万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

岸田首相が耳を傾ける’国民の声’とは

2021年10月05日 15時55分26秒 | 日本政治

 昨日、日本国では岸田文雄内閣が発足しました。マスメディアの報道によれば、岸田新首相の政治家としての長所は、他者の声に親身になって耳を傾ける態度にあるそうです。菅前首相がその就任直後から独断専行的な政権運営が目立っていただけに、’国民の声’に耳を傾けようとする岸田首相に対する国民の期待も自ずと高まります。その一方で、’国民の声’というものについては、全く懸念がないわけではありません。

 

 第1に心配されることは、’国民の声’とは、一体、誰の声であるのか曖昧なことです。首相が直接に国民一般と対話する機会は限られていますので、’国民の声’とは申しましても、岸田首相の周辺の声に限定されてしまう可能性もあります。その声とは、地元の後援団体や事業者の人々の声かもしれませんし、あるいは、首相の私的な交際サークルの人々の声かもしれません。

 

 また、第2の懸念は、’国民の声’とは、常々、マスメディアによって創作されてしまうケースがある点です。近年、世論調査の結果に対する信頼性が著しく低下するようになりましたが、その原因は、調査を実施するメディア側が、自らの方針に沿う結果が得られるように、調査対象差を限定したり、予め回答を誘導したり、あるいは、結果を改竄してしまうケースが後を絶たないからです。世論調査の結果として発表された数字と現実との乖離に、唖然とさせられた国民も少なくないはずです。仮に、岸田首相が、メディアの世論調査の結果を’国民の声’とみなすとしますと、結局は、真の国民の声は政治に反映されないこととなりましょう。

 

 第2の懸念に関連して第3に指摘し得るのは、’国民の声’とは、本来、賛否両論に分かれるような多様性があるということです。マスメディアは、日頃から多様性の尊重を連呼していますが、例えば今般のワクチン接種に関する報道を見る限り、’国民の声’は、ワクチン待望論一色の如きです。現実には、ワクチン・リスクへの不安等から接種を見送る人も決して少なくないにもかかわらず、こうした反対者の声はかき消されてしまっているのです。岸田首相は、政府の方針に反対する、あるいは、批判する’国民の声’にも耳を傾けてくださるのでしょうか。

 

 第4に懸念されるのは、必ずしも多数が正しいとは限らない点です。百歩譲ってマスメディアが報じる世論調査の結果が正しいとしても、歴史を振り返れば、多数意見が間違っているケースは多々あります。多数者の意見を以って’国民の声’とみなし、それを実現するこが民主主義国家のあるべき姿とされるものの、多数者の意見に従ったばかりに悲惨な状況に陥ることも少なくありません(多数者の横暴の問題でもある…)。例えば、先のワクチン接種をめぐる見解の相違についても、たとえ多数派がワクチン安全論支持者であったとしても、後々、ワクチン危険論の方が正しいことが医科学的に証明されないとも限らないのです(もっとも、多数者は、ワクチン危険論支持者である可能性もある)。

 

 マスメディアが最有力候補と見なしていた河野太郎氏の基本姿勢が’国民の声’に耳を塞ぐ、あるいは、国民からの批判や反対意見は完全に遮断する、というものでしたので、岸田首相の姿勢は、国民にとりましては安心材料となりましょう。その一方で、’国民の声’について深く考えてみますと、一抹の不安が脳裏をよぎるのです。


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