憲法改正と申しますと、先ずもって誰の頭にも浮かぶのは、日本国憲法第9条ではないかと思います。同条は、戦争放棄を定める故に日本国憲法の最大の特徴であり、この条文があってこそ、戦後長らく日本国の平和が守られてきたと信じる国民も少なくありません。その一方で、冷静崩壊後の中国の急速な軍事的台頭や北朝鮮の核・ミサイル開発問題は、日本国の安全を脅かしております。日本国を取り巻く国際情勢が著しく変化しているため、国民世論も、憲法改正賛成に大きく傾いてきています。このまま憲法改正の流れが加速し、政治レベルでも改正手続きに入る勢いであったのですが、ここに来て、雲行きが怪しくなってきています。何故ならば、コロナ禍を機に緊急事態条項の新設という、新たな問題が浮上してきたからです。
‘新たな問題’とは申しましても、平成24年に公表された「自民党憲法改正案」には、既に緊急事態条項は、第98条並びに第99条(第9章)として書き込まれています。新設されたこれらの条文を読みますと、いささか背筋が寒くなります。何故ならば、これらの緊急事態条項は、政府またはその‘雇い主’である超国家権力体によって濫用、あるいは、悪用されかねない‘隙’に満ちているからです(これらの‘隙’は、敢えて意図的に設けられているのでしょう・・・)。
なお、自民党は、今般の憲法改正に際して強調している「4つの変えたいこと」の一つに「国会や内閣の緊急事態への対応を強化」を挙げています。現在公開されている自民党のウェブサイトでは、同条項新設の必要性について将来における南海トラフ大地震や首都直下地震への備えとして説明しています。その一方で、「自民党憲法改正案」では、想定される事態として「我が国に対する外部からの攻撃」を一番目に挙げており、地震等の災害時については二番目の「内乱等の社会秩序の混乱」に続いて三番目となります。この順序からしますと、2012年にあって想定されていた緊急事態とは安全保障上の有事であったことが分かるのです。
このことは、10年前と今日では緊急事態に関する認識の比重に順位に変化が生じており、今日にあっては、災害時における同条項の活用が現実味を帯びてきていることを示唆しています。マスメディアも、頻繁に南海トラフ地震の発生が近づいているといった警戒報道を繰り返しています。あるいは、多くの国民が懸念しているように、大地震の想定は国民を納得させるための‘表看板’に過ぎず、真の狙いは、今般のコロナ禍といった疫病の蔓延をも緊急事態に含めることで、ロックダウンの強行やワクチンの強制摂取に憲法上の根拠を与えたいのかもしれません。
いささか回り道をしましたが、憲法改正後に緊急事態の宣言がなされる事態として、安全保障上の有事に加え、自然災害という想定されていることを踏まえ(内乱等については、中国や北朝鮮系の国内居住者による蜂起、あるいは、政府に対する国民の反乱への備え?)、以下に、同条項の危険性について検討してみることにしましょう。
先ずもって確認すべきは、緊急事態宣言が発令されますと、日本国の統治権力は、内閣総理大臣に集中するということです。第99条1項には、「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効果を有する政令を制定できるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」とあります。
この条文からしますと、緊急事態宣言が発せられた場合、国会による立法措置を経ることなく、内閣総理大臣は、内閣に諮りつつも自らの独断で法律を制定し、命令を発することができます。加えて、地方自治体の長は内閣の指示に従う義務が生じますので、地方自治も事実上停止されます。結果として、日本国の統治機構における権力分立が、垂直(中央・地方)・水平(立法・行政)の両レベルで消滅することでしょう(司法の独立性も人事等を介して風前の灯火に・・・)。いわば、首相独裁体制とでも言うべき体制が出現することとなります(有事にあっては、何れの国も戦時体制に移行する・・・)。
こうした集権体制は、国民の側の義務の強化によって完成されます。同条の3項には、「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体、財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関が発する指示に従わなければならない」とあり、政府の指示に従う国民の義務が定められています。ここに国民の義務が明記されていますので、同体制下では、国家と国民との間に命令と服従という関係が成立するのです。
緊急事態における強制措置については、自国の存亡に関する危機的な状況、即ち、敵国からミサイル攻撃を受けたり、自国に敵軍が上陸するような場合には一定の根拠を認めることはできます。国民を避難誘導したり、攻撃を受けた場合、被弾に際して被害拡大の可能性のある施設などを撤去する必要があるからです。この点、局所的となる自然災害の方が必要性が高いとは言えないかもしれません。否、今般のコロナ禍のように、ロックダウンが経済活動を停止させたり、ワクチンの効果や安全性に疑いがある場合には、政府による強制的な措置は、むしろ国家が自国民の生命、身体、財産を損ねかねないという問題も生じます。
同宣言の発令条件の曖昧性からすれば、首相による恣意的な決定もあり得ますので、首相への権力集中に対する懸念の声が強まるのも当然です。もっとも、こうした批判や懸念に対しては、国会の関与を根拠とした反論もないわけではありません。確かに、緊急事態宣言の発令に際しても、国会による事前・事後の承認等が定められており、内閣に対して国会の制御機能が働くように設計されています。しかしながら、これらの安全装置も、実際に働くのかどうかは怪しい限りなのです(つづく)。