万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

選挙に際して選択に悩む国民の対処方法とは?-白紙委任を防ぐ方法

2021年10月29日 13時28分02秒 | その他

 衆議院選挙を間近に控え、各候補者とも街頭にあって有権者に向けて自らへの支持を訴えております。しかしながら、背後における外部勢力による二頭作戦もあって、年々、政党間の対立軸は薄れており、有権者の迷いは深まる一方のように思えます。どの政党に一票を投じたとしても、各政党の公約に同勢力が実現を望んでいる政策が散りばめられているため、結局は、特定の方向に誘導されてしまうからです。保守政党を選んでもいつの間にか左傾化し、与党への批判票としてリベラル政党に投票しても、かつての民主党政権の二の舞になりそうなのです。

 

 かくして、自らの自由な政治的意思表示の手段として選挙権を有してはいても、手に投票用紙を握りしめたまま立ち尽くす国民も少なくはないのですが、投票率の低さによっても示唆される国民が特定の政党を選択できない状況について、これまで真剣に議論されてきたことはなかったように思えます。そもそも、二大政党制を含む多党制こそ民主主義の証とされてきましたので、多党制そのものが国民の自由な政治的選択の制約要因となる事態は想定されていなかったからです。実際に、今般の選挙にありましても、メディアは、投票率が低いと若者層をターゲットとした’投票に行こう’キャンペーンを張っています。しかしながら、現状を見ますと、’選べない民主主義’の問題は、深刻なように思えます。

 

 国民の多くが積極的に特定の政党を選択できない状況下にあって、投票率のみが上昇するとしますと、如何なる政権が成立しようとも、同政権は、国民からの負託を強調することとなりましょう。つまり、政権への’白紙委任’となりかねないのです。’白紙委任’の状態とは、国民世論を無視した与党による独断専行政治、あるいは、外部勢力が策定したアジェンダの代理執行ということになりますので、国民の側としては、何としても反対論が提起されうる余地を残し、国民に不利益を与える計画の実現を阻止する道を確保したいところです。しかしながら、政党間に隠れた’談合’が成立している、あるいは、’影の振付師’が存在する中、国民の意見を汲んだ自由闊達な議論を実現するのは至難の業です。そこで、100%の効果は期待できないものの、以下のような方策が考えられましょう。

 

 第1の方策は、以前の記事にあって本ブログで提案したのですが、棄権や無記名投票に積極的な意味を持たせることです。つまり、投票率、並びに、白票の数を、国民による全ての政党を含めた政界全体、あるいは、現政治システムに対する反対票、あるいは、批判票と見なすのです。従来、これらの数字は、’白紙委任’として解釈されてきました。棄権や無記名投票は、選挙結果に対する無条件の承認であると…。しかしながら、投票制度の仕組みからしますと、棄権や無記名投票は、選択の不可能性、あるいは、投票そのものに対する抗議の意思表示の手段として設けられているケースも少なくありません。前者と後者には区別があり、前者にあっては、棄権者は投票結果に従う義務がありますが、後者については、棄権者は、他の投票者の行動を妨げないまでも、必ずしも多数決の結果に従う義務を負わないのです。棄権や白票を批判票として解釈しますと、議会選挙の場合には、たとえ議会の議席の過半数を制した政権、あるいは、連立政権であっても、もはや国民が’白紙委任’に合意したとは主張できず、常に、国民からの’消極的な反対’を考慮せざる得なくなりましょう。

 

 第2の方法は、与党勢力と野党勢力の議席数を凡そ拮抗させることです。野党側の議席数が与党側のそれに近い場合、与党側は、十分な議論を経ずして強行採決といった強引な方法を取り難くなります。与党側にあっても一部の議員に’寝返り’があれば、簡単に形成が逆転してしますのでリスク含みとなります。また、国民も活発な議論を期待するでしょうから、このケースでも、与党勢力による専横は抑止されましょう。もっとも、今日のような与野党結託の状況下にあっては、ポーズとしての議論はあっても、実質的な効果は限定されているかもしれません。また、投票行動とは個人の自由意思に基づきますので、個々人が、予め与野党の議席数を拮抗させるように投票することは極めて困難であるという問題もありましょう。

 

 そして、第3の方法は、現行の制度では憲法改正時に限定されている国民投票制度を、より一般的な法案等にも拡充させることです。全ての法案ではないにせよ、全国民に直接に関わるような事案については、国民が判断するのです。同制度では、国民自らが直接に決定権を行使しますので、たとえ政治サイドが望んでいたとしても、自らに不利益となる法案が成立する可能性は著しく低下します。そして、同制度が民主主義という価値を体現していても、国民投票制度の導入を公約に掲げている政党が殆ど皆無である現状は、多党制における隠れた’談合’を強く示唆しているのかもしれません。

 

 以上に3つほど主要な方法について述べてきましたが、何れも難はありましょう。しかしながら、必ずしも’政治を良くしてゆくこと=投票すること’ではない点については、十分に注意を払うべきように思えます。そして、最も実現性の高い第1の方法、すなわち、国民の政治批判の意思表示については、国民のコンセンサスとすべきですし、国民の投票という行為がより細やかに、かつ、正確に民意を表明する手段となるよう、制度的工夫を凝らすべきではないかと思うのです。


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