万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

変わるべきは政党では?-民主主義の阻害要因としての政党

2022年08月29日 12時19分55秒 | 統治制度論
今日ほど、民主主義国家に生を受けた人々が、政党と民主主義との間の深刻な不整合性に直面している時代はないのかもしれません。とりわけ日本国の政界は、新興宗教団体との癒着の発覚により、民主主義を揺るがす大問題として政教分離の存在意義が改めて問われています。そして、民主主義が危機に陥った要因は、権力の末端として活動してきた新興宗教団体を含む各種団体のみならず、政党そのものにも求められるように思えます。

政党とは、民主的選挙の下における選挙権の拡大と共に歩んでいますので、誰もが、民主主義を体現する存在としてイメージしがちです。確かに、世襲の君主が支配した時代や軍団や軍閥のトップが政権を力で争う時代などと比較しますと、政党は、国民の政治的自由や政治的権利表明の受け皿となりますし、平和的な政権交代を実現しますので、はるかに民主的で平和的な存在です。このため、政党政治も、民主主義を実現するシステムとして評価されてきました。しかしながら、今日の状況は、この認識を覆しつつあります。

17世紀にイギリスで政党が誕生した時には、政党とは、政治的主張や信条を共にする議員が集まる会派に過ぎませんでした。寄り合い的な会派ですので、党首や党役員といった党内組織が整えられていたわけではありませんでした。ところが、政治団体なるカテゴリーが登場し、政治活動を専らとする政党という団体の存在が法的にも認められるに至りますと、政党は、民主主義の進化とは逆方向に変質してゆくこととなります。政党に懸念される退行現象とは、政党が、政治団体として組織化される過程において見出すことができます。

第1に指摘されるのは、民主主義の前提となる自由な討論の基盤ともなる議員間の対等性の喪失です。議会内会派の段階では、議員間の関係は対等であり、組織内部の役職に基づく議員間の力関係やヒエラルヒーなどはありません。自由闊達な政策論争もユニークな政策提言も、忖度や‘節度’が強く求められる場や後になって制裁や嫌がらせを受けるリスクがある場合には、発言者に相当の勇気がない限り極めて難しくなるのです。民主主義の成立要件の一つは自由な議論なのですが、政党が純粋に会派である間は、この要件は満たされましょう。ところが、会派がやがて政党として組織化され、政党内にヒエラルヒーが形成されるにつれ、議員の間の対等性は失われるリスクが生じるのです。

この結果、建前としては各自が等しく‘国民の代表’であるはずの議員は、政党内の組織人として‘位置’づけられてしまう傾向が強まります。国政の‘真の決定者’は、国家のトップ職に就いた政治家ではなく、政党の幹部職や派閥の長の座にある‘有力者’や‘長老’やである場合も少なくありません(さらに、政党の外部や背後に‘上司’が存在する可能性も・・・)。一方、新人議員は、党内にあっては‘新入社員’のように扱われます。否、出馬・当選して政治家になるためには、特定の政党内有力者の庇護を受ける必要があるのでしょう。先の参議院選挙では、世界平和統一家庭連合系の団体への訪問によって萩生田政務調査会長が初当選した生稲議員の選挙活動をバックアップしていた事実が判明しています。政党の有力者が‘配下’の議員達に支配力を及ぼす一方で、政党内の序列も当選回数などが基準となって固定化されるのです。第2の問題点として、政党内力学が働き、国民による民主的選択や世論とは異なる方向に政策が向かう点を指摘することができるでしょう。

第1並びに第2の問題点に関連して第3に挙げられるのは、選挙区間の平等原則が、当選議員の政党内のヒエラルヒーによって著しく歪められてしまうリスクです。政党内での議員の地位や‘序列’は選挙区の立場にも反映され、政党内の有力者の地盤となる選挙区に対しては、公共事業と言った利権がもたらされることも珍しくないのです。

第4に、政党は、国民の政治的な選択が及ばない、特定の政治家や家系による権力や利権の維持・継承組織になりかねない点です。民主的選挙制度の原則に従えば、誰もが選挙に立候補でき、かつ、落選すれば‘ただの人’に戻るはずなのですが、政党は、政治家に対して終身雇用の場を与えています。たとえ国民が落選させたとしても、落選候補者であっても、政党内で地位やポジションを保持していれば、政治的影響力を行使することができるのです。企業のように退職制度もありませんので、国民が政治の刷新を望んでも、所謂“悪しき長老政治”が続くことになるのです。また、その地位を子孫や親族を入党させることで世襲することも容易になります。安部元首相の後継者問題も、民主主義に照らして考えてみますとあってはならないお話なのです。また、政界の閉鎖性も、政党の権力独占志向に求めることができるかもしれません。

そして第5として、政党が、選挙や議会での採決を‘闘いの場’と捉えれば捉えるほど、上意下達が重視される軍隊型の組織に近づく点を挙げることができます。‘平議員’は、トップレベルでの決定に従うだけの存在となり、政策立案能力を有する自立した一人の政治家としては見なされません。選挙でも採決でも‘数’が決定要因となりますので、政党に忠誠を誓っていれば誰でも構わないのです。歴史における政党の軍隊化の際たる事例は、ナチスや共産党であるのかもしれません。そして、戦略上、末端の実行部隊や別動部隊を必要とするという点において、新興宗教団体を含む反社会的組織との関係も理解し得るのです。

以上に述べてきた諸点からしますと、今日、民主主義を歪め、その実現を妨げる元凶としての政党の姿が浮かび上がってきます。政党は、むしろ、前近代的な組織原理によって運営されていると言っても過言ではありません。民主的な組織は、上下関係が重視される位階型ではなく、メンバー間の関係がよりフラットで自由な集会型が適しています。政党も政治家も、選挙のたびに‘日本を変えよう’と国民に訴えていますが、真に変わるべきは、政党、否、政界自身なのではないかと思うのです。

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