万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

世界支配の構図から読み解く政治家の不良化

2022年08月30日 13時33分58秒 | 統治制度論
日本国民の多くは、未だに‘お上’を真面目で実直な人々と信じる傾向が強いように思えます。このイメージは、政治家よりも規範からの逸脱を忌む秀才タイプの‘お役人さん’に由来するのでしょうが、二期にわたる安倍政権の下で官僚主導型から政治主導型へと日本の政治状況が変貌を遂げている今日、国民の‘お上’に対する信頼も大きく揺らいできています。否、これまで水面下に隠されていた政治の世界の異常さに、ようやく多くの国民が気付き始めているのかもしれません。それでは、何故、政治家は、かくも国民に対して不誠実であり、新興宗教団体や反社会組織とも高い親和性を持つ‘不良’となってしまったのでしょうか。

ここで一つの作業仮説を提起してみたいと思います。それは、政治家の不良化は、近代以降に至って推進されてきた超国家権力体(イエズス会、東インド会社、近代秘密結社の流れを汲む金融・経済財閥連合?)による世界支配構想においては不可欠であった、というものです。おそらく、同権力体が計画している最終的な未来像とは、全世界を全体主義化し、自らを唯一の支配者とする人類支配体制を構築することなのでしょう(その他の人類にとりましてはディストピア・・・)。そのためには、たとえ国家の枠組みを形ばかり残したとしても、全ての諸国の統治権力を手中にする必要があります。全国家を独裁体制へと移行させ、政治的指導者を一人残らず自らの‘代理人’とすることに成功すれば、同構想は、程なく現実のものとなるのです。

古代ローマが帝国の形成期にあって征服した地の権力者にローマ市民権を与え、自らの支配体制に取り込んだように、上部のみであるならば、支配下に納めることは難しいことではありません。何らかの特権、あるいは、特別の地位や富を与えれば、代理人に‘転向’させることができますし、現地の住民をも代理人を介して間接的に支配することができます。もっとも、上部を‘代理人’に仕立てたとしても、搾取や抑圧に苦しむ国民からの強い抵抗を受けたのでは、自らが構築した支配体制が脆くも崩れ去るリスクが残ります。支配者側からしますと、現地の住民全体をも自らのコントロールの下におけるのであれば、それに越したことはありません。

ここに、反乱や抵抗を回避しつつ、国民全体の支配する一つの方法として、分断作戦というものを見出すことができます。同作戦は、必ずしも異民族支配にのみ用いられた手法ではないのですが、国民が一致団結して支配者側に抵抗し、異議を申し立てないよう、二つ、あるいは、複数のグループが常に反目し合うように意図的に仕向けるのです。この手法がいつ頃、どこで編み出されたのかは不明なのですが、上下から中間層を圧迫し、抑圧してゆく‘挟み撃ち戦略’もこうした分断戦略の一つです。とりわけ、同手法は、ユダヤ系を中核とする超国家権力体の‘得意技’であったように思えます。日本国でも、最下層民を一般の農民の監視や農民一揆の鎮圧などに用いるようになった江戸時代の身分制も、あるいはイエズス会の入れ知恵であったのかもしれません。

分断作戦は前近代にあっても統治の有効な手段として採用されてきたのですが、この手法、近代以降にあってはさらに手の込んだものとなっています。何故ならば、民主主義が普遍的な価値として認められ、これに反する体制は不正なものと見なされるに至っているからです。ところが、歴史には、これらの価値を積極的に全世界の諸国に広めたのは、他でもない、今日にあって世界支配を目論む超国家権力体であったというパラドックスがあります。同権力体の主力メンバーは、国家にあっては常にマイノリティーで差別されてきたユダヤ人であり、フランス革命や明治維新と言った‘アンシャン・レジーム’の破壊を目的とした近代革命を遂行し、自らを‘解放’すると共に国家運営の主導権を握るに当たって、これらの諸価値を一般国民の動員や支持を得るための方便として大いに利用してきたのです。否、普遍的諸価値の実現をスローガンに掲げ、それを熱狂的に支持して破壊に加わる民衆なくして、ユダヤ系組織が世界支配の計画を進めることは不可能であったと言えましょう。

権力側に利用されてきたものが、その必要がなくなれば無情に切り捨てられるのは世の常です。首尾良く体制を転換したものの、超国家権力体にとりましては、これらの諸価値は自らの全体的な支配と利権の独占にとりましてはむしろ不都合な足かせです。国民の大多数が支持する民主主義体制や普通選挙と言った制度も、取り除くべき障害として認識されるのかもしれませんし、富の源泉であった麻薬取引等の利権も規制の対象とされ兼ねません。何れにしましても、社会の健全性を志向する民主主義国家にあって、良識や常識を備えた中間層を支配下に置くために、超国家権力体は基本的には分断作戦を踏襲しつつ、国民主権を意味する民主主義体制を形骸化するための、より巧妙な仕掛けを施したと考えられるのです。

かくして、超国家権力体が民主主義国家で試みた分断作戦とは、上部の政治家等と下部の反社会組織や新興宗教団体の両者を操り、双方から中間層に圧力をかけたり、メディアに命じて世論を誘導しつつ、民主的選挙を演じるというものであったかもしれません。このためには、両者とも国民一般から離れた存在にしておく必要があったのでしょう。長期にわたる両者の協力関係により、上部の政治家と下部の反社会組織やカルト集団とのメンタリティーはやがて似通ったものとなり、政治家は、国民が近寄りがたい‘不良’と化していったと推測されるのです(つづく)。

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