万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国際移住機構の基本理念は正しい?

2023年07月25日 13時31分05秒 | 社会
 2018年末の安倍政権時代に入国管理法を改正し、日本国政府は外国人労働者の受け入れ拡大に向けて舵を切ることとなりました。外国人労働者の日本国内での定住を想定している点において、同法の改正は労働市場の開放のみならず、移民推進政策への転換として捉えられたのです(永住資格の取得に繋がる特定技能2号への移行規程の設置)。安倍首相暗殺事件を機に自民党の体質が露呈した今日にあって振り返ってみますと、自公政権による移民政策の推進は、保守政党の看板を掲げていた自民党の‘偽旗作戦’であった証ともなるのですが、移民政策をめぐる政府側の国民に対する一方的な‘耐忍要求’は、今に始まったわけではありません。

 国連をみますと、世界人権宣言や国政人権規約等の成立に寄与するなど、同機関は、グローバルな移民の保護・推進機関の役割を果たしてきています。例えば、2016年9月には、「難民および移住に関する国連サミット」が開催され、ニューヨーク宣言が採択されています。この際には、国連とは別機関として1951年に設立された国際移住機関(IMO)も、国連機関の一員に加わりました。そして、まさしく日本国の入管法改正と同時期となる12月10日には、ニューヨーク宣言に基づいて「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」並びに「難民に関するグローバル・コンパクト」が採択されているのです。なお、改正法の成立は、「世界政府」とも称されている世界経済フォーラムの年次総会を翌2019年1月22日から25日に控えていた時期でもありました。

 このように、日本国の移民受け入れ政策への転換は、グローバルな動きと連動しているのですが、移民の増加による治安の悪化や社会的な対立や分断の深刻化は、今や移民受け入れ国に共通する社会問題となっています。積極的な推進策をとる政治サイドでは、政府レベルであれ、政党レベルであれ、外国人差別反対や多文化共生主義などを掲げ、受け入れ国の国民に対して寛容を求めています。‘寛容’という言葉自体は柔らかなのですが、現実には、言論の自由を侵害しかねないヘイトスピーチ法やポリティカルコレクトネスなどによる社会的規制が敷かれ、殆ど‘強制された寛容’に近い状況を呈しているのです。

 結局、受け入れ国の国民の不満ばかりが高まる結果を招いたのですが、それでは、何故、このような事態に陥ってしまったのでしょうか。その理由は、上述したIMOの基本理念を読みますと、自ずと理解されてきます。IMOの基本理念とは、「正規のルートを通して、人としての権利と尊厳を保障する形で行われる人の移動は、移民と社会の双方に利益をもたらす」というものです。同理念で注目されるのは、移動する側の権利と尊厳が保障されれば、移民と社会の両者に利益をもたらすとしている点です。この基本理念を文字通りに解釈しますと、人権や尊厳の保障は、移民の側にしか及ばないこととなりましょう。

 理念とは、あくまでも言葉で表現された活動の方向性を示す精神的な原則に過ぎません。このため、理念と現実がかけ離れることは珍しいことではなく、むしろ、理念の先走りが現実にリスクや損害をもたらすことも少なくありません。IMOの理念も例外ではなく、現実には移民する側のみの権利や尊厳を保護さえすれば、必ずしも受け入れ側の社会に利益をもたらすわけではないのです。否、多くの国で移民問題が表面化しているように、忠実に同理念に従った結果、一般の国民は、犯罪リスクに直面するのみならず、様々なルートを有する移民の側からの文化的寛容の要求に苦慮していると言えましょう。

 昨今、イスラム教徒による土葬許可の要求が報じられていますが、IMOの基本に従って移民側の文化をも受容せざるを得なくなりますと、今後は、インドの風習が根付いて全国の河川敷にあって水葬を目にする日も訪れるかもしれません(チベット人が要求すれば風葬も・・・)。移民問題については、IMOのアンフェアで非現実的な基本理念、否、移民ビジネスから巨額の利益を得ている偽善的な世界権力の基本方針という問題にまで遡って考えるべきであり、受け入れ側の諸権利の保護を認めないことには、事態は悪化の一途を辿るばかりではないかと危惧するのです。

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