万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

インフラ支援は日本単独の方が安全では?-日中協力のリスク

2018年10月09日 14時21分16秒 | 国際政治
 習近平国家主席が自らの威信をかけて打ち出した一帯一路構想。当初は、その終着地となるイギリスをはじめとしたヨーロッパ諸国からも熱い期待が寄せられ、プロジェクト融資の中核となるAIIBも曲がりなりにも順調に発足しました。しかしながら、その実態が明らかになるにつれ、今や全世界レベルで同構想に対する強い逆風が吹き始めています。

 ところが、日本国政府の動きを見ますと、奇妙なことに中国と一緒になって逆風に抵抗しているように見えます。何故ならば、一帯一路構想の名称は外してはいるものの、中国との間で第三国に対するインフラ融資の協力事業を実施する方針を示しているからです。

 政府の説明によれば、中国一国に任せておくと、融資先国を‘借金漬け’にし、政治的要求を突き付けたり、借金の形に人民解放軍の軍事拠点を獲得するケースが頻発するため、こうした中国の阿漕で高利貸し的な手法に歯止めをかける必要があるそうです。いわば、日本国政府は、評判のすこぶる悪い中国を外部から監視するための‘お目付け役’の役割を買って出たのであり、一見、財政支援を受けるインフラ・プロジェクト実施諸国にとりましては‘救世主’のようにも見えます。言い換えますと、日本国の対中インフラ協力の主たる目的は、中国を援けるのではなく、中国の脅威に直面している融資先国を援ける、保護するところにあるとされたのです。ここに、日本国政府は、一体、誰の‘救世主’になろうとしているのか、という問題が提起されるのですが、果たして、日中協力の先にはどのような事態が待ち受けているのでしょうか。

 少なくとも、風前の灯となった一帯一路構想が延命されるという側面においては、日本国政府は、‘中国の夢’の実現に手を貸すことになります。その理由は、一帯一路構想とは‘全ての道は中国に通ず’と言わんばかりの中華思想に基づく中国の世界覇権プロジェクトであり、上述したように名目上は同構想との関連性を否定しても、結果的には、中国発案の構想の枠内での協力となるからです。外貨準備の減少に悩み、かつ、米中戦争の激化によってさらなる景気後退が予測される中国側ら見れば、日中協力は、資金面での負担軽減を意味します。たとえ、日本の協力によって相手国に対する貸付金利の利率が低めに設定され、‘高利貸し’が抑制されたとしても、プロジェクト自体が実現すれば、貸付資金も無事に回収できます。また、仮に、現在進行中の高金利の貸付によるプロジェクトにおいて相手国側が債務不履行に陥ったとしても、その損失は、共同出資者である日本国政府の肩にのしかかります(あるいは、現時点で、日本の協力を求めてきていることは、既に資金回収が不可能となりそうプロジェクトがあり、その損失を日本に肩代わりさせるためか・・・)。何れにしましても、中国としては御の字なのです。

 その一方で、融資先国を支援する結果をもたらすのか、と申しますと、そうとばかりは言えないように思えます。日本国政府が参加するとなれば、低利融資により財政負担や債務不履行のリスクが軽減されることは確かです。しかしながら、一帯一路構想の目的、並びに、将来的ヴィジョンとしての華夷秩序の再来を考慮しますと、日本国の協力によるプロジェクトの推進は、中華経済圏に取り込まれ、属国扱いされかねない融資先諸国、特に一般国民にとりましては‘悪夢’となるかもしれません。つまり、日本国政府は、‘救世主’どころか、これらの諸国を中国に差し出す役割を演じてしまうかもしれないのです。

 こうしたリスクがある限り、日本国政府は、海外諸国に対してインフラ面における支援を行うならば、中国と組むよりも一帯一路構想とは一線を画し、独自の判断で単独支援を実施した方がより安全なように思えます。あるいは、同盟国であるアメリカのトランプ政権も同地域におけるインフラ支援プロジェクトを提唱しておりますので、アメリカのプランに協力するという選択肢もあるはずです。少なくとも、中国の‘救世主’となるような日中協力につきましては、日本国政府には対中協力の義務もありませんし、日本国民にも財政負担のみならず、将来的には安全保障上の重大なリスクが生じる可能性があるのですから、人類に災禍をもたらしかねない覇権主義国家への協力は見直すべきではないかと思うのです。

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