建鼓とは
昨日の《「安徽省舒城県九里の春秋後期の墓から、虎頭や龍紋などで飾られたほぼ同じ大きさの青銅製品が出土し、それには「建鼓」という銘がある。》
その「建鼓」にこだわってみる。
この建鼓にはあまり見覚えはなかったのだが、下記の写真は如何だろうか?
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00694/contents/0022.htm
http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0001957
下記は別の地域、随州のようであるがイメージがかぶるのではないか?と思い貼ってみた。
http://www.peoplechina.com.cn/home/second/2011-03/02/content_336599.htm
擂鼓墩は、湖北省随州市の西の郊外、省都・武漢市から北西へ155キロ離れたところにある。2000年以上前の春秋時代(紀元前770〜同476年)に、楚王がここで太鼓を叩いて(擂鼓)、突撃する兵士を鼓舞したことに由来する。
1978年、湖北省博物館が2400年以前の曾国の王・曾侯乙の墓を発掘した際、大量の青銅器や漆器、陶器、玉器と竹簡などの貴重な埋蔵物1万5400点余りが出土した。その中で、「古代冷蔵庫」と称えられている青銅製の鑑缶(酒を冷やしたり温めたりする容器)や、彫刻が精美な大金盞、16の環が繋げられた龍鳳玉飾りと「二十八宿図」を描いた衣装箱など、いずれもまれに見る国宝といえる。とりわけ完全に保存された65個の鐘を備えた編鐘は、現在でも各種の曲を演奏できることから、各国の考古学界で世界音楽史上の重大発見と見なされている。
これは、清原氏が鋳造していたともいわれている銅鐸に似ていないだろうか?…そう思って「銅鐸」を調べてみた。(中原氏も?中国の銅鐸と中国の中原氏とは関係がありそうであった。)
出雲に行った際に近くで銅鐸が出土された場所があったと聞き及んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%85%E9%90%B8
https://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/shiseki/shisekidesu/shiseki07.html
楽器であるようだ。
祭祀の際にも音を出していたのだろうと思う。