて勢力を張っていた。・・・
こんなにも、秀郷流藤原氏と宇多源氏が近い関係とは…
今まで気が付いていなかったので、ココにも大きなヒントがありそうである。
ここもいいですね!叔母さんの方も絡んでくるかとは思っていましたけどやっぱりですね。またおじさんのご職業もこの家系にも多い運輸系ですから納得しちゃいます。
で九里さんの関係の宇陀って音同じですよね。そこも気になってきますね。
こちらのプログも本当連動してランキングが上がる話題が出てくるんでいい読者付いてそうですね。
源氏って本当考れば考えるほど混乱してくるんですけど、なんか絡まった糸を解す事が出来て来てます。
で藤原藤太と猿藤太と金王さんと人さらいの藤太とが東京ではすっかり被ってきましたよ。
ジャイアンツは原監督復帰ですし、原ってあるだけでとってもワクワクしてしまいます。宇多源氏にも誰か出てくるかな?宇多天皇自体も嫌いではないんですよ。嵯峨天皇よりも好きかも?調べてみます。
でも大変な時代ですね。道真さんも好きなのですけど厄介な時代です。
宇多天皇と醍醐天皇と空海と道真ってそれだけで大変。で道長にも宇多源氏系の女系が行くんなら北家が縁があるのも理解できます。するとその先宇治天皇とか志貴皇子とかこの系統が気になるわけですね。
羽林家とか?北極星絡む?なら面白いですよ。
在原業平と相撲っていうのもかなり気になりますね、本当か?って。熊野との接点もあるし。
金王相撲ってのもあったなあ。
とにかく接点がいっぱい出てきましたよ。
こちらのワークは何だかいっぱい出てきてますね。
ありがとうございます。