万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

最低賃金全国一律の効果はプラスかマイナスか?

2019年05月07日 17時59分52秒 | 日本経済
報道に拠りますと、厚労省の幹部が自民党議員連盟会合において業種別に最低賃金を全国一律化する考えを示したそうです。おそらく、ここ数年来、地方経済の活性化が叫ばれながら人口減やシャッター街の増加に歯止めがかからない現状に鑑みて、地方の賃金レベルを上げればこれらの傾向を止められると考えたからなのでしょう。しかしながら、今日における経済のグローバル化現象を考慮しますと、必ずしも同省の思惑通りには政策効果が現れない恐れもあります。

 首都圏等の都市部と比較しますと地方の物価水準は低く、この状況下にあって最低賃金を上げますと、地方への移住を考える都会の住民も多数現れるかもしれません。賃金が同一であれば、食品等の価格が安い地方で生活する方が豊かになるからです。この点に関しては、最低賃金の一律化は地方移住へのインセンティブを与えることでしょう。

 その一方で、企業の経営者の視線から見ますと、最低賃金の一律化は全く逆の効果、すなわち、地方への拠点の移転を抑制してしまう効果をもたらすように思えます。そもそも、地方経済の衰退の原因の一つとして上がられているのは、生産拠点の海外移転です。かつては都市部と比べて賃金水準が低いことを理由として、日本企業の多くが生産拠点等を地方に設けていました。企業の地方進出が地方経済を支え、かつ、全国レベルで日本経済を活性化させるという好循環が成り立っていたのです。しかしながら、グローバル化の時代を迎えますと、国内の生産拠点を維持するよりも、中国やその他の新興国に移転した方が人件費を低く押させることができるため、企業は、国内の地方から海外へと生産拠点を移転させたのです。

 こうした地方経済の衰退原因が生産拠点の移転にあった点を考慮しますと、最低賃金の全国一律化は、この傾向に拍車をかける可能性があります。各地方自治体とも、企業誘致に熱心に取り組んでいますが、地方における賃金レベルの上昇は、誘致にはマイナスの方向に作用します。すなわち、たとえ法定の賃金が数字の上で上がっても、雇用の場が確保される、あるいは、増加しなければ、政策効果としては意味がないこととなるのです。最悪の場合には、地方からのさらなる企業撤退と海外移転を促進しかねないのです。

 同政策は、上記の点の他にも様々な角度からその実現が危ぶまれておりますが、もしかしますと、真の意図は別のところにあるかもしれません。事実上の移民政策が4月1日から始まっていますが、本当のところは、外国人労働者を地方に誘導するための政策である可能性も否定はできないのです。政府は、都市部への外国人労働者の集中を避けるために、地方への分散移住をさかんに訴えていたからです。最近、政府が推進する政策には、表向きの理由とは異なり、国民の利益に反するケースが多々見受けられますが、最低賃金の全国一律化もまた、疑って然るべき政策のように思えるのです。

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G5が明かす過酷なグローバル時代の到来-策なき日本国政府?

2019年04月05日 13時43分22秒 | 日本経済
‘適者生存’はダーウィンの進化論におけるセントラルドグマですが、ある特定の環境において最もそれに適応した者が生き残るのは、あらゆる分野で通用する自然の理であるかもしれません。この観点から経済を眺めて見ますと、劇的な環境変化の末に現れつつあるグローバル市場にあっても、同環境において自らの有利性を発揮できる適者と不利な境遇に置かれる不適者の両者が生じるのは当然とも言えましょう。

 一般的には、グローバル時代の到来は、全ての国、企業、そして個人に対してチャンスを与える人類の理想郷として宣伝されています。しかしながら、現実には、チャンスは必ずしも全てに対して公平ではありませんし、‘適者生存’の結果として絶滅、即ち、淘汰される危機に直面する者もあり、結果の平等も望むべくもありません。グローバリズムの進展とともに格差が拡大したのも、環境の変化という要因によって説明できなくもないのです。もっとも、グローバリズムの効用として途上国における貧困の改善がしばしば指摘されますが、現象としてはファクトであっても、富裕層50%:先進国中間層45%:途上国貧困層0%の富の配分図が、富裕層90%:先進国中間層6%:途上国貧困層4%となったのであれば、全体を見ればやはり格差は拡大したこととなります。

 それでは、グローバル時代においては、どのような要素を有していれば‘適者’となれるのでしょうか。それは、言うまでもなく‘規模’です。グローバル市場とは、人類が到達したこれ以上の大きさはない究極の市場であり、そこでは、人口、資金、経営組織、人材…等において規模が大きければ大きい程に有利となるのです。規模を基準とすれば、13億の人口を擁する中国や資金力に優る米国にとりましては、グローバル市場は最適の環境とも言えるのです。

この点から見れば、日本国政府が、グローバル市場の実現に協力すべく自国を無防備に開放する政策は、規模に劣る日本企業にとりましては、過酷な環境に放り出されるに等しくなります。言い換えますと、日本国政府は、自国企業にとりまして生存が難しい環境を自ら造りだしていることを意味します。実際に、全世界レベルで導入が予定されているG5の政府調達の分野では、日本の通信機器メーカーは、絶滅寸前の状態にあります。政府の国家戦略の下で特許の大半を有する中国のメーカー、5Gの中核技術を押さえる米国企業、そして、ノキアやサムスンといった企業がシェアを寡占すると予測されており、日本の通信機器メーカーは、今や風前の灯なのです。

そして、規模に加えて、グローバル市場において優位性をもたらすもう一つ要素は‘スピード’です。‘スピード’にあっても‘規模’が関係する場合もありますが、特に時空の占有を伴うインフラ事業やプラットフォーム型のビジネスでは、‘先手必勝’の側面があります。また、新ビジネスはいわばフロンティアの開拓であるため、各国とも政府の規制がほとんどなく、一気に事業を広げるチャンスにも恵まれています。知的財産権の独占性も最大限に活かされるのであり、中国企業が、5Gの導入を機にグローバル・スタンダードの設定者の地位に上り詰めたのも、それが新規導入というフロンティアの分野であったからです。日本国政府は、スピード感をもった改革を訴えていますが、実のところ、この方針は、逆に自国経済の衰退を速めている可能性さえあるのです。

‘規模’と‘スピード’を兼ね備えれば鬼に金棒であり、ここに、グローバル時代における‘適者’の条件が見えてきます。そして、この条件を備えているのは、米中企業、並びに、極少数のその他のグローバル企業となるのですが、これまでの日本国政府の政策は、自国企業が敗者となることを忘却し、‘適者’のために立案されてきたように思えます。仮に、G5の分野において日本企業が‘絶滅’するならば、米中企業に対して支払われる特許の使用料だけでも膨大となり、エネルギー資源と同様に、構造的な知財依存体質が国際収支の悪化を招くかもしれません。中規模国家における成功例であるノキアやサムスンと比較しますと(ノキアは欧州市場を背景に独仏等の大手企業を買収し、サムスンには政府や国際金融の支援があった…)、技術立国であった日本国がG5においてグローバル市場から姿を消すとしますと、これは、日本国政府の産業政策上の失策であったとも言えるのではないでしょうか。かつて、保護主義の根拠として幼稚産業の保護が挙げられてきましたが、今日のIT大手がグローバル市場を瞬時に席巻してしまう状況を見ますと、この説にも一理があるように思えます。

上記の諸点を考慮すれば、日本国政府が今後において目指すべき方向性とは、徒に自己を不利にする極端なグローバリズムに同調するのではなく、内外両面において自国企業を保護・強化する必要があるように思えます。基本的には、(1)外部環境への働きかけにより、日本企業のサバイバル環境を整えること(この点については、他の中小諸国と連携できる…)、(2)独自技術を育成すべく、国家レベルでの情報・通信インフラに関する研究・開発体制を再構築する(3)自国の5G関連の政府調達に際しては日本企業を優先する(情報・通信分野であるために、安全保障を理由に認められる可能性がある…)(4)ポスト5Gを睨んだ新たな分散型システムの開発を促進する…といった方策が考えられます。不適者が苦境にあって適性を獲得してゆくことで生物に多様性がもたらされ、高い知性を有する人類をも誕生させたのであるならば、日本国もまた座して‘淘汰’を待つのではなく、その知恵を以って難局を乗り越えるべきではないかと思うのです。

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パナソニックの未来は大丈夫?-ポストIoT時代を見据えては?

2019年02月10日 13時39分00秒 | 日本経済
本日2月10日の日経新聞朝刊の2面には、都賀一宏パナソニック社長のインタヴュー記事が掲載されておりました。同社長曰く、パナソニックが目指すべき理想像とは、‘ハードを造らないメーカー’なそうです。将来的には、家電製品が全てネットで繋がるIoT時代の到来に合わせ、端末化した家電製品やシステムそのものの設計や技術の研究・開発のみに特化した事業者としてのサバイバルを目指しているようです。しかしながら、この見等に合わせて練り上げたこの戦略自体が既に時代遅れになる可能性もあるのではないかと思うのです。

 インタヴューでは、製造は海外企業に任せてもよいと述べていますので、‘モノづくり’を得意としてきた日本企業による‘モノづくり放棄宣言’にも聞こえます。日本国内には家電等の消費財を日常的に使用する1億3千万人の国民が暮らしておりますので、マクロの視点からすれば、これらを全て輸入品で代替することは不可能です。貿易収支が大幅の赤字となり、やがて貿易決済ができなくなるからです(相手国企業が円決済を認めた場合のみこのリスクが低下する…)。つまり、この方向性は、‘製品輸出で外貨を稼ぎ、同外貨で資源を輸入する’という戦後日本国の貿易パターンが崩れることを意味するのです。パナソニック一社であれは最適な経営戦略であっても、日本国全体から見ますと死活問題にもなりかねません。

おそらく、従来の貿易パターンに替って‘知財で稼ぎ、そのライセンス料等で消費財を輸入する‘という新たなパターンを構想しているのでしょう。しかしながら、知財、もしくは、金融のみで1億3千万人の生活を支えることは極めて困難です。そして、この’新パターン‘を実現させようとすれば、日本国の教育制度にあっては、ITやAI等に関する知識や技能を教え込む情報科学を必修科目として初等教育段階から組み入れる必要性も生じます。人には向き不向きがありますので、全ての日本国民をこの道のエキスパートにすることはできませんし、仮に、全国民を情報エキスパートに育て上げたとしても、金融分野と同様に、研究・開発職の需要は限られています。つまり、日本国民の大半が失業者となりかねないのです。

しかも、今日、IT大手が人材確保に奔走しているように、こうした分野でイノヴェーションを起こすほどの人材は世界を見渡しても僅かしかおりません。高給の下で採用された天才的頭脳を有する人材であっても、一生涯の雇用を約束されているわけでもないのです(どちらかと申しますと、’使い捨て型‘なのでは…)。また、企業は、自社に必要な人材を躊躇なく海外に求めるでしょうから、日本国民の雇用機会はさらに狭まります。逆に、日本国の’教育改革‘の甲斐あって優秀な日本人IT・AI技術者を育てたとしても、巨額報酬を提示した米中のIT企業からヘッドハンティングを受けて引き抜かれてしまうかもしれません。

かくして、長期的に見ますと、日本企業であってもそこで働く人々の大半が外国人となり、実質的には、日本企業とも言えなくなります。さらに、市場規模や税制等を基準として本社を海外に移転させるとしますと、‘脱日本化’が完了してしまうのです(企業のグローバル化が辿る道…)。つまり、この段に至りますと、日本国の貿易の新パターンであったはずの‘知財で稼ぐ’路線も自然消滅し、日本経済、あるいは、日本企業は、IoT時代にあってプラットフォームを独占した米中何れかのIT大手企業の傘下に組み入れられ、日本企業としての独自性を発揮する余地を失うことでしょう。

以上に述べたように、IoT時代への対応としての‘モノづくり’の放棄の先には、日本人の大量失業や日本経済の従属化という未来が見えてくるのですが、ここで考えるべきは、人類は、真に全てがネット繋がるIoT時代の到来を望んでいるのか、という点です。既にGAFAの情報独占に対してプライバシーの侵害等をはじめ、批判や警戒論が広がっております。人という存在は、自らのプライバシー、即ち、他者から干渉されない自分だけの自由な空間を護ろうとしますので、家庭内にあってさえ自らの行動が情報化され、他者に監視・管理されるリスクが高いIoTに対しては本能的な嫌悪感を覚える可能性も高いのです。

情報化社会におけるプライバシーの保護については、ハッカー等からの攻撃を防ぐ安全技術の開発によって対応するのも解決手段の一つですが、ここで発想を転換させる必要もあるように思えます。つまり、プライバシーが侵害されるリスクのない安全な製品を、敢えて‘売り’にするという方法です。自らの日常の発言や行動が情報化され、文章、映像、音声として記録・保管されてしまうデジタル時代にあっては、個々人は、日々データとして蓄積されてゆく自らの個人情報の行方や利用にまで神経を使う必要に迫られ、それは、精神的なストレスとして人々を苦しめます。完璧に整備されたIoT社会とは、24時間監視体制の監獄に等しく、むしろ、人々は、自由を求めるかもしれないのです。

このように考えますと、家電メーカーが、IoT時代を前提として企業戦略を立案し、研究・技術開発に当たってもIoT仕様の製品開発やサービスに投資するよりも、言葉は悪いのですがその’裏をかく’ような‘自由型製品’の市場開拓に努めるのも一案です。もっとも、ネットから隔離された‘自由型製品’とは言っても、従来の家電とどこも変わりはないではないか、とする批判もありましょうが、‘自由’のアピールは、中国におけるIT監視社会化の現実が人々の危機感を募らせる中、それだけで購入意欲を高める宣伝効果があります。従来型の製品であっても、人々のニーズに応え、利便性を高める製品開発の余地はあるはずです。また、IT技術を発展的に利用するならば、IT大手のプラットフォームの介在を要さずに、ネット上に個人が閉鎖型のネットワークを構築し得る分散技術の開発もプライバシー保護には役立つかもしれません。

社長による‘モノづくり放棄宣言(ファブレス化)’をパナソニックで働く社員の方々がどのように聞いたのかは分からないのですが(士気が下がったのでは…)、未来の目標とされながらも、現時点にあってIoT時代に深刻化が予測される諸問題が明らかになっておりますので、先の先、すなわち、ポストIoT時代を見据えた経営戦略こそ、日本企業のサバイバルの鍵となるように思えるのです。

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ファウエイ排除は日本企業のチャンスでは-‘安心の日本製’のアピールを

2018年12月19日 12時48分03秒 | 日本経済
米中貿易戦争は、制裁関税に留まらず、安全保障を根拠とした中国製品の排除に及ぶ段階に至っております。グローバル企業であるファウエイ(華為技術)は、日本企業からも部品等を調達しており、ファウエイ排除の影響は日本経済にマイナス影響を与えるとするのが一般的な見方です。しかしながら、ファウエイ排除が、中国企業に押され気味の日本企業にとりまして、躍進のチャンス到来となる可能性もないわけではありません。

 ファウエイ製品は、既に日本国内でもスマートフォンの端末や基地局として販売されており、一定のシェアを占めています。今後、各国で導入が予定されている5G市場でも、トップクラスのシェアを確保するとされ、そのグローバル戦略が注目されてきました。飛ぶ鳥を落とす勢いであったのですが、中国の脅威を前にして、アメリカを筆頭に‘ファイブ・アイズ’諸国が中国製品の締め出しに転じ、同盟国である日本国もまたこの動きに追随する方針を決定しています。かくして、ファウエイ製品は、自由主義国の市場を失うこととなるのですが、これは、各国の情報・通信市場において‘空白’が生じることを意味します。

 ファウエイ製品排除によって生じる市場の‘空白’こそ、同社と競合している日本企業にとりまして、シェア挽回のまたとないチャンスとなります。そして、ファウエイの失墜原因が安全保障上のリスクとなりますと、日本企業のチャンスはさらに広がります。何故ならば、日本製品の強みは、その信頼性にあるからです。アメリカが、ファウエイ製品を排除したのは、同社の製品には‘バックドア’秘かに組み込まれており、国家安全保障上の機密が漏れる怖れがあったからです。中国共産党との密接な関係は、ファウエイが世界有数の巨大企業に伸し上がる踏み台となりましたが、今ではこの関係が裏目に出て、ファウエイは中国の国家戦略の手先、即ち、‘スパイ製品’と認定されているのです。言い換えますと、ファウエイの競争上の最大の弱みは、その信頼性の欠如にあります。

 一方、自由主義国の一員である日本の企業の製品には、‘スパイ容疑’はかけられていません。情報漏洩のリスクが常に問われる情報・通信の分野では、製品の信頼性が保証されていることは、決定的な優位性をもたらします。価格競争では劣位にあったとしても、信頼性で優位すれば、前者の弱点をカバーすることができるのです。如何に安価な製品であっても、使用に伴って情報が外部に流出し、しかも、それが延いては国家の安全をも脅かすリスクとなるならば、誰もが購入を躊躇うことでしょう。日本企業が製品の信頼性、即ち、バックドアなき安全な製品であることを積極的にアピールすれば、国内市場に留まらず、他の諸国でも売り上げを伸ばすかもしれません。ファウエイ製品のダークなイメージが広がる中での日本製品の安全アピールは、中国の魔の手から逃れたいとする消費者の心を掴むかもしれないのです。

 日本国政府は、今のところ、ファウエイ製品の排除は5G用の機器、並びに、官公庁といった政府機関に限るそうですが、同社の製品に対する信頼性の低下は、一般のスマホ端末などにおける同社のシェアを自然に押し下げることでしょう。そして、日本企業のシェアが拡大すれば、ファウエイに納品してきた日本企業の各社も、国内メーカーへの供給増加でマイナス影響を相殺できるかもしれません。危機とは常にチャンスに転じることができるのですから、徒に悲観するよりも、‘安心の日本製’を掲げた新たなるチャレンジャーとして、この機会を活かすべきなのではないでしょうか。

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グローバリズムの‘隠れ負け組’-日本企業が‘捨て石’になるリスク

2018年12月16日 13時21分04秒 | 日本経済
近年、グローバリズムの理想化された世界ヴィジョンに背を向ける反グローバリズムの嵐が各国で吹き荒れるようになりました。フランスで発生している激しい反マクロン抗議デモも、それが何らかの勢力に煽られたものであれ、グローバリズム、否、新自由主義に対する抗議行動の一環として理解されます。

 こうした反グローバリズムの動きは、一般的には、産業の空洞化に見舞われた先進国の人々の間で起きているとされています。製造拠点の海外移転、移民の増加による雇用不安と賃金の低下、治安の悪化等々、どれ一つを取りましても一般の人々が反グローバリズムに転じる尤もな理由です。ポピュリズム批判もこの側面を根拠としているのですが、それでは、グローバリズムは、その恩恵を受けるとされる企業側に対して‘勝ち組’の地位を約束しているのでしょうか。

 企業にとりましては、国境を越えて自らのビジネスを展開できるようになるのですから、グローバルズムはチャンスとなるはずです。しかしながら、幾つかの点で、企業もまたグローバリズムの‘負け組’に列する可能性があります。グローバリズムとは、相互の市場を隔ててきた障壁を取り払い、フィールドを拡大することを意味しますので、自国市場に手強い競争相手が参入してくれば、‘負け組’が発生するのは必然です。羊さんがのんびりと草をはむ牧場の垣根が取り払われれば、獰猛で狡猾な狼さんに食べられてしまう羊も現れてしまいます。また、貿易障壁の撤廃をチャンスとみて他国の市場に参入しても、競争力に乏しければ、ここでも‘負け組’の運命を余儀なくされます。

こうした競争の激化による表に見える‘負け組’に加え、グローバリズムには、表面から見えづらい‘隠れ負け組’も存在しているように思えます。この‘隠れ負け組’は、グローバル市場では‘規模の経済’が有利に働くがために生じる、企業間の国際連携や結合、あるいは、M&Aによって拡大したグローバル企業においてしばしば観察されるパターンです。このパターンは、日産のゴーン元会長逮捕劇を通して、既に人々の意識に上るようになっております。

仏ルノーの出資を受けて再建した日産では、ルノー側から派遣されたゴーン前会長による半ば独裁体制が敷かれるに及び、“三社連合”の美名のもとに、日産の利益がルノー側に吸収されてしまうという構造が構築されるようになっておりまいた。さらに、日産は、ルノーに子会社化される寸前でもありました。ゴーン前会長逮捕後も日産の独立性に関する危機は続いており、特に、日産がその技術力を以って育んできたバッテリー部門は、子会社と共に中国系ファンドに売却される予定であるそうです。グローバルな視点からすれば、日本で開発された先端技術を大量生産に適した中国に移転すれば、最適な事業体制の下でグローバル市場を闘うことができます。買収、あるいは、提携した企業の技術力を利用するだけ利用して、‘捨て石’にするという経営判断は、グローバル企業の経営陣にとりましては至極当然であり、かつ、必要不可欠な戦略なのです(出資比率に拘わらず、このパターンは起こり得る…)。

このように考えますと、ルノー・日産・三菱自動車の三社連合、あるいは、独ダイムラーを加えた4社連合は(既にルノー・ダイムラー、並びに、三菱自動車・ダイムラー間に出資関係がある…)、グローバル企業としては表面的には‘勝ち組’に映りますが、その実、技術力を抜き取られてしまった日産や三菱自動車には、‘隠れ負け組’となる運命が待ち受けているかもしれません。

日産の場合には、経営が傾いたことで仏ルノーとの提携に踏み切りましたが、今後は、グローバル市場での競争を想定して規模の拡大を目指すより、シンプルなM&Aも増加することでしょう。しかしながら、国内企業間の合併でも指摘されるように、出資比率等により企業合併は必ずしも対等性が確保されるわけでも、利益が均霑されるわけでもなく、何れかの企業が‘隠れ負け組’となるリスクは否定できません。すなわち、‘勝ち組’企業体の一角を構成していながら、実は、“負け組”となってしまう企業が続出する可能性があるのです。グローバリズムの波に乗った国境を越えたM&Aはきれいごとでは済まされない段階に至っており、特に、中国系企業やファンドによる日本企業買収の増加には、国家戦略が背後に控えている故に警戒を要するものとなりましょう。

日本企業は、グローバル化によって‘捨て石’となる覚悟はあるのでしょうか。日本国の経済界は、グローバリズム歓迎一色のようにも見えますが、技術力において優りながらも規模に劣る日本企業が‘隠れ負け組’となるリスクが存在することも、慎重に考慮するべきなのではないかと思うのです。

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アメリカへの対抗策としてのRCEPは日本国の自滅行為では?

2018年07月02日 15時06分02秒 | 日本経済
7月1日、東京都内で東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の拡張会議が開かれ、年内での大筋合意を目指すとする共同声明が発表されました。かくも日程を急ぐ理由は、アメリカの保護主義への対抗とされておりますが、RCEPの成立は、日本経済にとりましては、自滅行為なのではないでしょうか。

 第1に、たとえ日本、中国、インド、東南諸国等を含む16カ国によってRCEPが成立したとしても、それ自体、アメリカの保護主義政策を変更させる効果は期待できません。アメリカが保護主義に転じたのは、NAFTA等の経験から、自由貿易協定への参加が自国や自国民に不利益を与えるとする判断からであり(産業の空洞化の加速…)、そもそもRCEPに加わる理由がないのです。経済格差を有する諸国による自由貿易圏の形成は、一部のグローバル企業は別としても、一般的に先進国が不利となる点を考慮すれば、広域自由貿易圏としてのRCEPが成立すれば、アメリカが参加していない以上、日本国こそ他の諸国から‘草刈り場’にされてしまう可能性があります。

 第2に、アメリカへの対抗の意味が、EUの欧州企業の如く、アメリカ企業に匹敵する規模の‘アジア企業’を育成することにあるとすれば、それは、既にグローバル企業として巨大化した中国企業のさらなる規模の拡大を意味しかねません。言い換えますと、RCEPを枠組みとして資本移動の自由化が進むことで、日本企業は、技術もろともにM&A等を介して中国企業に飲み込まれる可能性が高いのです。

 第2点に関連して第3として挙げられるのは、中国の企業政策のリスクです。中国共産党は、自国企業に対して共産党員の経営参加を法律で義務付けていますが、中国企業の日本市場への進出、並びに、日本企業の中国市場進出は、同時に、日本経済と日本企業が、中国共産党の政治的影響を受けることを意味します。政経一致体制である中国を含むRCEPは、中国からの経済的支配に留まらず、政治的支配を受けるリスクを含意しているのです。

 第4に指摘し得る点は、貿易決済通貨の問題です。TPP11では中国が参加していないため、貿易決済通貨は国際基軸通貨である米ドルが中心、あるいは、日本円が使用される可能性がありますが、RCEPともなりますと、各国とも、中国の人民元が決済通貨として使用するよう圧力を受けるかもしれません。乃ち、RCEPは、中国の野望である‘人民元通貨圏’の形成に手を貸してしまうかもしれないのです。

 そして第5点を挙げるとすれば、米中貿易戦争が激化する中で、日本国がRCEPに軸足を移し、対米の構図で通商政策を展開しますと、日米同盟にも亀裂が生じ、軍事的野心をもはや隠さない中国を利してしまう点です。RCEPの成立を急いだ結果、中国の軍事的脅威が高まるようでは、安全保障を含めて日本国に対する影響をトータルに評価すればマイナスとしか言いようがありません。

 報道では、従来消極的であった中国が、米中貿易戦争に直面したことで、ようやく歩み寄りを見せたかのように説明しておりますが、習近平政権下の中国の国家戦略の基本路線が‘中国の夢’の実現である以上、RCEPもその踏み台に過ぎないのでしょう。対米要塞としてのRCEPが出現した時、日本国は、気が付かぬうちに中国陣営に組み込まれてしまいかねません。RCEPが、政治経済の両面において日本国の自滅となるリスクが存在する以上、拙速は避けるべきではないかと思うのです。

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日中経済関係改善への疑問-隠れた対中譲歩では?

2018年05月10日 15時15分44秒 | 日本経済
 8年ぶりの李克強首相の公式訪日で実現した日中韓サミットでは、経済分野における日中関係の改善が特に進展した分野として報じられています。マスメディア等では、米中関係の悪化を背景とした中国による対日譲歩として説明していますが、その内容からしますと、逆なのではないかと思うのです。

 第1に挙げられる点は、“再開”と表現されているスワップ協定における非対等性と元の国際化への協力です。今般、合意されたとする日中通貨交換協定の仕組みとは、邦銀が金融危機などの影響により人民元を調達できない事態に陥った場合、日銀が中国人民銀行から円と引き換えに元を調達して邦銀に提供するというものです。この仕組みで想定されているのは、元の調達危機であり、その逆はありません(それとも、逆パターンについてはマスメディアが報じていない?)。即ち、円調達に支障を来す事態は想定外であり、このことは、人民元を日中貿易での決済通貨や投資通貨と見なしていることを意味します。つまり、米ドルが国際基軸通貨である故に、他の諸国にとってその発行国であるアメリカとのスワップ協定が極めて重要となるように、中国は、日本国に対して人民元に‘国際基軸通貨’の地位を認めさせようとしているように見えるのです。これまで、日本国政府もまた、円の国際化政策を推進してきましたが、この方針は、中国に対する譲歩によって、事実上、放棄したこととなります。否、日本国政府は、一時頓挫していた人民元の国際化戦略に再度挑み始めた中国に協力していると言っても過言ではないのです。

 第2の懸念される点は、「日中サービス産業協力メカニズム」なる仕組みの構築です。サービス分野とは人の移動を伴いますので、仮に、相互にサービス市場を開放するためのメカニズムであるとすれば、移民問題と直結します。国民監視が徹底した独裁国家である中国の現状を考慮しますと、中国人による日本国での起業や就業が圧倒的に多くなるものと推測されます。言い換えますと、サービス分野での日中協力とは、日本国政府による隠れた移民政策、否、中国人移民受け入れ政策になりかねないのです。

 第3の疑問点は、日中映画協定の締結です。この協定により、日本映画が中国市場に参入しやすくなると説明されていますが、中国では、映画の内容は当局によって厳しくチェックされており、中国の体制を批判したり、共産主義やそれに基づく歴史認識を否定するような映画は上演することはできません。実際に、チャイナ・マネーを呼び込んだハリウッドでは、中国政府に媚びる作品が製作されなど、その弊害が問題視されるに至っています。こうした現実を直視すれば、日中映画協定とは、日本国の製作者に対する‘自己規制’の要求となり得るリスクがあります。

 加えて第4点として指摘し得るのは、中国が提唱する「一帯一路構想」を想定した日中間の第三国に対するインフラ分野での協力です。「一帯一路構想」に潜む中国の覇権主義は既に各方面から指摘されておりますが、今般の合意では、委員会を設置するという踏み込んだ内容となっています。たとえ日本国が僅かなりともビジネスチャンスを得たとしても、他国を中国支配のリスクに晒すような協力は、植民地主義を否定してきた国際社会の倫理に反します。無法国家の利己的な野望に手を貸すことにでもなれば、日本国は、後世に汚名を残すこととなりましょう。

 以上に主要な疑問点を挙げてきましたが、今般の日中協力において特筆すべきは、その手法が制度化を伴っている点です。同合意にはしばしば“メカニズム”や“委員会”という名が登場しており、いわば、中国の統治機構が日本国を絡め取るかのような様相を呈しているのです。一旦、こうした仕組みが設立されますと、行政組織の常として廃絶は困難となりますし、おそらく、これらの制度を介して、中国は、様々な要求を日本国政府に押し付けてくることでしょう。日中関係の改善が日本国に対する中国の介入強化を意味するならば、日本国民の多くは、警戒を強めこそすれ、決して歓迎しないのではないでしょうか。

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ソフトバンクの飽くなき支配欲を抑えるためには

2017年07月13日 14時59分04秒 | 日本経済
 ソフトバンクのエネルギー事業については、再生エネルギーを中心とした発電部門のみならず、モンゴルから日本を結ぶアジアエネルギー送電網構想を打ち上げ、今や送電部門にまで踏み込もうとしています。ソフトバンクの野望は留まるところを知らないかのようです。

  ところで、市場経済では、企業活動の自由は原則として認められており、それ故に、企業間には競争が生じます。ところが、幾つかの分野では、企業間競争が働かず、公的であれ、私的であれ、独占が生じやすい分野があります。独占傾向の強い分野の一つが生活、並びに、産業の基盤となるインフラ事業です。公共性の高いインフラ事業を掌握すれば、その国の国民生活から経済に至るまで、容易に支配力を及ぼすことができるのです。

ソフトバンクの脅威について語る時、その事業分野に注目する必要があります。何故ならば、同社は、敢えてインフラ部門を事業分野として選んでいるからです。設立当初は、IT関連の出版やシステム開発を事業分野としていましたが、やがて通信分野にも進出し、2006年にはボーダフォンの買収により旧国鉄の鉄道電話の通信網を掌握することで、三大携帯電話事業者の一角を占めるに至ります。通信事業の傍ら、同社は、投資活動にも熱心であり、5兆円ともされる公的資金が投入された日本債権信用銀行を492億円で買収しています(後に米投資ファンドサーベラスに凡そ1000億円で売却…)。金融とは、経済の“血液”とも称され、インフラに準じる経済の基盤事業でもあります。ソフトバンクホールディングスは、2006年に形としてはソフトバンクグループ本体からは独立したものの、2017年に、同グループは、サウジアラビアの政府系ファンドにも参加しています。エネルギー事業への進出は上述しましたが、加えて、半導体設計企業であるイギリスのARMホールディングスも凡そ3兆円で買収しており、“産業のコメ”とされる半導体部門でも主導権を握りつつあるのです。

以上に述べた沿革の概略から、同社が国家の資産を巧妙に手中に収めつつ産業の基幹部門を押さえると共に、経済の全体的な支配を目指していることは明白です。その一方で、インフラ事業の多くは公共サービス部門に属し、競争法における集中規制が及ばないケースが多いため、むしろ法規制が甘いというパラドクスがあります。特定企業による経済支配を阻止するためにも、日本国政府は、一企業による広範囲に及ぶインフラ事業の展開については、独占禁止法や事業法などの法改正、あるいは、包括的な規制法の制定により、厳しく規制すべきではないでしょうか。

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”プラットフォーム”を外資に席巻される日本国

2017年02月21日 15時20分46秒 | 日本経済
 最近の日本経済には、一つの特徴を見出すことができます。それは、プラットフォーム型のビジネスの殆どが、外国企業に握られてしまっていることです。

 この現象は、様々なビジネス分野で観察されます。まずSNSの世界では、日本企業の名は見えず、フェースブックやツイッタ―は米企業ですし、しばしばトラブルが報告されているLINEは韓国系です。最近では、民泊ビジネスにおいてこの傾向が顕著となっており、最大手のAirbnbが日本市場で登録物件数を拡大させている一方で、中国系の進出も増加傾向にあります。日本企業も存在しないわけではありませんが、特に中国系の場合には、中国人が日本国内で不動産物件を取得し、民泊施設として提供する事例が多くを占めており、住民との間のトラブルのみならず、テロ、衛生、犯罪、密入国等に関する懸念も指摘されています。日本国内では、空き家数が急速に増加してますが、このままでは、日本人住宅の一戸当たりの敷地面積が広くなるよりも、外国人向けの宿泊施設として利用される可能性の方が高くなります。日本国政府は、外国人訪日客の数を2020年には4000万人に増加させるという大胆な目標に掲げていますが、日本国民の生活の質的向上よりも、訪日客を優先するのでしょうか。しかも、プラットフォームの多くは外国企業に押さえられていますので、経済効果としての利益の大半も、海外に流出するかもしれません。

 プラットフォーム型のビジネスは、SNSであれ、民泊であれ、他者の所有物をネットワークで繋いでプラットフォームを構築し、それに自社の営業権を設定することで利益を得るという、いわば、”寄生”型のビジネス・モデルです。しかも、一般の観光用の宿泊施設とは異なり、人々の社会・生活空間と重なりますので、その影響は無視はできません。そして、一旦、プラットフォームが出来上がりますと、インフラ事業と同様に、独占的な地位を確立することも珍しくはないのです。

 今後は、インターネットやスマートフォンを使った民間タクシーなど、同様のビジネスが登場するでしょうが、日本企業が、プラットフォーム型ビジネスに乗り出さないのには、何か理由があるのでしょうか。海外投資を呼び込むことばかりに熱心な日本国政府が、自国企業に対して”規制”をかけているとは考えたくないものです。プラットフォーム型ビジネスにはそれ自体にも問題もありますので、この際、ビジネスモデルとしてのあり方を根本的に見直してみる必要があるように思えるのです。

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北方領土の”二重国籍化”は不可能では?

2016年10月17日 15時15分45秒 | 日本経済
ロシアとの北方領土の共同統治、全く考えていない=菅官房長官
 本日、日経新聞の一面に”北方領土に共同統治案”という、衝撃的な見出しが躍っていました。この共同統治案、菅官房長官が午前の会見で全面的に否定しましたが、北方領土の”二重国籍化”は、事実上、不可能ではないかと思うのです。

 記事を読む限りでは、共同統治案の内容とは、”人”を対象に日ロ双方が主権を及ぼすとする案のようです。つまり、双方の国民に居住・移動の自由を認めた上で、それぞれの国民に対して国籍国が、自国の国内法の下で行政権や司法権を及ぼすというものです。立法権についても、何れの形態であれ、共同立法の可能性も視野に入れているそうです。

 しかしながら、この案では、肝心の点が明確にされていません。それは、”領域”に対する主権の如何です。当記事によりますと、共同統治案は、日本国側が、従来からの主張であった北方四島に対する帰属の確認を求めないことをも意味すると解説されています。仮に、共同統治案の内容が、上述した”人”に対する統治権のみに限定されるならば、共同統治の対象となる北方領土は、事実上、ロシアの主権が及ぶ地域となります。また、仮に、”領域”に対する共同統治にも合意したとしますと、北方領土の防衛は、一体、どうなるのでしょうか。論理的には、日ロ共同防衛軍の設立と運営を帰結しますが、共同軍方式は、現実的にはリスクが高すぎます。

 現在、米ロ対立が完全に解消されたわけではなく、ロシアは、ウクライナ問題等をめぐり”西側諸国”と摩擦を起こし、法の支配をも蔑にしています。日米同盟をも考慮すれば、将来的に日ロが対立する場面もなしとは言えません。また、共同防衛軍方式を断念し、ロシアに北方領土の防衛を任せたとしても、万が一、対ロ有事が起きるようなことがあれば、北方領土の日本人住民の運命は、第二次世界大戦末期の状況の再来ともなりかねないのです。

 北方領土問題は、法と正義に照らせば、日本国に理がありますので、北方領土を”ソ連邦の戦利品”と見るプーチン大統領が政権のトップである間に解決を急ぐ必要はありません。北方領土の”二重国籍化”はリスクに満ちているのですから、国際司法制度の下で日本国の領有権確認の後にこそ返還プロセスに関する交渉を行うべきであり、今は、当問題を解決する時期ではないと思うのです。

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日銀の脱デフレ政策の失敗-タックスヘイブンも一因では?

2016年06月12日 14時01分58秒 | 日本経済
 パナマの法律事務所、モサック・フォンセカから流出した『パナマ文書』は、世界各国で様々な波紋を広げ、アイスランドでは早々首相が辞任する事態に至りました。その一方で、日本国のマスメディアは、腰が引けた報道が多く、国民の多くは釈然としない感情を抱いております。

 ネット上に公開された『パナマ文書』には、富裕層の個人名のみならず、大企業や宗教法人も名を連ね、タックスヘイブンの利用は明らかです。日本国からタックスヘイブンへの流出した金額は、ケイマン諸島だけで50兆円を超えると推計されており、全世界のタックスヘイブンを含めれば100兆円を超えるかもしれません。安倍政権誕生以来、日銀の”異次元緩和”により超円高が収まり、日本企業は増益を記録しています。昨今は、円高に振れてはいますが、超円高是正による日本企業の競争力回復は、アベノミクスの最も成功した一面とも言えます。ところが、財務相の統計によりますと、法人税収入は、2015年に法人税率を29%に引き下げたこともあってか、それ程には伸びておりません。この法人税収の低い伸び率は、おそらく、富裕層、企業、並びに、宗教法人等による租税回避行動と関係しているのでしょう。そして、こうした企業の租税回避行動は、超円高が是正されながら、何故、日銀の脱デフレ政策が失敗したのかを説明しているように思えます。たとえ企業等が収益を挙げたとしても、日本国内に資金が留まらず、常に海外に流出している状態では、インフレに転じるはずもありません。

 もっとも、莫大な資金がタックスヘイブンから日本国に還流することで、特定市場でのバブルや過度なインフレが発生しても問題ではありますが、内部留保や余剰資金を賃上げや国内投資に向けたならば(現状では外国企業のM&A資金とも…)、個人消費の伸びによる内需拡大によるGDPの押し上げ効果も期待できたはずです。今からでも遅くはありませんので、デフレ脱却、歳入増、経済成長、国民所得の上昇などの側面から、法規制の強化などを通して、タックスヘイブンに逃避している資金の国内還流を促進すべきと思うのです。

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日本国の外国人起業特区は国籍を問わない?

2015年03月07日 15時41分09秒 | 日本経済
 日本国政府は、外国人が起業しやすいように、条件を緩和した特区を設ける方針のようです。この特区、全ての国籍の外国人に開放するのでしょうか。

 仮に、外国人起業特区において国籍を全く問わないとしますと、当然に、中国籍や北朝鮮籍の外国人も特区の優遇措置の下で起業することが予測されます。しかしながら、これらの諸国では、外国人の企業の自由が許されておりませんので、一方的に、日本国側が、特権を付与するようなものです。せめて相互主義にしませんと、不平等条約の国内法化となります。また、台湾では、中国との間の投資・サービス協定の締結が激しい学生運動を引き起こしましたが、日本国も、中国系の安価な製品やサービス業の進出によって市場を侵食され、やがて中国経済に飲み込まれるリスクが高まります。しかも、設立された中国系企業が、資金を持て余している共産党幹部やその親族が出資する、あるいは、経営するともなれば、政治的リスクも無視できなくなります(対中防衛力を増強しても、内側から支配されてしまう…)。加えて、朝鮮半島リスクも懸念されます。朝銀の存在が示すように、国交が存在しないにも拘わらず、在日北朝鮮人による起業は既に可能なようです。しかしながら、朝銀救済で日本国から多額の公的資金が投入されたように、北朝鮮人が起業した企業が何らかの問題を起こした場合、日本国政府が責任を負わされる可能性があります。もっとも、この問題は北朝鮮に限らず、日本国の法律に基づいて設立された企業は、どこの国に所属する法人なのか、という問題を提起しています。WTOなどでは、所属先の国の政府が損害を受けたと主張する企業に代わって紛争の当事者として解決に当たりますが、日本国政府は、新たに特区で起業された法人の保護義務を負うのでしょうか。

 中国、韓国、北朝鮮といった諸国は、法の支配を尊重しておりませんので、特区の設置により、日本国においてこれらの諸国系の企業が増加しますと、日本市場のリスクも比例して上昇することでしょう。リスクに対する甘さは、将来、回復困難な災難を招くことになるのではないかと思うのです。

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日本国の”経済戦略”はゴールドマン・サックスのため?

2015年03月06日 15時27分23秒 | 日本経済
 本日の日経新聞に、日本国の電力自由化に伴う電力先物3商品の導入に関する記事が掲載されておりました。そもそも、電力市場の自由化とは、その実、電力市場が投機の場となることをも意味しておりますし、結局は電力料金の値上がりを招きますので、反対の声も少なくありません。

 ところで、この記事で、もう一つ注目されることは、今月6日に始まる協議会に、ゴールドマン・サックス証券が金融の専門家が招かれていることです。近年の動きを見て気付くことは、日本国の国家戦略と銘打ちながら、ゴールドマン・サックスへの利益誘導が露骨なほどに目立っていることです。再生エネ法が施行され時には、ゴールドマン・サックスは、3000億円の投資を計画し、韓国のLS産電と組んで日本最大のメガソーラ事業を開始しています。また、年金基金の運用の多様化に際しても、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は、昨年から、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントを運用委託先に選定しました。日本国政府が何らかの政策を実施するたびに、ゴールドマン・サックスの名が挙がるのですから、否が応でも不自然さが目につきます。しかも、インフラ事業や公的事業に集中しており、どの事業も、結局、日本国民の負担が増えるものばかりなのです。また、ゴールドマン・サックスは、採用を通じての人脈作りにも周到であり、福田康夫元首相やソフトバンクの孫氏などの親族も社員との情報も伝わっております。

 かつては、政治家による利益誘導は国内の問題とされましたが、市場のグローバル化を背景に、外資系企業への利益誘導も懸念しなければならない時代を迎えているのかもしれません。経産省には、国民の利益を第一に考えて、政策を立案していただきたいと思うのです。

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”日本人人質事件”に関する「イスラム国(ISIL)」の誤算

2015年01月27日 15時16分45秒 | 日本経済
イスラム国殺害脅迫 二階氏「止める手立てあった」渡航制限の検討を求める(産経新聞) - goo ニュース
 「イスラム国(ISIL)」は、高度なサイバー技術を有しているとも伝えられ、人員のリクルートや全世界への宣伝もネットを駆使しています。いわば、ネットのプロなのですが、少なくとも”日本人人質事件”に関しては、ネット効果に関する誤算があったようです。

 第一の誤算は、一般の日本国民に人質への感情移入をさせることができなかったことです。中東の人質事件の”狼少年化”については以前のブログ記事で指摘しましたが、日本国民の多くは、後藤氏の所属する団体、並びに、その支援団体に対して距離感を抱いています(テロリスト側に近いのではないかとする疑い…)。狙いとしては、後藤氏の母親を登場させたり、本人が救出を訴えるビデオを公開することで日本人の情に訴え、国民的な救出運動が起き、政府への圧力となることを期待したのでしょうが、この狙いは外れ、むしろ距離感は縮まるどころか、広がってしまいました。「I AM KENJI」運動の参加者も、むしろ外国人の方が多いくらいです。第二の誤算は、日本国では、ネットの拡散力は、人質救出支援の輪を広げるのではなく、人々を震え上がらせる存在であるはずの「イスラム国(ISIL)」を、茶化す方向に働いたことです。英紙では、ツイッタ―を通して「イスラム国(ISIL)」メンバーの画像を加工したユーモラスなコラが多数出現したことで「イスラム国(ISIL)」の権威を失墜させた、と評されたとも伝わります(つい、黒覆面のメンバーの頭に悪魔の角を生やし、後ろに尻尾が見えるコラボレーションが思いついてしまう…)。実のところ、風刺の効果とは、こうしたところにあります。第三の誤算とは、日本国民の主たる関心が、事件そのものよりも、この事件の背景に向いてしまったことです。この点は第一の誤算とも通じており、ネット情報には、マスコミが報じない事実や隠されている背景の推測が少なくありません。そして第4として挙げられるのは、ネット世論も一般世論も、イスラム過激派の残虐行為がネットを通して周知されたこともあって、”テロリストには屈するな”の方向に傾いたことです。

 「イスラム国(ISIL)」は、ネットをも支配できると過信したのでしょうが、ネットは常識的な人々が多く住む世界でもありますので、それは所詮無理というものです。ネットでの「イスラム国(ISIL)」の誤算は、常識や良識を前にした過激思想敗北の兆しなのではないかと思うのです。

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アベノミクスの第2幕-新自由主義の独断場は勘弁

2014年12月15日 15時44分54秒 | 日本経済
衆院選2014 アベノミクス第2幕へ 次は再増税環境作り(産経新聞) - goo ニュース
 昨日、投開票された衆議院選挙において与党が圧勝したことから、アベノミクスの第二幕が開くこととなりました。第一幕では、超円高の是正などによる企業収益の改善が見られるなど一定の効果を上げたのですが、果たして第二幕では、どのようなシナリオが展開されるのでしょうか。

 実のところ注目されますのは、三番目の矢とされる成長戦略です。何故ならば、この分野では、パソナ会長の竹中氏に代表される新自由主義派の影響力が強く、第二幕では、この方針で規制緩和や民営化等が追求される可能性があるからです。総選挙によって廃案とはなったものの、労働者派遣法の改正なども、派遣労働を固定化させることによる人材派遣業者への利益誘導ではないか、との疑惑を生んでしました。規制=悪・民営化=善とみなす新自由主義派のスタンスでは、当然の方針なのでしょうが、規制緩和と民営化が結びついた結果、パソナといった民間派遣業者に官公庁の仕事が委託され、中間マージンの発生による財政負担が生じることとなりました。新自由主義者とは、市場の活力を引き出すために自由化を訴えるのではなく、結局のところ、政府の利権を漁り、中間搾取を目指す利権団体なのではないかと疑ってしまいます。また、国家戦略特区などの案も、外国人優遇策では、日本企業にとりましては、競争条件においてハンディーを課せられるようなものです。

 規制とは一般的なルールのことですので、本来は、ルールなき状況をカオスと表現するように、必要な規制も当然にあります。多種多様な規制の中から阻害要因に過ぎない不要なものを見つけ出して撤廃することこそ規制緩和の基本であり、規制=悪の構図は極端ですし、民営化も、公的権力の私物化や利益誘導となれば、国民を害することになります。アベノミクスの第2幕では、新自由主義の独断場になることだけは、ご勘弁いただきたいと思うのです。

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