昨今、日本国内では、公的年金制度の改革案をめぐって国民から不安の声が上がっています。国民年金であれ、厚生年金であれ、公的年金制度は、国民全員の生涯設計の基礎となりますので、否が応でも関心が高まるのですが、同改革案は、今日の日本政治の問題点を明らかにする機会ともなったようです。
マスコミから漏れ伝わるところに依りますと、今般の改革案では、(1)国民年金の納付期間を5年延長する、(2)遺族年金を廃止する、(3)在職老齢年金の支給停止額の緩和といった方向での検討が進んでいるそうです。ところが、(1)の5年延長案にしても、納付期間を40年(480ヶ月)から45年(540ヶ月)に伸ばすのか、それとも、納付終了の年齢を60歳から65歳に変更するのか、これらの何れであるのか判然としていません。前者の納付期間であれば、既に60歳以上の年齢で保険料を納め終えた人々にも、延長分の60ヶ月分の納付義務が生じ、65歳を超えても払い続けなければならなくなるかもしれません。例えば、64歳11ヶ月で改革が施行された人の場合には、さらに5年(60ヶ月)払い終えてからの支給となりますので、69歳11ヶ月においてようやく受給開始年齢に達するケースも想定されてきます。また、既に65才以下の年齢で繰り上げ受給している人々の扱いも不明ですし、逆に、65歳以降の繰り下げ受給を予定している人々も65歳を超えての納付義務が生じるならば(540ヶ月納付しなければならないため)、同制度の利用期間が縮小されてしまいます。一方、後者であれば、65歳を越えての納付期間の延長はないとしても、60歳から65歳までの人々は、不足分の一括納付を求められる可能性もありましょう。(2)につきましても、遺族年金を廃止すれば生活が成り立たなくなる高齢女性の激増が予測されます。すなわち、国民の生涯設計に深刻な影響を与えるにも拘わらず、具体的な改革については詳らかではありません。納付延長は、義務なのか任意なのか、移行措置や猶予期間が設けられるのか、否かも、一切、不明なのです。
公的年金の改革案については、目的も明確ではありません。少子高齢化に伴う公的年金制度の破綻を防ぐため(納付期間を延長しなければ、将来の給付額は3割減となるとする脅迫的な説も・・・)、若年層の負担を軽減するため、国民年金のみの加入者の老後を安定させるため、あるいは、高齢者の就業を促進するためなどの所説が唱えられています(同改革案の如何によっては、政府負担の分増加による財政の圧迫、納付額の増額と受給期間の縮小による老後の経済状態の悪化、生活保護の増加などの‘逆効果’や深刻な’副作用’もあり得る・・・)。
その一方で、世界最大の‘機関投資家’でもある年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の収支報告では、毎年、数兆円の収益を上げており(GPIFの収支は黒字・・・)、年金破綻説への強力な反論となっていますし(GPIFは賦課方式による積立金の不足分を補う目的で設立されている・・・)、消費税増税に際しても公約を守れば、政府負担分を増やすという方法もありましょう。財源不足という前提が崩れれば、早急な改革の必要性も自ずと低下します。若年層の負担軽減説も、高齢世代による長年の積立金が公的年金制度を支えているとする見方もできましょう。
以上に述べてきたように、公的年金の改革案は疑問に満ちているのですが、これらの不透明性に加えて驚かされるのが、国民はおろか、同案の詳細を国会議員でさえ知らされていないという事実です。報道に依りますと、遺族年金の廃止案がSNSで拡散したことから、片山さつき議員が独自に調査を行ない、厚生労働省に問い合わせを行なったそうです。同議員は、Xにて廃止案の存在を否定したのですが、この報道は、国会議員といえども、重要法案の内容については自ら動いて調べなければ分からない、という日本政治の深刻なる現状を示しています。国民のみならず、立法府である国会の構成員である議員が法案の内容を知らないのですから、この問題は深刻です。因みに、岸田首相も、何も決まっていないと述べています。
これでは、一体、国会が何のためにあるのか、その存在意義が問われることとなりましょう。厚生労働省が決めているのでしょうか。それとも、有識者会議なる審議会なのでしょうか(第32回社会保障審議会は今年の1月26日に開催されている・・・)。今年2024年の8月に予定されている5年ごとの財政検証結果の公表に合わせて社会保障審議会の部会での検討が行なわれているとされますので、おそらく、同部会においての提案であったのかも知れません(法改正は2025年に予定とのこと・・・)。何れにしましても、現行のシステムでは、国民も国会議員も関与しないところで、国民が直接に影響を受ける公的年金制度の変更が決定されてしまうかもしれないのです。
民意を反映すべき民主主義の観点からしますと、政策がどこからか降って降りてくるような現状は、由々しき事態と言わざるを得ません。同改革の真の決定者が、世界経済フォーラムと行った海外の外部者である可能性も否定はできないのです。公的年金制度にもまして改革すべきは、発案者、あるいは、‘工程表’の作成者が‘藪の中’となってしまう現行の不透明で無責任な政治制度なのではないかと思うのです。