万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

防衛には合理性の徹底が必要では-勝てない戦争の問題

2022年11月30日 11時27分05秒 | 国際政治
 日本国政府は、NATO諸国の基準に合わせて防衛費をGDPの2%に当たる額まで増額する方針を示しています。財源は増税と言うことなのですが、防衛の分野では、予算の配分に際して合理性に徹しませんと、全くの無駄になってしまうことも稀ではありません。

 昨日、11月29日に米国防総省が発表した中国の軍事活動に関する年次報告書によりますと、中国は、1935年を目処に核兵器の保有数を現在の4倍強となる1500発まで増強する方針なそうです。‘持てる国’と‘持たざる国’との格差は広がるばかりなのですが、NPT体制の致命的な欠陥を考慮しますと、日本国政府の軍備増強は、無駄などころか日本国を滅亡させかねないリスクがあります。

 それでは、何故、軍備を増強すると日本国が消滅するのでしょうか。力には攻撃力と抑止力の両面がありますので、今般の防衛力増強の方針については、反撃能力を備えることも目的の一つとされていますので、攻撃・抑止の両面を強化する一石二鳥の策と言えましょう。自公政権の説明は、抑止力の側面を強調しているものの、同時に攻撃力が強まることも確かなことです。しかしながら、今日、国際社会には、NPT体制が成立している点を考慮しますと、必ずしも反撃力への傾斜的予算の配分が、自国の安全と繋がるとは限らないことに気がつかされます。

 何故ならば、NPTを遵守している限り、日本国は、通常兵器のみで戦わざるを得ないからです。その一方で、中国は、上述したように核兵力の増強に踏み切っています。NPTでは、核保有国に対して核軍縮の協議を行なうように義務づけているのですが、中国には、同義務に従う意思はさらさらないのです。言い換えますと、仮に中国が核兵器の使用に踏み切った場合、現時点でさえ400発程の核ミサイルを保有しているのですから、非核保有国は、核ミサイルの一斉攻撃を受け、国家滅亡を運命付けられてしまうのです。この運命は、たとえ日本国が反撃能力を備えたとしても、免れることはできません。先制攻撃となる第一撃において中国が日本国の反撃力を予め完全に排除するために核兵器を使用するケースも想定されるのですが、通常兵器による戦いから始まったとしても、日本国並びに日本国民の置かれる状況はあまりにも悲劇的です。

 ウクライナ紛争にあっては、ロシアは、現段階では核兵器を使用しておらず、双方共に通常兵器の戦いに終始しています。また、国際社会では、核保有国に対して核の不使用が強く訴えられています。このため、核の使用は考慮から外しても構わないとする楽観的な見解もないわけではありませんが、通常兵器による戦いは、日本国にとりまして悲惨な結果しか予測できないのです。

 第一に、使用兵器を通常兵器戦に限定した場合、戦争の長期化が予測されます。日本国政府の計画が実現すれば、今後、防衛費は5年間の総額で凡そ40兆円に増額されますし、GDP2%の予算原則を継続してゆけば、防衛力が強まることは確かです。また、日米同盟に基づく米軍の援軍も期待できますので、通常兵器戦での戦いは必ずしも不利とは言えません。しかしながら、GDP規模で日本国を上回る中国の軍事予算は日本国を遥かに上回ります。しかも、同年次報告書が指摘するように、中国の兵器開発は、宇宙空間をも視野に入れており、「インテリジェント化」も積極的に推進しています。近い将来、中国の軍事力は量と質の両面においてアメリカを上回るとする予測もありますので、時間の経過と共に、通常兵器戦でも日米側が不利に傾くと同時に、戦争は、泥沼化してゆくものと予測されるのです。

 通常兵器のみによる戦いは、戦争の長期化に伴う延々と続く双方の人命の犠牲と国土の破壊を意味します。勝敗を決するような決定的な出来事が起きない限り、戦争状態がだらだらと続く一方で、国民は、たとえ休戦協定が成立したとしても、長期に亘り凡そ全体主義と同義となる戦時体制下に置かれます(オーウェルが描いた『1984年』の世界・・・)。人的、物的被害が日本国を蝕み、資源も軍備に優先的に配分されますので、経済が衰退すると同時に国民生活も困窮することでしょう。

 第二に、通常兵器戦で日本国側が優位な戦況となっても、核保有国が相手国となる戦争では、戦争の勝敗はいとも簡単に覆されてしまいます。日本国の勝利が目前となれば、最終兵器として中国は核を使用することでしょう。現在、ウクライナに対して核兵器が使用されていないのは、劣勢が報じられつつも、ロシアは核兵器使用を決断するほどには追い詰められていないからとされます。日本国内でも、集団的自衛権の発動や反撃能力については、「存立危機事態」に際しては許されるとする見解が示されていますが、ロシアであれ、中国であれ、核保有国は、同様の論理によって核兵器の使用を躊躇わないものと推測されます(中国の1500発の核兵器は日本国を壊滅させることはできても、日本国は、その逆はできない・・・)。

 中国の核使用については、日本国に同盟国であるアメリカがさしかけている‘核の傘’を以て抑止されるとする期待があるものの、対日核攻撃を目の当たりにしたアメリカが、自国への報復核攻撃を覚悟してまで核兵器による対中反撃を試みるかどうかは未知数です。否、自国の安全を優先し、核による対中報復を思いとどまる可能性の方が高いと言えましょう。この観点からニュークリアシェアリングを見ますと、日本国への米軍の核配備は、双方の報復による核戦争の舞台が日中両国になるか、あるいは、核のボタンを握るアメリカの判断により日本国配備の核ミサイルは発射されることなく放置されるかもしれません。

 以上に述べましたように、通常兵器による戦いは、決定的に日本国側に不利となります(ただし、‘通常兵器’が、中国から発射された核ミサイルをすべて打ち落とす能力がある場合のみ、購入配備する価値はある)。となりますと、この否定しがたい事実を前提とした防衛政策を策定しないことには、日本国政府による軍備増強は気休めにしか過ぎなくなります。そこで、より現実的な対応を試みるとすれば、反撃能力を備えるならば日本国は独自に核を保有すべきですし、「武力攻撃事態」並びに「存立危機事態」に直面しても、あくまでもNPTを遵守するならば、防衛予算は、ミサイルによる大規模攻撃に備えた反撃能力よりも地対空ミサイルやミサイル防衛システムの導入といった防衛面に重点的に配分すべきと言えましょう(原子力発電所の周辺にも配備が必要かもしれない・・・)。防衛政策には徹底した合理性並びにリアリズムが必要であり、これらをなくしては、国家や国民を守ることはできないと思うのです(つづく)。

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