世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。
近年、グローバリズムの理想化された世界ヴィジョンに背を向ける反グローバリズムの嵐が各国で吹き荒れるようになりました。フランスで発生している激しい反マクロン抗議デモも、それが何らかの勢力に煽られたものであれ、グローバリズム、否、新自由主義に対する抗議行動の一環として理解されます。
こうした反グローバリズムの動きは、一般的には、産業の空洞化に見舞われた先進国の人々の間で起きているとされています。製造拠点の海外移転、移民の増加による雇用不安と賃金の低下、治安の悪化等々、どれ一つを取りましても一般の人々が反グローバリズムに転じる尤もな理由です。ポピュリズム批判もこの側面を根拠としているのですが、それでは、グローバリズムは、その恩恵を受けるとされる企業側に対して‘勝ち組’の地位を約束しているのでしょうか。
企業にとりましては、国境を越えて自らのビジネスを展開できるようになるのですから、グローバルズムはチャンスとなるはずです。しかしながら、幾つかの点で、企業もまたグローバリズムの‘負け組’に列する可能性があります。グローバリズムとは、相互の市場を隔ててきた障壁を取り払い、フィールドを拡大することを意味しますので、自国市場に手強い競争相手が参入してくれば、‘負け組’が発生するのは必然です。羊さんがのんびりと草をはむ牧場の垣根が取り払われれば、獰猛で狡猾な狼さんに食べられてしまう羊も現れてしまいます。また、貿易障壁の撤廃をチャンスとみて他国の市場に参入しても、競争力に乏しければ、ここでも‘負け組’の運命を余儀なくされます。
こうした競争の激化による表に見える‘負け組’に加え、グローバリズムには、表面から見えづらい‘隠れ負け組’も存在しているように思えます。この‘隠れ負け組’は、グローバル市場では‘規模の経済’が有利に働くがために生じる、企業間の国際連携や結合、あるいは、M&Aによって拡大したグローバル企業においてしばしば観察されるパターンです。このパターンは、日産のゴーン元会長逮捕劇を通して、既に人々の意識に上るようになっております。
仏ルノーの出資を受けて再建した日産では、ルノー側から派遣されたゴーン前会長による半ば独裁体制が敷かれるに及び、“三社連合”の美名のもとに、日産の利益がルノー側に吸収されてしまうという構造が構築されるようになっておりまいた。さらに、日産は、ルノーに子会社化される寸前でもありました。ゴーン前会長逮捕後も日産の独立性に関する危機は続いており、特に、日産がその技術力を以って育んできたバッテリー部門は、子会社と共に中国系ファンドに売却される予定であるそうです。グローバルな視点からすれば、日本で開発された先端技術を大量生産に適した中国に移転すれば、最適な事業体制の下でグローバル市場を闘うことができます。買収、あるいは、提携した企業の技術力を利用するだけ利用して、‘捨て石’にするという経営判断は、グローバル企業の経営陣にとりましては至極当然であり、かつ、必要不可欠な戦略なのです(出資比率に拘わらず、このパターンは起こり得る…)。
このように考えますと、ルノー・日産・三菱自動車の三社連合、あるいは、独ダイムラーを加えた4社連合は(既にルノー・ダイムラー、並びに、三菱自動車・ダイムラー間に出資関係がある…)、グローバル企業としては表面的には‘勝ち組’に映りますが、その実、技術力を抜き取られてしまった日産や三菱自動車には、‘隠れ負け組’となる運命が待ち受けているかもしれません。
日産の場合には、経営が傾いたことで仏ルノーとの提携に踏み切りましたが、今後は、グローバル市場での競争を想定して規模の拡大を目指すより、シンプルなM&Aも増加することでしょう。しかしながら、国内企業間の合併でも指摘されるように、出資比率等により企業合併は必ずしも対等性が確保されるわけでも、利益が均霑されるわけでもなく、何れかの企業が‘隠れ負け組’となるリスクは否定できません。すなわち、‘勝ち組’企業体の一角を構成していながら、実は、“負け組”となってしまう企業が続出する可能性があるのです。グローバリズムの波に乗った国境を越えたM&Aはきれいごとでは済まされない段階に至っており、特に、中国系企業やファンドによる日本企業買収の増加には、国家戦略が背後に控えている故に警戒を要するものとなりましょう。
日本企業は、グローバル化によって‘捨て石’となる覚悟はあるのでしょうか。日本国の経済界は、グローバリズム歓迎一色のようにも見えますが、技術力において優りながらも規模に劣る日本企業が‘隠れ負け組’となるリスクが存在することも、慎重に考慮するべきなのではないかと思うのです。
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日本国が満州に権益を得たのは、1905年9月5日に日露間で締結されたポーツマス条約に始まります。日露戦争の講和条約である同条約では、ロシア側が満州鉄道に関する権利を日本側に移譲するべきことが記されています(同条約第6条)。満州国建国への道の出発点にあって、真っ先に交通インフラが押さられた点が、今日の中国が提唱する「一帯一路構想」とも重なって興味深いのですが、‘日本国裏切り説’とは、まさに、満州の地に日本国の勢力が及ぶきっかけとなった日露戦争に関わる密約説なのです。
それでは、‘日本裏切り者説’とは、どのようなものなのでしょうか。日露戦争を前にした日本国政府の最大の悩みは、戦費の調達にありました。当時にあって東洋の小国と見なされていた日本国に対する国際的な信用は低く、誰もが、ロシア帝国を相手にした戦争に勝てるとは思わなかったからです。この時、戦費調達に苦戦する日本国政府の前に現れたのが、ユダヤ人銀行家のジェイコブ・ヘンリー・シフでした(シフ家はロスチャイルド家と同じくフランクフルトのゲットー出身であるものの、ロスチャイルド家は、日本国の戦時国債の引き受けを断っている…)。この時、高橋是清の要請を受けてシフが500万ポンドの日本国債を引き受けると共に、他のユダヤ系銀行にも働きかけたため、戦費調達に成功した日本国は、日露戦争に勝利することができたのです。
シフの動機は、ロシアにおけるポグロム(ユダヤ人迫害)に対する報復とされていますが、上記のポーツマス条約の条文からしますと、戦利品の分け前にあずかることもその一つであったかもしれません。何故ならば、シフは、鉄道投資で知られた銀行家であったからです。つまり、ロシア帝国から満州の地の鉄道利権を獲得し、満州鉄道の運営に関与することこそ、シフの目的であったかもしれないのです。あるいは、満州の地を‘流浪の民’であったユダヤ人の安住の地の候補とみなしていた可能性もあります。実際、1930年代にあって、日本国では、満州国にユダヤ人自治区を建設する「河豚計画」が進められており、満州とユダヤ人との間に流れる水脈の存在を裏付けているのです(同計画の発案者は、日産コンツェルンの創設者でもある鮎川義介氏…)。
以上に満州とユダヤ人との関係を簡単にスケッチしてみましたが、‘日本裏切り説’とは、結局、日本国政府が満州鉄道の運営権を独占し、かつ、日独伊三国同盟の締結によって最終的に「河豚計画」が頓挫したように、日本国が、徐々にユダヤ人の思惑や利益から離れ、ユダヤ人勢力を満州から排除したこと意味することのようです。巨額の資金を提供したユダヤ人から見ますと、日本国は、恩知らずの‘裏切り者’ということになるのでしょう。しかしながら、仮にこの説が正しければ、実のところ、ユダヤ人の行動は、今日にも繋がる重要な問題を提起しているように思えます。それは、国家にお金を貸した側には、国家の政策決定に口を挟む、あるいは、公的利権を獲得する権利があるのか、という問題です。
ポーツマス条約の内容からしますと、シフは日本国に対して満州鉄道の利権を求めた節があります。ユダヤ人の‘常識’からしますと、借り手(国家)は貸し手に利益(政策権限や公的利権)を提供すべき、ということなのでしょう。しかしながら、ユダヤ人以外の大半の人々は、この考え方を共有していません。日露戦争では、203高地の争奪戦で知られる旅順攻囲戦だけでも戦死者16000人を数え、総数では11万5600人にも上ります。白木の箱で家族の元に帰った兵士も多く、満州の地における日本国の権益は、まさしく日本人の命の犠牲の上に築かれたのです。
株主に権利を認める株式とは違い、債権は、保有者に対し、発行者の行為に関する何らの支配的な権利も与えていません(株主権についても原点に返って見直す必要もある…)。シフが満州鉄道の運営権を要求したとすれば、それは日本国政府、あるいは、高橋是清とのシフとの間で秘かに結ばれた‘密約’であったはずです。そして、その秘匿性と債権の性質を考慮しますと、そもそもユダヤ人の対日要求は過剰であり、ユダヤ人が日本国を‘裏切り者’として恨むのは、満州の地で若者が血を流し、家族を失った日本国民からしますと不当な‘逆恨み’ともなりましょう(日本人は、ユダヤ人に利用されたのか…)。
真偽はされおき、‘日本裏切り者説’は、時代状況の違いこそすれ、ヘンリー・キッシンジャー氏において繰り返されるのですが、‘日本国は裏切り者であるから悲惨な目に遭うのは当然’とするユダヤ人の見解には疑問を抱かざるを得ません。むしろ、貸し手が借り手に対して支配的な権利を有することを当然視するユダヤ人の考え方にこそ、誤りがあるように思えるのです。今日、「一帯一路構想」にあって、中国もチャイナマネーで相手国を借金漬けにし、支配権を及ぼそうとしておりますが、貸し手と借り手とのバランスの問題は、グローバリズムがもたらす‘新植民地主義’とも相まって、全人類が論ずべき重要課題であると思うのです。
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外国人就労の都市集中是正を明記 受け入れ拡大新制度の全容判明
12月8日未明、大半の国民が懸念と不安を抱いている中、日本国の政府与党は、入国管理法を国会にて強引に成立させました。国会においては詳細を語らず、年内に具体的措置を公表すると約したもの、既に、アジア7ヶ国とは協定締結の段階に至っており、国内を後回しとする一方で、既に送り出し国との間の‘根回し’は済んでいたのでしょう。国内軽視の態度に国民の政府に対する不信感は募るばかりなのですが、送り出し国として認定されたアジア7ヶ国を見ますと、国民側の不安感は更に高まります。特に同7ヶ国に中国が含まれていることは、あらゆる面においてリスクとなりましょう。
当初、政府は、外国人労働者の受け入れに際しては出身国を選別するとし、幾つかの条件を挙げておりました。その中の一つは、日本国内における失踪件数が多い国が含まれていたはずです。同条件に照らしますと、少なくとも外国人技能実習生制度にあって最多の失踪者を出している国は中国ですので、この政府説明を聴いた国民の大半は、入管法が改正されたとしても中国は対象から外れると信じていたはずです。ところが、蓋を開けてみますと、協定相手国に中国の名が見えるのです。
再度、日本国民は政府に騙された形となるのですが、もしかしますと、日中関係改善を謳って安倍首相が訪中した辺りに中国からの強い‘要望’、あるいは、両国間での‘密約’があり、同法案が上程された時点にあっては、既に中国との間で‘話が付いていた’のかもしれません。そして、今後に予測される在日中国人の増加は、現時点でさえ顕在化し、深刻化が指摘されている‘移民問題’を悪化させかねないのです。
ここ数年、首都圏郊外の団地では中国人住民が過半数を越えるケースが報告されるようになり、特定の地域が中国人居住区地域となる‘治外法権化’の怖れも現実味を帯びてきております。近年、急速に増加した在日中国人人口は、日本国籍取得者を合わせれば100万人にも上り、その人口パワーは無視できない状況に至っています。世界各地で中華街を造ったように、中国人には、同郷・同族意識が強く、閉鎖的なコミュニティーを形成する傾向があります。おそらく、これらのコミュニティーは、本国を中心とした全世界の華僑ネットワークで繋がっており、華僑コミュニティーだけを繋げば、既に、エアな‘世界帝国’は出現しているのかもしれません。
そして、自国の国家内部に他国の主権が及ぶ半ば独立的な地域が出現する‘国家内国家’のリスクは、居住国と出身国との間で政治的な対立が深まるほどに深刻化するのは世の常です。今日、アメリカのペンス副大統領の演説によって‘米中新冷戦’の幕が切って落とされた感がありますが、米中対立は、アメリカの同盟国である日本国の安全保障に対しても多大な影響を与えます。中国では『国防動員法』が制定されており、国際社会の一般原則としては領域主権が対人主権に優先さえるものの、国際法に対する順法精神が皆無に等しい中国では、有事に際し、日本国内に居住する全中国人に対して総動員をかけることでしょう。2008年の北京オリンピックの聖火リレーをめぐり、長野に中国人が結集したように…(当時、中国によるチベット弾圧が国際的な批判を浴び、中国を糾弾する全世界的な‘フリーリベット’運動が起きていた…)。この時、日本国政府は、動員令の下で決起する、あるいは、‘工作員’に転じた100万人を越える在日中国人に対応し、日本国民の安全を守ることができるのでしょうか。
今般の単純労働者を想定した新資格に加え、高度外国人材制度や起業等の在留資格に基づく在日中国人数も増加しており、今では、一般企業のホワイトカラー職や専門職も就業している中国人も少なくないそうです。中国は人口大国なだけに、日本国政府は、経済面のみならず、社会や政治面におけるリスクを考慮し、少なくとも、改正入管法における対象国から外すべきではないかと思うのです。
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中国、「製造2025」戦略推進を抑制 米中協議に配慮か
米中貿易戦争は、トランプ米大統領の対中提案によって、一先ずは90日間の休戦中にあります。その後の中国側の反応を見ますと、習近平国家主席が打ち上げた「中国製造2025」の戦略を抑制する動きが報告されており、中国による譲歩との憶測も広がっております。こうした中、アメリカのロス商務長官は、「機密情報を盗んだり、技術移転を義務付けたりといった不適切な手段を用いることに反対している。公平な環境である限り、われわれは喜んで中国と正面から競争する」と語ったそうです。
アメリカ側の要求の核心はフェアな競争条件の実現であり、この条件が充足されさえすれば、アメリカは中国を敵視しない、即ち、対中制裁関税も撤廃する用意があるということになります。しかしながら、この条件を実現するに当たって、中国の前には、幾重にも高い壁が立ちふさがっているように思えます。
ロス商務長官が具体的な事例として指摘した‘機密情報の盗取’や‘技術移転の義務付け’については、中国にとりましてそれ程難しい課題ではないはずです(もっとも、中国産業界が、この2つの方法によってのみ成長がある場合には、やはり難しい…)。また、しばしば批判を受けてきた自国企業に対する手厚い政府補助についても、あるいは、習主席の‘鶴の一声’で一夜にして廃止されるかもしれません。しかしながら、共産主義国家である中国が、他の自由主義国との間で競争条件を等しくするためには、避けては通れない政治的な難題があります(なお、経済的問題については別の機会に…)。それは、中国の国家イデオロギーである共産主義が正当化している政治と経済との一体性、即ち、共産党と経済との結びつきです。
今般、カナダで逮捕され、保釈されたファウェイの最高財務責任者・孟晩舟容疑者の父親であり創業者である任正非氏は人民解放軍の元軍人であり、同社の躍進には共産党のバックアップがあったことは想像に難くありません。アリババのジャック・マー氏も自らが共産党員であることをカミングアウトしましたが、国内市場で成功を収め、グローバル市場でも闊歩している中国企業の全てが、たとえ株式を公開し、民間の株式会社を装いつつも、共産党の‘尖兵’、あるいは、末端組織の役割を担っているのです。近年では、法律によって民間企業に共産党組織を設置することを義務付けており、もはや、共産党との関係を隠さなくなりました。
こうした企業支配に加えて、中国共産党には、公営事業の‘民営化’、外資導入、外国企業の製造拠点の誘致、スタートアップ等、あらゆる経済活動に共産党の利権が組み込まれています。乃ち、中国の経済成長は、これに連動する共産党の利権の増大化をも意味しており、共産党一党独裁体制こそ、内外からマネーが共産党に集まる集金マシーンに他ならないのです。習政権が粛清に利用した‘腐敗撲滅キャンペーン’も、その膨大なる共産党利権の裏返しとも言えましょう。
かくして、中国共産党の政経が一体化した利権体質は、競争条件の国際的な平準化にとりましては最大の障壁です。中国の企業とは、官民何れであれ、その活動目的は国家、否、共産党が策定した戦略の実行ですので、ZTEやファウェイの事件で露呈したように、その活動には政治色を帯びています。このため、純粋に消費者志向で事業を行っている他の自由主義国の企業と同等に扱うことはできず、中国は、自国製品が正当な根拠に基づいて外国から排除される原因を自ら抱え込んでいるのです。そして、集金マシーンとしての共産党一党独裁体制にあっては、一切の利権を生まないフェアな自由競争の実現は、私腹を肥やしてきた共産党員にとりましては死活問題となります。もはや、中国市場への参入や事業展開を望む内外の事業者から‘袖の下’やリベートを採ることはできなくなるのですから。
中国とは、徹底的な情報統制のみならず、情報・通信分野の先端技術を用いて国民の財産や消費動向までほぼ完全に把握している国であり、また、政府が組織的に外国製品の不買運動を煽る国でもあります。消費面にあっても、中国が、国民に対して商品・サービス選択の自由を認めるとも思えません。中国企業もまた、消費者のニーズではなく、共産党の顔色を窺うことでしょう。
以上の側面から、中国は、共産党一党独裁体制を放棄しない限り、アメリカの要求に応じることはできないのではないでしょうか。米中貿易戦争が終結する時とは、それは、中国において共産党一党独裁体制が、その誕生から1世紀を経ることなく幕を閉じる時なのかもしれないと思うのです。
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「移民増」容認、日本は3位=労働力不足背景か―米調査
入管法改正に際して、インターネット上では反対の声が圧倒的に多い状況にありました。ところが、メディア各社が実施した世論調査の結果を見ますと、不思議なことに、外国人労働者の受け入れ拡大に賛成する意見が反対意見を上回っていたのです。ネット世論とマスコミ世論とのギャップに首を傾げていたのですが、今月10日、米世論調査機関ピュー・リサーチ・センターによる移民に関する世論調査が発表されました。
同センターの調査結果は、‘「移民増」容認、日本は3位’というタイトルで時事通信社が日本国内向けに記事として発信されております。このタイトルを目にした時、‘世界第3位’というくらいですから、日本国民の意識は移民容認に傾いており、上記の国内の世論調査結果も正しかったのではないか、と思ったのですが、記事の本文を読みますと、最初の印象は逆転します。何故ならば、‘世界第3位(27カ国中)’とはいえ、「移民増」に賛成したパーセンテージは、わずか23%でしかないからです。
国内での世論調査では何れも50%近くが賛成意見でしたので、日米の世論調査の結果には2倍もの開きがあります。実のところ、入管法改正案が国会に上程される以前の世論調査では、移民賛成意見は14%程度であり、23%であってもこの数字と比べれば大きめの数字ではあります。何れにしましても、少なくともネット上で表出された一般的な世論と米調査機関の結果とは、賛成派が少数派である点においては一致しているのです。
こうした日米調査結果のギャップについては、国内調査では、‘移民’ではなく、‘外国人労働者’と表現したため、とする説明もあるかもしれません。しかしながら、入管法の改正につきましては、メディア各社とも自ら‘事実上の移民政策’である旨を報じており、国民の多くも、‘外国人労働者’と‘移民’を明確には区別してはいないはずです。また、米調査では、「現状維持」が58%で回答となりますが、入管法改正案は外国人労働者の受け入れ拡大を定めていますので、‘世界第1位’とはいえ、この数字は、そのまま反対意見のパーセンテージとなりましょう(因みに、「移民減」は13%で最下位らしい…)。となりますと、しばしば指摘されておりますように、日本国内の世論調査の結果には、政府の方針に沿うよう、何らかの操作が加えられている可能性も否定はできなくなるのです。やはり、日本国内の一般世論は、圧倒的に、入管法改正には反対であったのではないでしょうか。
そして、米調査機関の結果は、‘国際世論’が移民反対であることをも明確に示しております。移民に対して寛容であるとされてきた‘世界第1位’のスペインでさえ「移民増」賛成は28%であり、多民族国家である‘世界第2位’のアメリカでも24%に過ぎないからです。上位国の何れにあっても賛成派は人口の4分の1程度の少数派ですので、他の諸国に至ってはさらにこの数字は小さくなりましょう。乃ち、人類は、相互に破壊的な影響を及ぼす移民問題にこれ以上苦しめられることを望んではおらず、大多数が否定的な立場にあると言えるのです。日本国政府は、一般の日本国民の、そして、国際世論の声にこそ、誠実に耳を傾けるべきではないかと思うのです。
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野党6党派「信頼の破壊は深刻化した」
改正入管法については、政府もメディアも人手不足を強調することで、経済的メリット面のみを以って国民を納得させようとしております。しかしながら、外国人労働者を雇用する事業者利益と一般の国民利益とは必ずしも一致はせず、一部の人々の利益のために他の人々が犠牲になるケースも少なくないのです(トータルではマイナス…)。特に、外国人の増加を見込んでいる政府は、日本国民に対して外国人との‘共生’を求めています。ドイツを模倣してか、とりわけ‘共生’のための政策として日本語教育の強化が挙げられているのですが、それでは、日本語教育の費用は誰が負担するのでしょうか。
改正入管法が新設した特定技能1号の資格者については、事業者が第一義的に日本語教育を施す義務を負いますので、同資格については、その負担者は主として雇用主となりましょう。雇用側の企業や教育委託事業者によって、特別に日本語教室が設けられるかもしれません。こうしたケースでは、国民負担は生じないのですが、今般新設した2号資格や高度外国人材では家族の帯同が許され、事実上の‘移民’となりますので、外国人の配偶者や子弟に対する日本語教育の問題が生じます。
多文化共生主義を掲げてきた日本国政府も、さすがに言語だけは同化を求めているようなのですが、仮に、全国レベルで外国人子弟に対する日本語教育を実施するとしますと、そのコストは膨大です(外国人配偶者や家事使用人に対してはどうするのでしょうか…)。日本語教育を国が社会統合政策として実施する以上、少なくとも全ての公立学校において、日本語の不自由な外国人子弟を集めたクラス、あるいは、国語の補習クラスを設ける必要があるからです。もしかしますと、慣れない日本での暮らしにあって精神を病んだり、疎外感に苦しむ外国人子弟のためのカウンセリング要員の設置も要請されるかもしれません。当然に、各校には最低限一人の日本語教員、あるいは、外国人子弟担当の教員を置く必要がありますし、サポートを求められる他の一般の教員の負担も増しましょう。そして、これらに必要な経費は、地方自治体、あるいは、国の限られた予算の中から捻出しなければならないのです。すなわち、全てが国民負担と言うことになるのです。
日本国の学校の現状を見ますと、生徒一人あたりの教員数が少なく、かつ、学級崩壊が指摘されてきたように、ADHD(多動性障害)等の児童や生徒も多いため、一般の日本人の子弟でさえ、潤沢な予算の下で十分な教育を受けているとは言い難いようです。こうした状況下にあって、外国人の児童や生徒が増加しますと、さらに教育現場が疲弊すると共に、日本語教育の予算確保にも苦労することとなりましょう。加えて、外国人生徒の出身国にばらつきありますと、授業を円滑に進めたり、クラスを纏めることさえ難しくなります。最悪の場合には、学校の教室が世界の縮図となり、欧州諸国を悩ましている‘移民問題’、あるいは、‘人種・民族・宗教対立’が発生するかもしれないのです。
入管法の改正は僅かな審議時間のみで成立したため、社会的な影響やその後に発生が予測される日本国民側の負担については十分な議論がなされませんでした。具体的な詳細については今年度中に政府が公表する予定なそうですが、その大半が省令によって定められ、かつ、同法では法務大臣に幅広い裁量権を認められています。たとえ公開された内容に対して国民多数から反対の声が上がっても、政府は、国会採決での強硬姿勢と同様に無視を決め込むかもしれません(来年1月28日に召集さる通常国会で審議されたとしても、修正に応じるかは不明…)。新設される入国管理庁の経費のみならず、教育関連の費用をも要するともなりますと、更なる増税ともなりかねないのです。コンセンサスを重じる日本国の国民性に照らしましても、マイナス情報を隠しての採決強行は、政府与党に対する国民の不信感を決定的に強めることになったのではいでしょうか。詳細を公表するに際しては、その他の派生的に生じる全ての国民負担についても、正直に説明すべきではないかと思うのです。
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共生加速へ自治体に焦り 外国人就労拡大 言葉の壁 、福祉・医療、教育…「支援どこまで」
強行に採決に持ち込んだ改正入管難民法について、政府は、‘移民’という言葉を使わず、あくまでも定住を前提としていない‘外国人労働者’として扱おうとしております。その一方で、外国人との共生を目指すべく、必要な措置を講じてゆく方針を示しており、言行の著しい不一致が見受けられます。このため、国民もまた整理が付かずに混乱させられるのですが、政府が説明を誤魔化す理由の一つには、新資格のみならず、高度人材の在留資格によって日本国に居住する外国人の数が増えることを見込んでいるからなのではないでしょうか。
報道に拠りますと、新資格1号については、その半数が現行の外国人技能実習生制度から移行する人々のようです。この情報が正しければ、上限とされる34人の内、17万人が新たに来日する外国人の人数となりましょう(もっとも、最初の1年間の受け入れ人数の半数の可能性も…)。外国人技能実習生制度が内外から批判を浴びている点を考慮しますと、同制度が存続したとしても、爆発的に実習生の数が増加するとは思えません。外国人実習生に対しては家族帯同が許されていませんので、外国人人口の増加への影響は限定的です。
その一方で、改正入管難民法で新設された資格と高度人材の在留資格との繋がりはなく、全く分離されたままです。今般の法改正では、永住資格取得が可能な2号資格を設けながらも1号資格を標準として政府が法案を説明したため、‘移民ではない’とする政府の言い逃れも通用する余地があり、国民の関心も新資格に集中していました。しかしながら、外国人の増加は、新資格よりも、むしろ既存の高度人材資格による方がはるかに多くなる可能性も否定はできないのです。何故ならば、同資格では家族や家事使用人の帯同が許されると共に、永住資格の取得要件も大幅に緩和されているからです。新興国では出生率が高く、かつ、伝統的な大家族制度が一般的な形態です。帯同者として家事使用人を必要とするぐらいですから、日本国の一般家庭のような核家族ではないのでしょう。一人の高度人材外国人の来日は、その数倍の人数の外国人が日本国内に居住することを意味します。また、中国を含むアジア諸国では大学乱立のため大卒の失業率も高く、今後、米中貿易戦争の影響で景気が後退すれば、日本国での就職を積極的に試みるかもしれません。しかも、新資格のように受け入れ人数の上限が設定されているわけでもないのです。永住資格の取得要件を緩和した高度外国人材制度の創設こそ隠れた‘移民政策’であったとも言えるのです。
法務省の統計によれば、2012年から2017年末までの5年間の間に、高度外国人材の人数は313人から8917人に激増しており、2016年から2017年の1年間を見れば、凡そ3400人も増えています(内67%が中国出身…)。同統計では、家族や家事使用人は含まれていないでしょうから、現実には、この数倍の数の外国人が日本国内に居住しているはずです。また、最近の日経新聞の記事には、ベトナムのITサービスの最大手のFPTが、2020年までに日本をグローバル展開の拠点とし、技術者3000人を雇用する計画を進めているそうです(もっとも、この数には日本人技術者も若干含まれるらしい…)。一社のみで3000人の増員ですから、今後、こうした外国企業が増加すれば、高度外国人材として日本国に在留する外国人の数はますます増えることとなりましょう。
新資格に設定された‘34万人’という数字でさえ一般の日本国民からしますとあまりの多さに慄くのですが、現実には、その数倍、その数十倍の外国人が高度人材として押し寄せてくるかもしれません。新資格は‘目くらまし’であって、日本国政府の真の意図は、定住者である高度人材によってもたらされる諸問題への対応なのかもしれないのです。34万人を遥かに超えて外国人が身近に居住するようになっても、一般の日本国民が不審に思わず、しかも、受け入れ態勢の整備に協力するように…。
改正入管難民法の成立により、日本国民の多くが、将来に対して言い知れぬ不安を抱くようになりました。AIやロボットの普及のみならず、外国人の増加により、自らの暮らす社会が、そして日本経済がどのように変わるのか、否、変えられてしまうのか、分からないからです。このような現状が望ましいはずもなく、外国人の在留に関する全ての問題を含め、日本国政府は、主権者である日本国民に対して日本国の将来像について共に議論すべきなのではないでしょうか。政府は、あくまでも国民から統治権を委託されているに過ぎず、日本国は国民のものであって政府与党のものではないのですから。
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年金一時金、増額を検討 外国人労働者ら出国時
本国会にて入管法改正案が成立したため、日本国の政界の関心は、はや、外国人の受け入れ環境の整備に向かっております。こうした受け入れ態勢の整備に関して懸念すべきは、与野を問わずに何れの政党も制度改革の方向性が‘外国人ファースト’である点です。
法案可決以前にあっては、日本国の医療保険制度に加入している在日外国人の海外在住扶養家族に対してまで同保険基金から治療費が支払われている現状が問題視され、是正する方向で議論が進んでおりました。一般の日本国民の扶養家族が海外で治療を受けたとしても、自己負担、もしくは、民間の保険でカバーするしかありませんので、同制度が外国人優遇制度であったことは否めない事実です(諸外国の医療制度と比較しても、これ程まで外国人を優遇した制度はないらしい…)。また、短期滞在者にまで医療保険の加入が認められていることもあり、不正受給も含めて外国人に対する支出額は増加傾向にもありました。さらには、近年、永住資格者の生活保護問題も取り沙汰されてきており(これらの受給者は1号資格者として就業するのでしょうか…)、凡その流れは、外国人優遇制度の是正へと向かっていたのです。社会保障制度の多くは、その国の国民が長期に亘って積み立ててきた資金を元に運営されていますので、受益と負担のバランスからしましても、外国人優遇制度は一般の国民にとりましては損失を意味するのみならず、生涯設計まで不安定化しかねない要因なのです。
ところが、入管法改正案が可決された直後から、政府は75歳以上が加入する後期高齢者医療制度の低所得者の保険料の軽減特例の廃止や、受給要件の10年を充たさずして出国した外国人に対する「年金一時金」の引き上げを検討中、といった報道が目立つようになりました。後者については、日本国民の場合、一時金支払いの制度はないはずですので、これもまた外国人優遇政策となりましょう(もっとも、帰国にインセンティヴを与えるための措置としても理解されますが、その分、日本国民の年金支給額は減額される…)。また、上記の諸問題の是正に必要とされる法改正についても、入管法と同時に改正されることなく積み残されてしまったのです。
本法案を主導した菅官房長官が‘外国人労働者に日本に来てもらうためには、さらなる受け入れ体制の整備が必要’と述べていたことを考え合わせますと、これらの政府方針が、同法案の可決と無関係であるとは思えません。少なくとも、一般の日本国民に対しては負担増、あるいは、福利厚生レベルの低下の甘受を求める一方で、賃金のみならず社会保障制度にあっても、外国人に対しては‘日本国民と同等、あるいは、それ以上’の待遇を約束しようとしているように見えるのです。今後とも、政府は、各種の社会保障制度を外国人に有利に運営することで、上限として設定された凡そ‘34万人’の数値目標を達成しようと躍起になることでしょう。しかも、外国人を雇用する企業や事業者にとりましては、社会保障制度の利用は、自らの懐を痛めることなく人件費を削減し得る好都合な方法です。外国人実習生制度に対する‘奴隷労働’といった内外からの批判も、国からの福利厚生が厚なれば緩和されるかもしれません。政府与党は、‘移民政策ではない’の一点張りで国政選挙を経ずして同法案を可決成立させましたが、入管法の改正は、社会の在り方や税や保険料負担を含め、全日本国民に多大なる影響を与える重大な問題なのです(百歩譲って移民政策ではないにしても、国民に是非を問うべき問題であることには変わりはない…)。
そもそも、社会保障制度に関しては属地主義と属人主義が混在しており、国際レベルでの調整を要する課題でもあります(少なくとも、労災保険への加入は認めても、医療保険や年金の国民保険部分については、外国人労働者は本国の制度に加入すべきでは…)。両主義を最悪の形で組み合わせますと、日本国民が給付対象から外される一方で海外の外国人までが受給者となり、日本国の各種保険制度の資金や国庫から外国へと流れることともなります。これでは、負担のみを押し付けられる一般の日本国民の反感や不満が高まるのも当然です。フランスでは、新自由主義を推進してきたマクロン政権に対する激しい暴動が発生しており、国民の7割がデモ側に共感しているそうです。日本国政府も、暴動とまではいかないまでも、政策の‘犠牲者’ともなる多くの国民が、改正入管法に対して憤懣やるかたない気持ちでいることを理解すべきではないかと思うのです。
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日本社会、一変も=経済成長へ外国人就労拡大
昨晩、終に入国管理法改正案が参議院で可決され、成立することとなりました。今朝の新聞各社の紙面は、政府与党の強行採決に対する批判的な見解も見られるものの、日本国民に対して外国人との共生を求める記事で溢れています。予想通り、同法案の実態は移民法案であったようです。政府が移民政策ではないと強弁していただけに、またもや一般の日本国民は騙された気分に陥るのですが、今国会における政府の政治姿勢における特徴は、諸外国において既に‘失敗’した政策を後追いしている点です。
欧米諸国では、移民問題が今や最大の政治問題となり、深刻な社会分裂の危機に直面しています。アメリカでは、ホンジュラスから国境を目指して北上した移民集団が米国内の緊張を高めると共に、移民に対する世論も二分していますし、ドイツでも、あろうことか、保守系のCDUが難民受け入れ政策に転じたことから支持率を急落させ、社会的な分裂のみならず、政界の混乱もここしばらくは収まりそうにありません。ミャンマーでもロヒンギャ問題が国際社会を巻き込む難題と化しています。今日、‘世界は移民で揺れている’といっても過言ではありません。
水道法改正案にしましても、野党側からの指摘があったように、諸外国では、水道事業の民営化の結果として水道料金の値上げや水質悪化が起 きたため、再公営化するケースが相次いでいます。このプロセスは途上国や新興国に限ったことではなく、先進国であるフランスの首都パリでも辿っており、水道事業の民営化、あるいは、コンセッションの譲渡もまた世界レベルで発生している問題なのです。
かくも‘失敗’が世界各国で実証されていながら、何故、日本国政府は、国民の反対を振り切って同政策を導入するのか、多くの人々は理解に苦しむはずです。‘愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ’とするビスマルクの言葉に従えば、日本国政府は明らかに愚か者となります。国民の多くが政府の政策に反対するのも、‘失敗’の後追いという愚かしい行為を詭弁を弄し、詐術的な論法を用いてまで正当化しようとするその不誠実な態度にあります。
常軌を逸しているとしか言いようがないのですが、ここに一つの疑惑が浮上してきます。それは、同法案を進めた影の何れの国家にも属していない超国家的な勢力にとりましては、世界各地での移民・難民政策に起因する混乱と分裂は‘失敗例’ではなく、むしろ‘成功例’であるかもしれないという疑いです。つまり、一般国民とは全く逆の基準で同政策を評価している超国家勢力が存在しているかもしれないのです。同勢力にとりましては、世界各国における社会分裂や民族対立、あるいは、伝統や文化破壊するためには望ましいものであり、主権、領域、国民の基本的な枠組みとなる民族を消滅させることは、更地化した世界を支配する野望を達成するためには必要不可欠な‘工程’なのでしょう。
そして、超国家勢力が民族的な枠組みの消去と同時並行して行うべき‘工程’とは、食糧や水といった人の生存に不可欠となる資源やインフラの掌握であり、水道法の改正はこの文脈から理解されます。後に国民からの反発を受けて再公営化されたとしても、事業運営期間において十分に投資額に見合った収益は確保できると見積もっているはずです。否、‘元を取る’ためにこそ、水道料金を値上げしないとも限らないのです。
超国家勢力は、‘成功’した手法であるからこそ、日本国に対しても移民・難民大量送り込み計画の実行を要請したのでしょう。日本国政府は、この‘工程表’に忠実に従ったに過ぎず、日本国民から低評価を受けたとしても、同勢力からは‘お褒めの言葉’をもらい、労をねぎらわれるのです。‘よくぞ、国民の声を封じ込めた’として…。たとえ次回の国政選挙で与党が敗北し、安倍首相がその座を降りることになったとしても、同勢力からの何らかの報酬が既に用意されているのかもしれません。
超国家勢力をバックとした政府の視点は国民のそれとは真逆であり、前者が‘救世主’の顔をして後者の破壊や混乱を誘う点において、悪魔的な支配とも言えましょう。今や日本国の民主主義は、風前の灯にあると言わざるを得ないのです。日本国並びに日本国民が魔の手から逃れ、自らの手によってより善き国を未来に向けて造り続けるためには、国民思いの真の保守政党を結成するしかないかもしれないと思うのです。
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「賃上げ」企業苦悩 外国人労働者拡大 受け入れ半数の技能実習生から移行
入国管理法改正案につきましては、政府与党側のスケジュールでは、本日にも参議院本会議で採決に付され、可決・成立する予定なそうです。事実上の移民政策への転換とされる本法案に対しては、さすがに保守層からも反対の声が強く、野党からさえ‘売国になる!’との批判が浴びせられております。かくして保守層が野党を支持するという、与野党の逆転現象さえ起きているのですが、政府与党は、この状況に危機感を抱かないのでしょうか。
同法案に対して、何故、‘売国’という聞き捨てならない言葉で批判される理由は、詳しくここで述べるまでもなく、人類が歩んできた歴史から推察すれば、程度の差こそあれ、外国人に対して国境を開放することは、将来において国家の存亡に関わる危機を招く恐れがあるからです。ヘロドトスの『歴史』にも既に記述がありますし、かのローマ帝国もゲルマン民族の移動によって内外から侵食され滅亡してしまいました。そして、古今東西を問わずに頻発してきた戦争こそ、その後の占領や併合等を含めますと、最大の‘人の移動’かもしれません。言い換えますと、‘人の移動’とは、十中八九、移動先の人々に混乱と苦しみを与えているのです(‘人の移動’の稀な成功例は、集団ではなく、極めて有能、あるいは、高度な技術を有した個人である場合が多い…)。
平和裏での‘人の移動’でさえ、100年、200年、あるいは、1000年先であれ、移民側の人数が増加すれは現在のマジョリティーはマイノリティーに転落し、前者が‘二級市民’として扱われるかもしれません。これと同時に、国民国家体系の基本原則である一民族一国家の原則も事実上崩壊することでしょう。人類の多様性に根差した民族的な枠組みが消え去れば、国際社会における民族自決の原則も最早意味がなくなり、たとえ国民国家体系が残されたとしても、それは、地表に引かれた空間的な区分に過ぎなくなるのです。また、多文化共生主義にあっては、受け入れ国の社会は際限のない分裂に晒され、国民間の連帯感も失われる一方で、その国の歴史や伝統を受け継ぐ固有の文化は侵食され続けるのです。
これらの懸念はごく一部に過ぎませんが、‘人の移動’がもたらす広範囲に及ぶマイナス面に注目すれば、たとえ経済的な理由であれ軽々しくは扱えず、国境管理を緩める措置は極めて慎重に対応するべき問題です。現にヨーロッパでは、1970年代以降、人手不足を理由に移民を受け入れたところ、今では受け入れ国側の国民のナショナリズムを高めると共に、移民側の疎外感はテロの温床ともなりました。双方ともに不満が募る政策が良策なはずもなく、しかも、時間の経過とともに社会的亀裂や対立が深まりながらも、双方が満足する効果的な解決策も見当たらないのです。
この点、入管法改正案では、与野党ともに移民側の不満への対処に終始しており、受け入れ側となる一般国民に対しては、ひたすらに忍耐と寛容を求めています。一方、華僑など移民の側が国境を越えた強固な同郷意識で結びついた排他的ネットワークを形成しているケースもあり、こうしたネットワークが資金力や人脈を駆使して組織的に活動すれば、気付かぬうちに日本国民が様々な重要ポストから排斥され、‘二級市民’とされる展開もあり得ます。残念なことに、‘移民ファースト’の姿勢においては与野党ともに一致しており、こうした国民に冷たい国会、そして政界の態度が、一般国民の同法案に対する‘売国’イメージを強めているとも言えましょう。
政府は、批判を受ける度に‘人手不足の現状に応えなければならない’と説明し、同法案を正当化しておりますが、政府が応えるべきは、国民の意向なのではないでしょうか。国民の声には耳を塞ぎつつ、海外事業者を含め、外国人労働者の雇用で利益を得る一部事業者、並びに、‘人の移動’をビジネスにしている一部業者の声には全力で応えるとなりますと、民主主義の原則にも反しております。日本国憲法の第15条2項は、「全ての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定めております。水道法や漁業法の改正案にも共通するのですが、あらゆるリスクに目を瞑り、国民の反対多数を押し切ってまで国境を開放する、あるいは、低くする政策を進める以上、‘売国政権’と批判されても致し方ないと思うのです。
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本日の日経新聞朝刊の一面には、思わず深いため息をついてしまう記事が掲載されておりました。それは、中国の清華大学が、日本国の東京大学が設立したスタートアップ支援会社に対して650億もの巨額投資を行うというものです。この記事が事実であれば、日本国にとりましては、近い将来、まことに忌々しき問題が生じることになりそうです。
清華大学の巨額投資先となる東京大学協創プラットフォーム開発株式会社とは、東大が100%出資して設立したVC(ベンチャーキャピタル)です。同社設立時にあって、東大が230億円を拠出しており、その原資は、平成24年度(2012年度)予算として政府が東京大に交付した417億円なそうです。一方の清華大学側も、VCとしてTSUホールディングスを設立しており、同社が提携先となります。東大側の拠出額である230億と比較しますと、清華大学の出資額の高さには驚かされます。およそ東大の3倍なのですから。そして、精華大学もまた国立大学ですので、拠出される650億円にも中国政府の予算が注ぎ込まれていることでしょう。
それでは、精華大学による巨額投資の行く末には、どのような事態が予測されるのでしょうか。東京大学協創プラットフォーム開発の資本金9000万円は東大の100%出資ですので、清華大学から650億円の投資を受けても運営権は東大側が握っているように見えます。しかしながら、650億円を拠出しながら、清華大学、否、中国政府が‘何らの見返りをも要求しない’ということは過去の事例に照らしてもあり得ません。外貨準備が減少傾向にある中、中国が650億円もの出資を決定した背景には(人民元で拠出?)、中国に有利となる何らかの計算があるとしか考えられないのです。TSUホールディングスは、11月末に東京大学協創プラットフォーム開発に事務所を開設しておりますので、NHK社屋内の中国電子台の如く、既に内部化している様子も窺えるのです。
中国側の第1の利益は、融資先のベンチャービジネスが成功を収めた場合に期待できる一定のリターンです。経済的な利益は最もドライな関係として理解できるものの、それでも、融資収益は一般的に拠出額に比例して配分されますので、東大と清華大学との間で1:3の割合で分けられることとなります。つまり、同社の利益の4分の3は中国側に流れ、日本初の技術や技術革新であっても、中国側がより多くの果実を得る結果となるのです。その一方で、融資に失敗して損失が生じた場合、東大側は、清華大学に対してそれを甘受するよう求めることができるのでしょうか…。もしかしますと、一帯一路構想で露見しているように、借金の形に虎の子の知的財産権を要求される可能性も否定はできません。
第2の中国側の利益とは、技術力の入手です。同記事に依りますと、東大と清華大学との協力は、投資関係に留まらず、日中スタートアップの共同研究や人材交流をも促すとされています。知的財産権の問題でアメリカから厳しい要求を突き付けられており、中国のシリコンバレーとも称された深セン等にて先端技術の自力開発に取り組みつつも、技術の調達先としてアメリカには最早期待できない状況にあります。昨今の習政権による急速な対日接近も、その背景として対米関係の悪化が指摘されていますが、日本国の技術開発力を合法的に利用すれば、自国の弱点をカバーできます。しかも、日本国の先端技術の開発現場でもある東大とビジネスを結ぶルートを押さえてしまえば、日本国の技術力をもコントロールすることができます(中国の脅威となる起業には支援しない…)。
第3に挙げられる中国側の利益は、中国系巨大企業による日本国のスタートアップ企業の‘青田買い’です。中国では、現在、膨大な数の起業数を誇るものの、廃業もまた多く、かつ、極稀に成功した企業であっても、国営企業や巨大企業に買収され、姿を消しています。日中協力の枠組みにおいて清華大学から融資を受けた形で設立される東大関連のスタートアップ企業も、中国系企業にとりましては有望、かつ、株式入手の容易な買収物件となりましょう。
以上に中国側の主要なメリットを述べてきましたが、これは、逆から見ればそのまま日本国側のデメリットとなります。‘起業支援’とは名ばかりで、その実態は、日本国から中国への先端技術の合法的な流出経路が設けられたのであり、日本国側としては、将来的に、中国経済に飲み込まれる可能性が高まったことを意味します。東京大学協創開発は、当初、民間企業との連携を構想していたようですが、今になりまして、何故、よりによりまして中国の国立大学と組むに至ったのでしょうか。しかも、相手国は、習近平独裁体制が敷かれている共産主義国家です。これは、日本国政府の意向を受けた決定なのでしょうか。報道によりますと、日本国の民間企業は、巨額の内部留保を貯めこんでいるそうですが、何故、その資金を自国の大学における起業支援に投資しないのでしょうか。日本国の東大生は、イノベーションに繋がるような画期的な技術の開発に真剣に取り組んでも、その成果が中国に流れるとなれば、研究意欲は著しく低下することでしょう。入管法や水道法の改正を含め、このままでは、かつて李鵬首脳が‘予言’したように日本国はやがて消えてしまうのではないかと不安になるのです。
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与党、入管法7日成立を確認=野党の共同歩調焦点
国民の大半がその行く先に待ち受けるリスクを敏感に感じ取っている入国管理法改正案。日本国政府は、7日にも参議院にて採決に付す予定なそうです。衆議院に続き参議院でも採決を急ぐ挙動不審とでも言うべき政府の態度については、国際密約説も実しやかに囁かれております。
過去において国際密約説が疑われた事例としては、菅元首相が自らの辞任と引き換えに成立させた再生エネ法や、最初の表明の場が国際会議であった野田政権の消費税率10%上げ等があります。国際密約の疑いが濃い政策の特徴とは、予め計画されていたスケジュールに従うかのように、リスクの指摘や紆余曲折があろうとも、必ずその計画を実行に移すと言う点にあります。乃ち、国民の反対を‘封じる’、あるいは、‘捻じ伏せる’ということでもあり、反民主主義を特徴としているのです。この基準に照らしますと、参議院厚労委で既に可決された水道法改正法案も、国際密約が疑われて然るべき法案となりましょう。
入国管理法に関する国際密約の存在を証明することは、‘密約’である以上極めて困難なのですが、状況証拠から推理することはできます。少なくとも先に触れた採決を急ぐ姿勢は状況証拠の一つとなるのですが、国際的な密約であれば、秘かに約束を交わした相手国、あるいは、国際組織があるはずです。密約の相手については、以下の推理が可能なように思われます。
第一に推理される相手とは、国連、否、国際協定です。2016年9月に国連「難民と移民に関するサミット」で採択されたニューヨーク宣言に基づき、2018年初頭、準備会合において作成された「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト」(移民グローバル・コンパクト)、並びに、「難民に関するグローバル・コンパクト」の原案が公表されております。両協定は、今月、モロッコで開催予定の国際会議にて採択される予定ですが、同協定では、移民に対して受け入れ国の手厚い権利保護や支援を定めており、日本国政府は、同協定の締結に先立って協定の内容を入国管理法改正案に書き込んだ可能性はあります。政府案に対する野党側の攻撃の矛先が、不十分な外国人労働者の権利保護に集中している理由もこの説を裏付けるのですが、その一方で、劣悪な労働環境や失踪者の増加が指摘されている外国人技能実習生制度を温存させているところが、この説の弱いところです。また、同協定への参加を前提としての法改正であるならば、国民に対して‘隠す’必要はないはずです(そもそも日本国政府は、同協定に参加するのか否かさえ、国民に説明していない…)。
第二に推理される相手は、中国です。90日間の停戦状態にはありますが、中国は、現在、米中貿易戦争の最中にあります。アメリカによる対中制裁関税の発動により、その影響は既に中国経済の減速として現れており、対米輸出の減少は、外貨準備高の減少に直結します。外貨準備不足への怖れから、中国は、既に様々な外貨流出を防ぐ措置を講じていますが、‘モノ’に替って新たに‘ヒト’の輸出を増やし、外獲得の手段にしようとしている可能性もあります。人身売買とも見なされた‘苦力貿易’が盛んであった清朝時代のように…。中国では、既に外国人実習生を対象とした公的管理機関を設置しているともされ、おそらく、労働条件のみならず、本国への仕送り額、支払い通貨、送金方法などについても、両国間で合意されているのかもしれません。また、華夷秩序の再構築を目指す中国にとりましては、日本国にできる限り多くの自国民を居住させることが、経済のみならず、軍事・政治戦略上においても好都合なのでしょう(海外居住の中国人も国防動員法の対象…)。政府答弁の基準からすれば、中国は、安全保障上の懸念、並びに、実習生の失踪件数の多さから、本法案の送り出し国から除外されるはずなのですが、仮に本法案が成立し、施行日の4月1日以降に運営が開始された後になって、中国人1号資格者が増加することになれば、中国との密約説は、俄然、信憑性を増すことでしょう。
そして、第3の推理は、ダボス会議(世界経済フォーラム)のスポンサーとても言うべき国境なき経済組織体です。2019年のダボス会議は、来年の1月22日から25日の日程で開催されます。今月末に予定されておりました安倍首相の訪欧は取り止めとなりましたが、本法案の成立を急ぐ背景には、年内に密約を実現させたい政府の意向があるのかもしれません。近代植民地主義の時代と同様、グローバルリズムの理想からすれば国境の存在は障壁ですので、国民国家体系の融解と国家の消滅を実現させるために、積極的に国境を越えた人の移動を促進している可能性もあります。この推理では、日本国政府は、同組織の要望、あるいは、‘割り当て’に応えて34万人の外国人労働者の受け入れを引き受けたこととなります。
以上に幾つかの‘密約’のシナリオを想定してみたのですが、何れにしましても、日本国民の意向が全く以って無視されております(世論調査の結果も不自然…)。再生エネ法につきましては、当初から重大なリスクや制度的欠陥を指摘されながら強引に成立させたため、今になりまして、事業者から遡及適用の批判を受けながらも見直し作業が進められております。今般の法改正についても、政府は重大な問題を含んでいることは十分承知のはずであり、かつ、日本国政府は日本国民のために存在するのですから、‘密約’が悪しき背信行為である以上、国民の利益を優先し、避けられるリスクは未然に防ぐことこそ、政治家の国民に対する責任ではないかと思うのです。
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外国人材法案 与党 今週成立目指す 野党 内閣不信任案も視野
入管法改正案につきましては、様々な問題が複合的に絡まっており、反対論のみならず、賛成論にあってもその理由は一様ではありません。人手不足、あるいは、景気の調整弁を表向きの理由としたい政府は否定しているものの、同法案には、人口減少に伴う日本経済の縮小均衡を防ぐため狙いがあるとする指摘があります。
仮に、日本経済の縮小均衡の予防が法改正の主要要因であるとすれば、当然に、同法案は、日本国内での外国人の定住を前提とする‘移民法’となるのですが、ここで先ずもって考え、議論すべきは、‘人口減少は必然的に縮小均衡をもたらすのか’という基本問題であるように思えます。縮小均衡防止論は、基本的には、1億3千万人を数える現在の日本国の人口を将来に亘って維持すべきとする立場にあります。公約違反となるため、移民政策であることを口が裂けても言えない立場にある政府としては、この縮小均衡論も表には出したくないのでしょうが、メディア等では、半ば周知の事実として語られているのです。
仮に日本国の経済規模を維持しようとするならば、その方法は、外国からの‘人口補填’のみではないはずです。しばしば指摘されるように、AIやロボット技術等の先端技術の開発・導入等による労働代替や効率化に対する期待も高く、また、国民一人あたりの生活の質を向上させることができれば、経済規模は縮小しません。将来的な‘経済規模の維持’という課題に対する答えは‘人口規模の維持’の一択ではなく、また、人口減少が必ずしも縮小均衡を齎すとも限らないのです。つまり、人口減少⇒外国人労働者の受け入れ拡大は、複数ある政策上の選択肢の一つでしかないのです。そして、一般の日本国民からしますと、外国人労働者によって人口減少分を穴埋めするよりも、一人あたりの可処分所得が増加し、高品質の製品を購入できる購買力を有し、かつ、広い居住空間を確保できる方が望ましい選択肢に決まっております。
縮小均衡論の背景には、グローバリズムと共に広がった質より量を重視する価値観があります。実際に、グローバル時代にはあっての勝者は、市場規模(人口規模)においても資金、資源、人材等の調達力においても規模に優る企業群であり、規模の経済の追求はグローバリズム最大の特徴でもあります。この路線を歩むとすれば、人口減少は必敗の要因となりますので、人口減少に直面する政府は、何としてもこの傾向に歯止めをかける必要に迫られます。しかしながら、中国、インド、インドネシア、中東諸国、並びにアフリカ諸国の人口増加率を考慮すれば、日本国が逆立ちしてもこれらの諸国との人口競争に勝てる見込みは限りなくゼロに近いと言わざるを得ません。つまり、人口の維持や増加を以ってグローバル時代を生き抜こうとする戦略は、‘勝てない戦争’を闘うに等しいのです(中国のグローバリズム推進の姿勢が示すように、グローバリズムは人口大国に有利に働く…)。
また、日本国のみならず、他の諸国も人口維持、あるいは、人口増加に邁進するとしますと、全世界の人口は地球が養えるキャパシティーを越え、食糧問題では解決したはずのマルサスの懸念が、資源有限性において再燃するかもしれません。未来都市のヴィジョンとして、ゆったりとした空間で人々が先端技術に囲まれて豊かに過ごしているスマートシティ等が描かれていますが、人口の大半が都市部に集中すると予測される未来の現実は、こうした理想的な生活を送れるのは極一部の富裕層(中国では共産党員?)のみであり、世界各地から寄り集まったその他大勢の人々は、郊外に拡がるスラム化した密集地帯での退廃した生活を余儀なくされるかもしれないのです。
このように考えますと、やはり、日本国は、量より質を求めるべきであり、少なくとも、日本国の将来像を決定する重大な選択については、国政選挙において国民に問われるべきなのではないでしょうか。総選挙も経ず、国民への説明にも多くの矛盾点が散見される中、政府与党が入国管理法改正案を強引に可決させることは、民意を素通りした事例として、日本の国政史上において汚点を残すことになるのではないかと懸念するのです。
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G20、デジタル課税へ連携=資金洗浄対策で仮想通貨規制
アルゼンチンのブエノスアイレスで開催された今年のG20では、アンチ保護主義的な文言が削除され、自由主義色が後退する一方で、保護主義への回帰が見られる異例の会議となりました。この潮流は、デジタル課税制度整備に向けた首脳宣言にも読み取ることができます。
デジタル課税制度の整備とは、IT巨人とも称されるGAFA、あるいは、成長著しい中国のBAT(百度、アリババ、テンセント)といった、情報・通信分野で事業をグローバル展開する企業に対する課税強化を念頭に置いた政策です。情報・通信分野の事業とは、空間ネットワーク型のプラットフォームの構築を伴うサービス業であるため、製造拠点等の設置を基準として課税対象を定める現状の国際ルールでは、各国とも、これらの事業者に対して効果的に課税することができませんでした。言い換えますと、IT巨人企業は、他国の領域内の空間に自由自在に自社のプラットフォームを敷き、これを用いて事業収益を上げながら、同国に対する納税義務を逃れてきたのです。こうした現状に不満を抱いたのがEUやイギリスといったIT巨人企業を擁さない諸国であり、日本国もまた課税強化を主張する国の一員です。もっとも、国際的なデジタル課税強化の動きに対しては、IT巨人の母国であるアメリカや中国が強く反対すると予想され、今後の交渉は難航するとの見方が大半です。
ところで、冒頭で述べたように、デジタル課税の制度整備がどのような理由でナショナリズムへの回帰を意味するのかと申しますと、それは、同政策には、主権、領域、国民に対する強い権利意識が見られるからです。国家主権が及ぶ範囲とは、領域、並びに、国民ですが、デジタル課税強化の根底には、自国の領域内で行われ、かつ、自国民が顧客となる営利事業については、たとえ外国の企業であっても、その国の政府に対して利用コストとしての税金を支払うべき、とする基本スタンスがあります。一方、一切の政府介入を否定し、無条件の市場開放を是とする純粋なグローバリズムの理想では、他国における事業であっても、その国の政府に対して利用コストを支払う必要はない、というものです。ナショナリズムとグローバリズムとの間の摩擦は、デジタル課税においても表面化しているのです。
実のところ、関税をめぐる自由貿易主義と保護主義との対立にあっても、程度の差こそあれ、同様の見立てで理解することも可能です。無関税で製品を相手国市場に輸出する海外の事業者とは、進出先相手国に対して何らの利用コストも負担しない海外の通信サービス事業者と同様の立場となるからです。もちろん、貿易にあっては自国内の同業者を保護する目的が主となるために保護主義と称され、ナショナリズム色が若干薄められていますが、何れにあっても、国際経済を理解する基本的な視点が国家にあることには変わりはないのです。
かくしてデジタル課税の問題については、IT巨人達に自国の市場を席巻されている諸国は、こぞって自国の課税権を主張するのですが、この問題は、グローバリズムとナショナリズムとの調和の在り方をも問いかけてもいます。今後、さらに各国の市場開放が自由化政策として加速されれば、規模と生産力に優る中国企業は、「中国製造2015」が実現すれば登場することとなる‘製造巨人’として全世界を自らの無関税の市場とすることでしょう。国内では、企業本社が置かれている大都市から消費地となる地方に対して国レベルでの財政移転が行われ、バランスがとられていますが、国際社会にはこのような財政移転の仕組みはありませんので、やがて関税の重要性が再確認される時期が訪れるかもしれません。デジタル課税の問題は、将来に向けて課税権の配分、さらには、国民国家体系とグローバリズムとの間の調和的ヴィジョンに関する議論への扉を開いているようにも思えるのです。
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入管法改正の国会審議に「拙速」 経済同友会の代表幹事
参議院において審議が始まった入国管理法改正案。日本国政府のみならず、識者をはじめ入国管理法改正案に賛意を示している人々は、口を揃えて移民・難民問題に苦しんできた欧米諸国と同じ轍を踏んではならず、社会的摩擦や対立を回避し、外国人の受け入れ態勢に万全を期すことが重要であると主張しています。いわば、同法案成立の前提条件として、日本国政府による社会統合政策の実施があるのですが、この主張を吟味しますと、幾つかの矛盾点が見えてきます。
第1の自己矛盾点は、社会統合政策を行うならば、政府は、外国人労働者の受け入れが移民政策であることを認めざるを得なくなることです。‘移民’については、日本国政府は、‘日本国での定住を前提として入国してくる外国人’とし、極めて狭い定義づけを行っておりますが、国際的にはより広義―国境を越える人の移動程度―に用いられています。同法案には、家族帯同が許され、かつ、永住資格の取得に繋がる特定技能2号への移行規程も設けておりますので、社会統合政策については2号資格を想定しているのでしょう。つまり、社会統合政策の条件化は、これまで‘移民政策ではない’と主張してきた‘移民政策’の定義に関する政府の詭弁を明らかにしてしまうのです。
第2に挙げられる点は、社会統合政策については、移民問題で苦しんできた欧米諸国の制度を参考にすると述べている点です。特に移民・難民に対するドイツ語教育等に熱心に取り組んでいるドイツの政策をモデルにしたいようですが、シリア難民問題の発生から僅か数年しか経過しておらず、この政策が成功しているとする報告もありません。むしろ、テロの頻発を受けてドイツ社会では移民との間の緊張が高まっており、ドイツ以外の諸国でも、社会統合に成功した国は皆無に近いのです(反移民政党の勢力伸長が移民問題のさらなる深刻化を証明している…)。このことは、成功モデルが存在しないにも拘わらず、政府は、あたかも社会統合政策を実施すれば移民問題は起きないとする幻想を、無責任にも国民に対して振りまいていることとなるのです。
そして、何よりも救いがたい自己矛盾は、社会統合には、受け入れ国側の国民の幅広い合意を要する点です。世論調査等を見ましても、今国会での成立に反対する意見が大多数を占めております。街角のインタヴューでも懸念の声が強く、仮に、政府が参議院においても強硬に法案を可決させますと、国民の不満が高まることが予測されます。一般国民が不満を抱えての出発は、国民と外国人労働者、あるいは、移民との間に摩擦が生じる土壌となります。シリア難民の受け入れを唐突に表明したメルケル首相は、‘難民を勝手に呼び入れた政治家’と見なされ、シリア難民に対してドイツ国民が冷たい視線を投げかける原因となりましたが、今般の政府による入管法改正案の強行突破もまた、むしろ、外国人労働者に対して日本国民が温かい感情を寄せることができない要因となるかもしれないのです。政府が社会統合を力説すればこそ、何よりも、日本国民が納得し、不安を完全に払拭するような制度を設計しなければならないはずなのです。社会統合政策については、外国人の人権擁護にばかり関心が向いていますが、受け入れ国側の国民の権利が蔑にされ、生活が脅かされるのでは、それは、社会統合ではなく、社会分離政策と言わざるを得ないのです(多文化共生主義も社会分離政策では…)。この点においても、政府は、自己矛盾に陥っているのです。
‘初めに結論ありき‘で始められた法改正であるためにか、政府の説明は矛盾に満ちております。政治の世界には、時にして反対する勇気、そして、途中でやめる勇気こそ必要とされ、それが国や国民を救うこともあるのですから、入国管理法改正案につきましても、亡国の法改正とならないよう、政府与党はその成立を断念すべきではないかと思うのです。
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