万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

コロナワクチン集団訴訟に見る政府の無責任

2024年04月26日 11時04分18秒 | 日本政治
 新型コロナウイルス感染症の出現は、人類史上初めてmRNAワクチンが実用化される機会となりました。パンデミックへの対応を理由とした緊急承認によるものですが、同ワクチンをめぐる政府の対応は、国民に拭いがたい政府不信を残すことにもなったのです。何故ならば、同ワクチンを接種する人が増えるにつれ、健康被害を疑う声が広がりつつも、政府は、アナフィラキシー等の一般的なワクチンの副反応については認めたとしても、頑としてmRNAワクチンと健康被害との因果関係を認めようとはしなかったからです。今なおこの頑迷な姿勢は続いており、岸田政権の支持率低下の一因とも言えましょう。
 
 国民の政府に対する不信感が募る中、今月の4月17日に至り、ようやくコロナワクチンによる健康被害を訴える集団訴訟が起こされることとなりました。政府は同ワクチンの危険性に対して十分な情報を提供せず、同情報隠蔽は、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利の尊重を定めた憲法第13条に違反するとして損害賠償を訴えたのです。

 もっとも、同条は、‘公共の福祉に反しない限り’とする制限付きではあります。このため、政府は、おそらく国民多数の命を守るため、すなわち、集団免疫の成立を目的とした政策であって、公共の福祉により正当化し得ると主張するのかも知れません。しかしながら、百歩譲って集団免疫を実現させるための政策であったとしても、リスク情報の隠蔽が正当化される事由となるとは思えません。人体に対してmRNAワクチンには不可逆的な影響を与えるリスクが既に指摘されていたのですから、実際にワクチンに死亡リスクや健康被害リスクがあれば、政府が掲げた目的とは逆に、国民多数の命を危険に晒す可能性もあったからです。すなわち、リスク情報の隠蔽は、国民の判断を接種の方向に誘導しますので、殺人の罪や傷害の罪となりかねないのです(故意、あるいは、未必の故意・・・)。否、そもそも、如何なる場合であれ、政府による情報隠蔽や情報操作が許されるはずもなく、政治責任に留まらず、刑事責任を問われても致し方ないと言えましょう。

 なお、集団訴訟を受けて林官房長官は、「不可避的に生じるリスクがあること、健康被害については、予防接種法に基づく健康被害救済制度があることなどについて周知を行っていると承知している」と述べています。如何なるワクチンであっても、多少のリスクは付きものであるから、救済制度を利用すればよし、ということなのでしょう。実際に、損害賠償を訴えている13人は、政府から因果関係を認められた方々です。賠償請求額の総額は凡そ9100万円であり、同額には、慰謝料や未払いとなった死亡給付金が含まれているそうです。救済制度の対象と認められる場合には、裁判所が賠償金の支払いを政府に対して命じ、かつ、政府もこれを認める可能性もあるのですが、問題は、政府に誘導されてワクチンを接種してしまったその他の国民の被害です。

 同訴訟は、政府の情報隠蔽行為を憲法第13条違反とするものですので、実のところ、国民全員が原告となり得る性質のものです。とりわけ、今日、超過死亡者数の急激な増加、並びに、万単位の健康被害が報告されており、漠然とした体調不良を訴える人々を含めますと、表に出ないまでも水面下では相当数の被害が発生しているものと推測されます。しかも、世代を超えてマイナス影響を与える可能性もありますので、実際の被害がどの程度であるか、皆目見当も付かない状況なのです。今後、医科学的にmRNAワクチン、あるいは、同ワクチンの‘内容物’の有害性が証明されれば、政府も因果関係を認めて被害を認定せざるを得なくなりましょう。仮に、全ての被害者が国に対して賠償するとしますと、その額はかなりに上るものと推測されるのです。ワクチン救済制度は、極めて少数の健康被害を想定していますが、それが多数となるのですから、政府の義務的支出は膨れ上がることになります。

 国の責任は重いものの、賠償金は国庫より支払われますので、政治家や厚生労働省といった政府の構成メンバーの懐が痛むわけではありません(もっとも、刑事責任が問われる可能性はある・・・)。河野太郎氏をはじめ、政治家は、しばしば‘私が責任をとります’といった言葉を軽々しく口にしますが、実質的に失政の責任を負わされるのは、国民自身なのです。救済予算確保を口実として、岸田政権は、今度は‘ワクチン救済増税’を言い出すかも知れず、国民は、踏んだり蹴ったりなのです。

 今日の状況を見る限り、政府が強力に推進したワクチン事業は、真に国民のためのものであったのか、疑問になります。無料接種とはいえ、その費用は全て国民の負担ですし、被害が生じれば、その賠償も国民の負担となります。肝心のワクチン効果につきましても(政府の説明も二転三転している・・・)、接種しなかった場合との比較は悪魔の証明ともなりますので確証はなく、自身、あるいは、身近な人々にも健康被害が疑われる症状が散見されるとなりますと、武漢に始まる一連のコロナ禍とは、一体何であったのか、否が応でも疑いは深くなるばかりなのです。何れにしましても、政府や政治家が自らが責任をとりきれないような政策を国民に押しつける現状のシステムは、制御機能を強化する方向において、改革を要するのではないかと思うのです。

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