万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

秋篠宮家への国民の批判は氷山の一角では?-皇室の曲がり角

2021年10月11日 12時32分06秒 | 日本政治

 今般、秋篠宮家が小室家と姻戚関係を結ぶに当たりまして、激しい世論の批判が起きることとなりました。母親の借金問題のみならず、祖父並びに父親が自死していることに加え、最近では遺族年金不正受給問題まで加わり、小室家に渦巻く疑惑は深まる一方です。世論の批判もそもそも小室家の’闇’に起因するのですが、宮内庁が眞子さんの複雑性PTSDを公表したことから‘火に油’の状態となり、今日、政府?並びにメディア等による統制側と批判的世論とがせめぎ合う状況に至っています(もしかしますと、メディアについては擁護一色ではないかもしれない…)。

 

 この件に関しては、世論の反発は、一宮家から民間への降嫁であるから起きたとする指摘もあります。民間から皇室への入内とは逆の、皇族が民間人となるケースであるため、小室家に対するチェックが甘くなり、その結果として今般の事態に至ったとする…。しかしながら、皇族の婚姻をめぐるこれまでの経緯を振り返りますと、令和の時代となった今日であるからこそ、これまで鬱積してきた皇族に対する批判が噴出してしまったとする見方もあり得るように思えます。

 

 皇族の自由結婚の問題は上皇夫妻に始まるものであり、当時にあっても、民間から皇室への入内には賛否両論があったとされています。興味深いことに、今日とは逆に、国民世論が歓迎する一方で、旧皇族や旧華族といった人々は強く反対したと言います。戦後、昭和天皇による人間宣言があったとはいえ、天皇というものが’神聖なる神の子孫’と信じる国民が多い時代にあっては、民間からの入内は、伝統派からしますと天皇の権威の低下とみなす一方で、国民の多くは、雲の上ではなく、天皇が’自らと同じところまで降りてくることを望ましく感じたのでしょう。

 

 上皇夫妻の婚姻は、’親しみのある天皇’のイメージと引き換えに、天皇が超越性を失う転機となったのですが、現天皇夫妻の婚姻となりますと、いささか世論の空気が変わってきます。今日、メディアは、皇室に入内する家についてはチェックが厳しかったかのようにと報じていますが、ネットが普及するにつれ、当初から指摘されていた水俣病の責任問題のみならず、小和田家をめぐる様々な謎がネットを賑わすこととなったからです。四代前以降は遡れない家系、曽祖父とされる金吉氏や江頭家の謎、創価学会との闇のコネクション、中国との関係、外交機密費疑惑、スイスにあるとされた天皇家の隠し財産との関連等々…。小室家に負けず劣らず小和田家にも深い’闇’が窺えるのです。仮に、天皇夫妻の婚姻の時期にネットが普及していたならば、小和田家が天皇家と姻戚となることはあり得なかったともされています。

 

 そして、同婚姻は、国民の意識を大きく変えたことは否めません(信頼からリスクへ…)。ネットで情報を得られるようになった国民の多くが、皇室と民間人との婚姻に対して警戒するようになったからです。純粋な恋愛結婚は表向きのカバー・ストーリーであって、その裏では、外国、海外勢力、宗教団体など、天皇家の政治利用を狙う様様な組織の戦略が蠢いているのではないか、と…。そして、上皇夫妻の婚姻に関しても、正田家に関する上海を舞台とした中国系やイギリス系の血脈まで囁かれることとなったのです(さらにその先に、明治維新を背景とした孝明天皇と明治天皇との間の親子関係における疑惑にも発展…)。

 

 以上の経緯からしますと、今般の秋篠宮家と小室家との縁結びに関する国民世論の批判は、小室家か最初の’問題一家’であるからなのではなく、小室家にも問題があったのであり、これまで積み重なってきた国民の皇族の婚姻に対する不信感や警戒心の表出であるのかもしれません。むしろ、秋篠宮家という一宮家であったからこそ、国民も本音の声を上げやすかったとも言えましょう。

 

このように考えますと、10月26日の婚姻を以って同問題が一件落着するとも思えず、国民の多くが懐いている拭いきれない不信感や警戒心こそ、皇室、並びに、政府やメディアも真剣に受け止めるべきかもしれません。秋篠宮家の婚姻問題は、氷山の一角かもしれないのです。そして、皇室と云う存在を時代の変化に合わせるならば、国家祭祀の継承者としての天皇位は存続させるとしても、既に変質し、かつ、形骸化した皇族はその存在意義を失い、最早国民が必要としていないとする結論もあり得ると思うのです。


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