万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

核保有は主権平等を実現する-核は多面的に評価を

2023年02月07日 12時28分01秒 | 国際政治
 今日の国民国家体系では、国家間の対等性を意味する主権平等が基本原則として確立しています。しかしながら、この原則はあくまでも‘建前’であって、実際には、国力の差により国家間関係が対等ではなくなるケースも少なくありません。軍事力を基準として国際社会全体と構造的に理解しようとする現実主義の立場からも、世界は、パワーを有する大国を‘極’とする、超大国による二極構造や三極構造、あるいは、幾つかの大国によって構成される多極構造として説明されます。軍事ではなくマネーをパワーの主要な源泉と見なすならば、もしかしますと、世界は、既に金融・経済財閥が牛耳る一極支配に近づいているのかもしれません。

 何れにしましても、その源泉が何であれ、パワーというものは個々の関係性に多大な影響を与えますので、平等原則を損なう作用があります。否、逆から見ますと、パワーの格差が強者による弱者に対する横暴を招きかねないからこそ、人々は、他者を侵害しがちな強者を制御し、弱者の基本的な自由や権利を擁護するための‘公的なパワー’、即ち、個々のメンバーの私的パワーを上回る統治権力を求め、法や法制度をも発展させてきたのかもしれません。少なくとも現代の統治システムは、時には犠牲を払いながら弱肉強食の野蛮な世界から脱皮しようとしてきた人類の知恵と努力のたまものなのでしょう。

 かくして今日では、パワーの格差に拘わらず、国民の基本的な自由や権利の保護は国家の基本的な役割と認識されているのですが、現実には、権力の私物化は世界各国に見られ、政府が強者のために権力を行使する姿も日々目の当たりにしています。ましてや国際社会に至っては、国家レベルほどには司法制度も整備されておらず、各国は、他国から侵害された場合、個別であれ、集団的であれ、正当防衛権もって自らを護るしかない状況にあります(国連は制度的結果のため機能不全に・・・)。言い換えますと、パワーが未だにものを言っているのが、国際社会の現実なのです。

 しかも、このパワー格差はNPT体制によってさらに強化され、永続的に固定化されています。昨日の記事で述べたように、お世辞にも善良な国家とは言えない国が核兵器国として絶対的な優位な立場にあり、安全保障のための軍事同盟も、非核兵器国にとりましては、一方的な核兵器国に対する依存と、それに基づく上下関係を意味するのです。

それでは、何故、この理不尽な体制が定着してしまったのでしょうか。今日の状況は、核兵器を非人道的な破壊力という一面からしか評価しない態度に基づいています。しかしながら、何事にあっても、多面的に見なければ的確な評価や判断はできないものです。軍事力には破壊力という表の一面がある一方で、抑止力という裏の側面があります。核兵器にも、当然にもう片面の抑止力があります。否、破壊力と抑止力は比例関係にあり、前者が強いほど後者も強まるのです。核兵器を多面的に評価するならば、その抑止力を無視してはならないはずなのです。とりわけ、現在の国際社会が弱肉強食の世界から脱し切れていない状況にあればこそ、抑止力まで放棄させる手法は、核保有国の横暴をエスカレートさせこそすれ、必ずしも諸国の安全性を高めることはないのですから(同盟国である核兵器国による‘核の傘’の提供は、連鎖的に世界大戦や核戦争への道を開いてしまう、あるいは、核攻撃を受けるリスクにも・・・)。

 以上に述べたように、軍事面における核兵器の効果については、抑止力の側面からの再評価が必要とされましょう。そしてもう一つ、非軍事的な分野にありましても、核保有は、主権平等の原則に近づく効果が期待されます。それは、交渉において双方、あるいは、全ての当事国に対等な立場をもたらす効果です。

 法律問題の解決は司法解決が最も適しているものの(現状では上述したように未整備・・・)、双方が根拠を有する政治問題については、外交交渉などの話し合い解決が平和的な解決手段として奨励されています。しかしながら、当事国間にあって軍事力に著しい差がある場合には、交渉の席にあっても強国が有利となることは否めません。最悪のケースでは、対等な立場での話し合いと言うよりも、強国による弱小国に対する武力による威嚇に等しい脅迫の場となってしまうのです。当事国の双方が納得する合意を形成するためには、その前提として全ての当事者が対等である必要があります。この意味においても、核保有は、政府間交渉における対等化の効果が期待し得るのです。違法に核を保有した北朝鮮が、朝鮮戦争の休戦にあって初めてアメリカ大統領とのトップ会談は実現したのが、悪例ながらも核による対等性の事例とも言えましょう。

 北朝鮮の核開発については、それが詐術的な違法行為であった故に当然に非難されるべきであり、実際に同国は激しい国際的な批判を浴びることとなったのですが、より広い視点から見ますと、この事件は、NPT体制の破綻として捉えるべきなのかもしれません。当事は北朝鮮に核放棄を求める声で埋め尽くされていたものの、ウクライナ紛争に直面している今日にあっては、全諸国が核を保有する相互抑止体制の方が、よほど平和に資するかもしれないからです(世界権力は、対立や争いから利益を得る戦争利権の権化でもあるので、平和の実現は見えない‘一極支配’をも終焉させるかもしれない・・・)。果たして、核兵器解禁論は暴論なのでしょうか。それとも、日本国を含む全ての諸国の安全性を高めると共に、主権平等の原則を現実のものとする‘切り札’なのでしょうか。

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