万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

シェアリング・エコノミーの盲点-危うい近未来ヴィジョン

2018年10月19日 14時20分20秒 | 国際経済
近年、経済システムの近未来ビジョンとしてとして、シェアリング・エコノミーが提唱されるようになりました。‘所有から利用’への発想の転換が同システムの最大の特徴なのでしょうが、このヴィジョンには、幾つかの盲点が潜んでいるように思えます。

 例えば、シェアリング・エコノミーのモデルとしてしばしば取り上げられているのが、ウーバー社に始まるライド・シェアビジネスの成功例です。報道によりますと、現在、世界70カ国の450都市 以上で事業を展開している同社が新規株式公開すれば、10兆円を超える企業価値として評価されるそうですので、同社に対する期待感は膨らむ一方のようです。その一方で、中国の同業者である滴滴出行の殺人事件も然ることながら、このビジネス・モデルを具に観察しますと、その限界も見えてくるように思えるのです。

 配車アプリのビジネスとは、一般の自動車所有者が配車アプリサービス事業者に登録をする一方で、一般の利用者は、同社の配車アプリを自らのスマートフォンにインストールしさえすれば、何処にいても、スマートフォンの画面操作で同社に申し込むことで、配車サービスを受けることができます。申込者の目の前に、条件が最も適した登録済みの自動車が現れて、利用者を目的地まで乗せていってくれるのです。「白タク」と揶揄される理由も、交通サービスを提供する自動車がタクシー会社に属するものでも、個人事業者のものでもなく、一般の自家用車であるという点にあるのですが、タクシーを拾う手間や時間が省けますし料金も手ごろですので、急速に利用者を増やすこととなったのです。そして、事業者への登録一般自動車の数が多ければ多い程に同事業の利便性が向上し、ますます普及に弾みが付くのです。

 しかしながら、経済システム全体において、‘所有から利用へ’をモットーとするシェアリング・エコノミーへの方向性が強まるにつれ、このビジネスは、越えがたい壁にぶつかるかもしれません。何故ならば、‘自動車とは、個人が所有するものではなく、複数の人々との間でシェアするものである’とする考え方を多くの人々が共通認識として抱くようになれば、自家用車を持とうとするインセンティヴが急速に低下するからです(実際にこの動きは、個人間カーシェアリングとして始まっている…)。当然に、配車アプリサービス事業者に登録する車数も、自家用車数の減少に連動して減ることでしょう。創業者がこの点に気が付いていたか否かは別としても、多くの人々が自動車を所有している状況があってこそ配車アプリサービスも成り立つのであり、イメージとは真逆に、同サービスは‘所有エコノミー’の申し子なのです。

 シェアリング・エコノミーの問題は、配車アプリサービスに留まらず、民泊などでもそれ固有の問題を引き起こしています。もしかしますと、こうした新ビジネスは、国民の大半が自家用車を所有することが困難な中国といった人口大国、あるいは、中間層が崩壊危機に瀕している先進国諸国をも念頭に置いているのかもしれません。考えても見ますと、発想としては、私的所有に対して否定的な社会・共産主義に類似する側面もあります。シェアリング・エコノミーの時代が実際に到来するのかは疑問なところであり、実現を目の前にして、初めてそれが経済の停滞や縮小を意味することに気付く、といった展開もあり得るのではないかと思うのです。
 
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コメント (2)
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