万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

eスポーツが投げかける問題

2018年10月22日 12時57分19秒 | 社会
eスポーツとは、エレクトロニック・スポーツの略語であり、複数のプレイヤーが参加するビデオ・ゲームを意味しています。日本国内では聞き慣れないのですが、IOCのバッハ会長がオリンピックの正式種目への採用に言及したことから、俄かに注目を集めています。しかしながら、オリンピックの表舞台へのデビューを待つeスポーツは、幾つかの側面で重要な問題を投げかけているように思えます。

 第1の問題点は、eスポーツがオリンピックの正式種目に加えられるとしますと、体を動かして競技するスポーツと頭脳で勝負をするゲームとの境界線が曖昧になることです。仮に、頭脳による競技も広義のスポーツに含まれるならば、トランプ、チェス、あるいは、囲碁将棋といったカードやボードゲームもスポーツの範疇に入ります。案外、モノポリーも正式種目となるかもしれません。後者の方が余程歴史や伝統あり、競技者人口も多いわけですから、オリンピックの正式種目には相応しいと言うことにもなりましょう。また逆に、現実のスポーツの仮想化もあり得ますので、スタジアムでの試合と平行して、ネット上においてあらゆる仮想種目が競われるという奇妙な二重構造を呈することにもなります。

 また、eスポーツのゲーム内容を見ますと、殴り合いのバトルや殺人を伴うサバイバルゲーム等、スポーツマンシップとは程遠いものが多々見られます。名目としてはスポーツと称しながら、eスポーツのゲーム内容にスポーツらしからぬ反倫理性を含む点が第2の問題点です。この疑問に対しては、競技者のコントローラーの操作技術、即ち、反射神経や即断力などが争われているのであるから、ゲームそのものの内容は関係ないし、ゲームの登場人物が殺されてもそれは仮想の世界に過ぎないとする反論もあるかもしれません。しかしながら、現代オリンピックの精神もまた古代ギリシャのオリンピックに由来する平和主義にあるならば、オリンピックの場においてどちらかが打ちのめされるまで暴力シーンが繰り広げられることに違和感、あるいは、不快感を覚える人々も少なくないはずです。

 第3の問題点は、IOCの営利第一主義が垣間見えることです。インターネットの普及と共に、誰もがオンラインで参加できるビデオ・ゲームもまた手軽な娯楽となり、今では、ネットゲーム中毒に起因する‘引きこもり’が懸念されるほど若者層を中心にユーザーが増えています。eスポーツもこの波に乗るかのように出現したのですが、今では、ゲームは巨額の利益を生み出す一大産業に成長しています。IOCがeスポーツを正式種目として採用しようとしている背景には、ゲーム業界のスポンサー化やオンライン放映権の収入等を目的とした同産業の取り込みによる収益の拡大が推測されるのです。

 そして、第4の問題点は、eスポーツの背後にロボット兵士の存在が潜んでいるように感じられることです。何故ならば、コントローラーの高度な操作技術こそ、ロボット兵士の操作に必要とされる能力に他ならないからです。偶然、テレビ番組でeスポーツの選手達のトレーニングの風景が紹介されておりましたが、多数の選手達が専門家の指導の下でフィジカル、並びに、メンタルの両面のトレーニングを受けている様は、兵士養成学校のようにも見えます(上述したゲーム内バトルも白兵戦等を想起させる…)。因みに、今日では各国においてプロのリーグが結成され、世界各地で大会が開かれていますが、2007年には、アジアオリンピック評議会が、eスポーツを正式種目とした上で第2回アジア室内競技大会を中国のマカオで主催しており、中国人選手が3個の金メダルを獲得したそうです。この事例から中国が積極的にeスポーツの選手を育成している様子が分かりますが、韓国もまたeスポーツが最も盛んな国の一つでもあります。ビデオ・ゲーム競技会発祥の地はアメリカではあるものの(1972年にスタンフォード大学で最初の大会が開催された…)、これらの諸国は、ロボット兵士の開発にも熱心に取り組んでいる国でもあり、両者の一致は単なる偶然とも思えないのです。

 日本国のeスポーツ事情はと申しますと、刑法によって賭博が禁止されているため、その普及は遅れているとも説明されています。東京オリンピックを機にeスポーツの育成が声高に主張されるようになるのでしょうが、上記の問題点を踏まえますと、‘eスポーツとは何か’という根本的な問題を、日本国内のみならず国際レベルにおいても、それぞれの問題性に則して真面目、かつ、丁寧な議論を尽くして然るべきなのではないでしょうか。第4点として述べたロボット兵士の問題については、安全保障が関わるだけに核兵器と同様の攻守両面からの議論を要すものの、eスポーツの登場が、スポーツマンシップの衰退、暴力の日常化、オリンピックにおける営利主義の蔓延といったマイナスの方向に作用するとしますと、先端的なテクノロジーを追い求めた結果、人類は、文明を自らの手で破壊し、進化どころか野蛮へと退化させるという、パラドクシカルな結末を迎えるのではないかと懸念するのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする