万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ウクライナ復興問題への素朴な疑問

2022年07月08日 10時18分49秒 | 国際政治
ウクライナ側の試算によれば、同国の復興には、凡そ100兆円を超える資金を要するそうです。破壊されたインフラ施設や中世の面影を残す街並みまで元の通りに戻すには、100兆円があってもまだ足りないかもしれません。そこで、海外からも復興資金を調達するために、スイスにあって国際会議が開催される運びとなったのでしょう。しかしながら、ここで一つ、素朴な疑問があります。

ウクライナ復興に関する素朴な疑問とは、仮に、ロシア軍が東部地域を制圧し、親ロシアの二つの独立国家―「ドネツク人民共和国」および「ルガンスク人民共和国」―を維持するとすれば、同地域の復興はロシア側の責任、即ち、巨額の復興資金もロシア側の負担になるのではないか、というものです。

スイスの国際会議では、戦後復興の主たる担い手はウクライナとみなしております。その前提には、同国がロシア軍による占領地を奪回し、完全に自らの施政下に置く状態の実現があります。東部地域を回復して初めて、ウクライナは、自らの復興事業を、その資金源の大半が海外からの融資や投資等であれ、自らの政策権限並びに予算を以って進めることができるのです。

それでは、実際に、大半の国からは国家承認を得られなくとも、同地域において二つの親ロ国家が存続し、ロシアがその事実上の後ろ盾となった場合、調達された復興資金の行方はどうなるのでしょうか。昨日のブログでも述べたように、既に、欧州評議会銀行がウクライナ復興債を発行していますし、日本国のJICAをはじめ、復興債発行の動きが世界規模で広がっています。投資家の関心も集めており、世界最大の機関投資家であるGPIF(日本年金機構)も保有の方向に動くかもしれません(その一方で、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は、2200億円ほどのロシア関連の債権を保有していたものの、対ロ制裁に従って評価をゼロに…)。EUレベルでも、ウクライナの復興を支援するための共同債の発行を検討しているとも報じられており、同案が実現すれば、ウクライナへの復興資金の提供がEU加盟に先立つこととなりましょう。

急ぎ全世界から復興資金を調達しても、東部がロシアの勢力範囲に組み入れられた状態では、これらの資金は宙に浮いてしまいます。双方の攻撃によって凄まじい破壊が行われ、戦場となったのは、主として東部地域なのですから。報道によりますと、現在の戦況はロシア優勢ということですので、ウクライナによる東部地域の奪還は困難な状況にあり、復興事業開始の目途は全く立っていないのです。

もっとも、ロシア軍は首都キーウ(キエフ)まで侵攻していますので、戦闘が始まった2月25日からロシア軍が撤退する4月3日までの凡そ一か月間の間、ウクライナ側に被害が発生しています。この間、全世界を震撼させたブチャにおける民間人虐殺事件が起きたとされておりますので、まずは、調達資金をキーフ(キエフ)周辺地域における被害の復興に充てるのかもしれません。もっとも、キエフ周辺の復興に資金を要するとしても、おそらく概算されている100兆円には届かないことでしょう。

以上に、ウクライナ復刻資金に関する素朴な疑問を投げかけてみましたが、ウクライナ復興資金の調達事業には、やはり慎重であるべきなのかもしれません。同国の債務危機を考慮しますと、調達資金は債務返済に充てられるかもしれませんし、戦闘状態が長引けば、事実上の’軍資金’の提供となりかねないからです(底なし沼に…)。ウクライナ危機にはまだまだ不透明感が漂っていますし、その背後には闇が潜んでいる気配もします。仮に復興資金を提供するならば、厳正な外部モニタリングの仕組みを要求する必要がありますし、日本国政府も、より中立的で客観的な視点からの分析に努めるべきではないかと思うのです。

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ウクライナ危機の間接的な被害・損害は誰が償うのか?

2022年07月07日 12時59分59秒 | 国際政治
今般、スイスで開催されたウクライナ復興会議における主要課題は、もちろん、ウクライナの戦後復興でした。ロシア軍の爆撃等により国土が破壊されたのですから、ウクライナの復興が議題となるのは当然のことなのですが、ウクライナ危機によって生じた被害や損害は、ウクライナ一国に留まるものではありません。実のところ、間接的ながら、日本国をはじめ全世界が甚大なる被害や損害を被っていると言えましょう。

ウクライナ危機によって、全世界の諸国はエネルギー資源並びに穀物価格の上昇に見舞われ、連鎖的な物価高や電力不足等に直面しています。政府による対策費の支出も、相当の額に上ります。また、ウクライナの要請に応え、いち早く米欧諸国と足並みを揃えて対ロ制裁に踏み切った日本国も、石油・天然ガスの国際開発プロジェクトであるサハリン2の権益がロシアによって一方的に接収される危機に直面しています(なお、補償なき一方的接収は国際法違反…)。こうした間接的、かつ、広範な被害や損害は膨大な額に上り、それば、ウクライナ復興に必要とされる100兆円を遥かに越えるものと予測されるのです。

それでは、全世界の諸国が受けた被害や損害は、一体、誰が賠償、あるいは、補償するのでしょうか。誰もが償わないとなりますと、被害や損害を受けた側は’泣き寝入り’ということになります。それでは、他国の行為によって損害や損失の賠償や補償の請求が可能かと申しますと、今日の国際社会を見ますと、司法制度は未熟な状態にあり、損害賠償訴訟の手続きを定める国際訴訟法も、国内法のレベルにはほど遠い状態にありますので、ウクライナ危機を原因とする賠償や補償については、明確に可能とも不可能とも断言できないのです。

その一方で、上述した復興会議では、ウクライナは、ロシアの凍結資産の没収を以って復興費に充てるとする案を提起しています。この案に従えば、ロシア制裁に参加して損害を被った諸国は、自国において生じた損害を同様の手段で回収することができることとなります。否、復興資金として当事国であるウクライナに提供するよりも、率先して自国の損害に充てようとする国の方が多いかもしれません。何れにしても、双方が制裁を強化すればするほど、あるいは、長期化すればするほど、賠償や補償の額も膨大となるのです。

もっとも、ウクライナによるロシア資産強制没収案も、国際法において根拠があるわけではなく、むしろ、一方的な実力行使の側面があります。となりますと、合法的にロシアに賠償を請求しようとするならば、先ずもって、今般のウクライナ危機について中立・公平な立場からの検証し、ロシア側の有罪を確定させる必要がありましょう。つまり、国際レベルにおける検察活動が行われ、かつ、裁判手続きを経なければ、ウクライナ側の強制没収には合法性が生じないのです。ロシアの罪状が確定しない状態での資産没収は、ロシア側からすれば‘略奪’と見なされかねないリスクさえあります。

しかも、ウクライナ側には、ネオ・ナチとして批判されてきたアゾフ連隊という‘脛の傷’があります。ウクライナ危機に先立って、既に内戦状態にあった東部地域で何が起きていたのか、その事実確認なくして今般の危機を論じることも、真相を解明することも困難です。内乱の最中で同連隊によるロシア系住民の迫害やロシアに対する挑発行為があったとすれば、ロシアのみに100%の責任があるとは言い切れなくなります。

戦勝国となろうが、敗戦国となろうが、ウクライナ並びにその支援国も、合法的にロシア資産を没収するためには、国際法廷にあって自らの無実を証明する必要がありましょう(たとえウクライナが敗戦国となったとしても、ロシア側に対する国際法上の損害賠償権を保持することはできる…)。国際司法機関の決定があれば、これを根拠として、ロシア資産を没収することもできます。もっとも。仮に、国際法廷においてアゾフ連隊等の行為が問題視されれば、あるいは、同法廷では‘和解勧告’が出されるかもしれません。ウクライナにも責任があるとの判断が下されれば、同国は、自国に協力して対ロ制裁を実施した結果、ロシアの逆制裁により損害を受けた諸国に対する賠償、あるいは、補償責任が生じるかもしれないのです(あるいは、法廷での審理の過程で‘黒幕’が明らかに…)。

国際社会において起きる出来事については、何事も、両当時国の歴史に遡り時系列的に順序だてて双方の行為について事実を確認し、複雑に絡み合う要素を整理し、そして、表に見える現象の裏側までをもよく調べて判断する必要がありましょう。ウクライナ危機における復興資金や賠償の問題も、厳正な事実確認をいたしませんと、事態をさらに混乱させる要因にもなりましょう。そして、’賠償や補償に関する問題が人々の意識の表面に上るほどに、紛争や戦争に伴うコスト、並びに、その責任や負担の重さに慄くことになるかもしれません。願わくば、天文学的な数字となるコストや負担が戦争の抑止力となりますように。

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リスクに満ちたウクライナ復興資金問題

2022年07月06日 13時49分15秒 | 国際政治
 ロシアによる軍事介入を受ける以前から、ウクライナは、巨額の対外債務を抱え、資金繰りに苦しむ国でした。’ウクライナ危機’とは、かつてはこの財政危機を意味していたのですが、今では、国際紛争にその席を譲っています。ところが、今般、スイスにおいて開かれたウクライナ復興国際会議では、今後、二つの’ウクライナ危機’が合流してしまう可能性を示しています。同会議に出席したウクライナのデニス・シュミハリ首相によれば、同国の復興には100兆円を超える資金を要するそうです。

同国際会議では、「ルガノ宣言」が採択されており、復興の中心的な推進国をウクライナに定めています。この宣言によれば、復興資金も当事国であるウクライナが負担すべきということになるのですが、戦争被害に対する賠償金の問題は、本来、ウクライナとロシアとの間において締結される講和会議、並びに、講和条約の締結を以って解決されるべき問題です(もっとも、ロシアは、’戦争’であることを認めていませんが…)。ウクライナが戦勝国となれば、同国は、ウクライナ側が受けた被害額に応じた賠償金をロシアから得ることとなります。その一方で、ウクライナが敗戦国となったとしても、賠償請求権を放棄しない限り、国際法にあっては対ロ請求権は認められています。

もっとも、後者の場合には、ロシア側が賠償金の支払い要求に応じる可能性は極めて低く、ウクライナ復興資金は、重くウクライナの肩にかかってきます。しかも、既にデフォルト寸前の状況にありましたので、ウクライナが自力で100兆円もの資金を自国の歳入から拠出できるはずもありません。となりますと、海外からの資金調達を当てにするしかないのですが、ウクライナ財政の危機的な現状を見れば、同国への融資には、各国政府も民間金融機関も二の足を踏むことでしょう。国債の発行という調達手段もありますが、高利回りの外貨建てのウクライナ債を発行しようものなら、即、デフォルト宣言となりかねません。

こうしたウクライナの厳しい財政事情からしますと、ハイリスクを承知で官民の海外金融機関から融資を受けるか、各国政府からの’災害復興支援’に類する形で無償供与に期待するしかなくなります(早期に同国がEUに加盟できれば、EU予算から拠出されるかもしれない…)。前者については、既に欧州評議会銀行が2800億円規模のウクライナ復興債を発行する一方で、日本国のJICAも「平和構築債」の名称で200億円分のウクライナ支援債を発行する旨を公表しています。JICAの説明によれば、ウクライナ政府に対する有償資金協力事業に充てるとしていますが(地方自治体の購入も見込んでいるとのこと…)、こうした政府系の金融機関による債権発行は、ウクライナ債発行リスクの肩代わりとして理解されるかもしれません。

復興支援債の発行が相次ぐ一方で、ウクライナに対して多額の融資を行ってきた金融機関は、悲観的な見通しを示しています。例えば、現時点にあってウクライナへの融資が21億ユーロにも上っている欧州復興開発銀行のチーフエコノミストは、「ウクライナ経済は、停戦が実現しなければ、今年20%のマイナス成長になる見通し」と述べています。言い換えますと、ウクライナへの貸し付けが焦げ付いたり、ウクライナ関連の債権が不良債権化し、同行の財務状況が悪化することを懸念しているのです。プーチン大統領は、ウクライナ危機の長期化を示唆しており、戦争が長引けば長引くほど、復興の見通しがつかず、復興資金も膨れ上がることでしょう(投資リスクの上昇…)。

金融機関の動きはかくも‘ちぐはぐ’で不自然なのですが、少なくとも、「ルガノ宣言」にあって復興資金の使途に関する透明性が明記されたのも、同資金が、過去の債務返済に充てられる事態を予測していたからなのでしょう。このままでは、‘ババ抜き’になってしまうからです。ウクライナ復興債の行方も危ういのですが、ウクライナのシュミハリ首相は、こうした不安を払拭するかのように、ある提案を行っています。それは、復興資金は、ロシア政府、プーチン大統領、並びに同国の新興財閥(オリガルヒ)からの没収財産で賄うべきというものです。

親ウクライナ諸国の政府は、対ロ制裁措置として、既に自国内のロシア資産の凍結を行っています。推計によればロシアの全海外凍結資産は、「3000億~5000億ドル」ともされており、必要とされる復興資金の半分ほどは賄える計算となります。日銀も、ロシアから預かっている円建ての4から5兆円の資産を凍結しました。しかしながら、仮にこの案を各国政府が実行した場合、一体、何が起きるのでしょうか。

現状でさえ、ロシアは、大統領令によってサハリン2における日本国の権益を接収しようとしています。プーチン大統領やラブロフ外相等の個人資産、あるいは、民間財閥の資産のみならず、日本国政府がロシアの円建て外貨準備を没収し、それを全額外貨に換金してウクライナに提供したとなりますと、ロシアに対して、対日攻撃の口実を与えることにもなりかねません。同リスクは、ロシア資産の凍結を実施した他の西側諸国にも共通しており、第三次世界大戦を引き起こしかねないのです。ウクライナ復興支援問題は一筋縄ではゆかず、あらゆる側面を考慮しつつ、慎重にも慎重を期すべき大問題であると思うのです。

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国際社会に言論の自由を-核の自衛的使用の問題

2022年07月05日 12時34分50秒 | 国際政治
 フランスの著名な人類学者であるエマニュエル・ドット氏は、今日、日本国の核保有を支持する稀な知識人の一人です。外的圧力もあって、なかなか核保有を言い出せない日本国にとりましては、海外の識者からの指摘はありがたいお話なのかもしれません。何故ならば、国際社会、少なくとも各国政府によって構成される国際政治の世界では、必ずしも言論の自由が保障されているようには見えないからです。

 日本国の核保有を支持する理由としては、日本国の独立国としての自立性、並びに、米国依存の安全保障の脆弱性の克服等を挙げております。同見解は、対米追従を回避するために核保有国となったフランスのド・ゴール路線とも一致しています。もっとも、ドット氏は、改宗ユダヤ人の家系に生まれており、その思想には、共産主義への強いシンパシーも伺えます。以前の論説では、対米バランサー、あるいは、抑止力としてのロシアの役割を高く評価していますので、地政学的な二項対立の思考枠組みへの強い拘りも見られます。この点において、全諸国による核の抑止力の開放を主張する本ブログの見解とは大きく違っているのですが、力の抑止力、あるいは、バランス・オブ・パワーによる平和という文脈において、日本国の核の保有の議論に一石を投じているのです。

 ドット氏の主張は、民間の言論界にあっては核保有の議論をおこなう自由な空間が確保されていることを示すのですが、上述した国際政治の世界では、様相が随分と違っています。非核保有国の政府が核保有の議論を提起しようものなら、核保有国の大国から’犯罪国家視’され、有形無形の圧力がかかってきそうなのですから。先日、アメリカの政府高官も、NPT体制が核戦争から人類を救ったかのような、高い評価を与えていました。

 しかしながら、仮に、国際政治の世界にあっても、何らの圧力や脅しもなく、国家間にあって自由な議論が許されるならば、核保有国は議論に負けてしまうのではないでしょうか。一部の大国に特権を認める不平等条約である点が最たるものなのですが(一般国際法としての要件を満たしていない…)、核兵器の拡散が国際の平和にとりまして看過できない脅威であるならば、それは、端から中小国を信用できない危険な国と見なしていることになり、中小国からしますと失礼千万となりましょう。’あなた方には危険性があるので、核兵器は持ってなりません’と言われても、その言葉を快く受け止める国はありません(それほどに危険な兵器であれば自らも放棄すべきですし、今日では、核保有国の方が余程危険な国であることが明らかに…)。あるいは、’核兵器を持たなくても、私たちが核の拡散を防止しますし、核の傘も提供します’と説得されても、現実を見ますと、この約束も凡そ反故にされています。

 NPTの不合理性や不条理を挙げれば切りがないのですが、もう一つ、新たな視点を加えるとしますと、核兵器は、有事に際して自衛を理由として使用されたという歴史がある点です。自衛的な核の使用とは、まさに第二次世界大戦における広島と長崎の事例です。両都市への原子爆弾の投下は、本土決戦に際して予測されるアメリカ軍将兵の死傷者を極力減らす、即ち、事前の自衛措置として決定されたと説明されています。言い換えますと、通常兵器による戦闘における自軍の犠牲者を完全になくすには、相手国に対して核兵器を使用する方が合理的ということになりましょう(しかも、民間人の殺傷を禁じる戦時国際法がありながら、原爆投下は正当化されてしまう…)。’核は残酷な兵器ではあっても、核の使用によって救われた命もあった’ということなのです。

 この論理に鑑みますと、核の先制使用に対するハードルは低くなります。このため、核保有国と非核保有国との間の力学的なポジションの違いはより際立ちます。軍事力の二面性とは、有事に際しての攻撃力と平時における抑止力として説明されますが、核兵器の場合は、これに、非核保有国に対する有事における自衛力、つまり、相手国に対する反撃能力の破壊力や制圧力が加わります。ウクライナ危機にあっても、ロシアが劣勢に陥った場合に核兵器の使用が予測されますのも、核兵器にはこの効果があるからです。

 アメリカが、核保有国のみが持ち得るオプションとしての有事に際しての自衛的使用を否定しますと、自らの原爆投下の誤りを認めることになりますので、アメリカが敢えて原爆投下の正当性を根底から揺るがすような自己否定をするとは思えません。また、他の核保有国も、この有利すぎる’特権’の保持を望むことでしょう。しかしながら、その一方で、大多数を占める中小諸国にとりましては、常に自国に対して核兵器が使用されるという脅威に晒され続けますので、NPT体制ほど、自国の安全保障にとりまして危険な体制はないということになります。8月に予定されているNPTの再検討会議において、言論の自由が保障される環境の下で議論が尽くされるならば、その結論は、やはりNPT体制の終焉なのではないかと思うのです。

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スタートアップ担当相創設の悪い予感-’新しい社会・共産主義’?

2022年07月04日 13時13分39秒 | 日本政治
 先日、岸田内閣において、新しい資本主義を具体化する方策として、’スタートアップ担当相’なるポストの創設を検討しているとの報道がありました。近年、アメリカをはじめ他の諸国と比較して、日本国内におけるスタートアップの起業数が少ないことを懸念した政府が、国内におけるスタートアップを支援しようという試みのようです。しかしながら、このスタートアップ担当相の報道、悪い予感しかしないのです。

 そもそも、’スタートアップ’なる用語は、IT関連分の事業分野で頻繁に使われ始めるようになったものです。一般用語としての起業やベンチャー企業等ではなく、敢えて’スタートアップ’という用語を使うのは、政府が、ポスト新設をITやAIといったデジタル化政策の一環として捉えているからなのでしょう。しかしながら、起業とは、デジタルといった先端産業の分野に限られたことではありません。全ての事業分野にあって起業には、人々のニーズに応える、人々に新種の製品やサービスを提供する、独創的なアイディアを現実の経済に活かす、経済の新陳代謝を促す、新たなテクノロジーを収益性と繋げる、あるいは、店舗の開設で自らの‘夢’を実現するといった多面的な経済効用があります。‘スタートアップ’と命名した時点で、‘政府主導型のIT産業育成’という中国との類似性が見受けられるのです(国民監視・管理テクノロジーとしてのIT?)。あるいは、ムーンショット計画のように、カルトじみたメタバース社会の実現を目指したいのかもしれません。

 また、既に日本国政府は、海外事業者に対して市場開放を進めてきましたので、支援対象となるスタートアップは、日本人が起業した企業であるとは限りません。日本国の法律に基づいて会社登録された企業であれば、事業者の国籍は問われないこととなりましょう。否、岸田首相は、外国人留学生を日本の宝として歓迎しておりましたので、この発言からしますと、スタートアップへの支援も、海外出身の事業者を優先するかもしれません。特にITの分野では、日本人技術者の不足や能力への懸念が指摘されてきましたので、海外から有望なスタートアップ参加者を招くことが、日本国政府の真の目的であるのかもしれません。

 第3に指摘し得ることは、スタートアップへの融資や補助金が制度化された場合(基金を設けるなど…)、新たなる政治利権となるリスクです。政党や政治家とのコネクション(所謂口利きというもの…)の有無が支援対象事業者の選定に影響を与えるとすれば、名称だけは響き良く新しくしただけで、それは、古い利権政治への回帰、あるいは、悪化に過ぎないのかもしれません(共産主義国家の計画経済も、結局は、共産党員が利権を独占するコネ経済に堕してしまう…)。

 そして、極めつけとも言えるのが、今年末頃に支援政策全体の骨組みを示すために、岸田政権が、「五か年計画」の策定を予定しているとするくだりです。「五か年計画」という文字を見ますと、頭がくらくらしそうです。何故ならば、「五か年計画」という言葉は、ソ連邦といった共産主義国家が計画経済を実施するに当たって使われてきた歴史があるからです。これまでも、政府は、しばしば’工程表’なる、どこか共産主義風味の用語を使ってきましたが、「五か年計画」という表現には、’工程表’以上に政府主導型経済への移行への道筋が見えてくるのです(政府は、個々の自由な経済活動に基づく自律的、かつ、自由な経済発展を望んではいない…)。

曖昧とされてきた岸田内閣が唱える’新しい資本主義’の正体とは、’古い社会・共産主義’であったのでしょうか。あるいは、資本主義と’古い社会・共産主義’とを融合させた形態が、’新しい資本主義’というものなのでしょうか。因みに、資本主義と共産主義とは、その実、表裏一体であるとする説があります(共産主義革命は、ロスチャイルド家などを中心としたユダヤ系金融財閥によって計画・実行されたものであり、資本主義国も共産主義国も、結局、同勢力の手のひらの上で踊らされている…)。’スタートアップ相’という名称は、いかにも自由主義経済をイメージさせつつも(資本主義と市場主義並びに自由主義経済は別物…)、国民は、本来は私的存在に過ぎない超国家権力体によって仕掛けられた政治・経済の一元化(全体主義…)、あるいは、人々の思考を一定の方向に追い込む二頭作戦の罠を疑うべきではないかと思うのです。

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日本国のアジア版NATO参加の大問題とは?-朝鮮戦争ファクター

2022年07月01日 10時09分51秒 | 国際政治
 日本国の岸田文雄首相がNATOの首脳会議に出席したことは、ウクライナ危機に端を発した西側陣営の強化という側面があります。NATOの会議であるため、第一義的にロシアが安全保障上の’敵国’として想定されていますが、ロシアと並んで脅威が共有されている国は、何と申しましても国際法秩序の破壊者としての中国です。否、中国の脅威に対する認識があるからこそ、日本、オーストラリア、ニュージーランド、並びに、韓国が、「アジア・太平洋パートナー国」として招かれたのでしょう。

 かくして対中ロ陣営の形成が急速に進展することとなったのですが、この流れの中で、アジア版NATOの構想が持ち上がっております。NATO首脳会議に顔を見せたアジア四カ国を中心として、中国包囲網としての多国間軍事同盟を結成しようとする試みです。大西洋地域のNATOと共に、太平洋地域においてアジア版NATOが出現すれば、ロシアと中国を東西から挟み撃ちにできますので、地政学的な視点からは極めて合理的な戦略となりましょう。シー・パワーがランド・パワーを抑え込み、ランド・パワーは、両面戦争を強いられる形となるからです。

 しかしながら、地政学上の合理性は、平和という観点からしますと、必ずしも’最適解’を導くわけではありません。むしろ、戦争を引き起こす要因となるリスクも高く、ここで一旦、地政学的な思考から離れてみる必要がありましょう。

 アジア版NATOの結成については、日本国は参加できないとする指摘があります。日本国については、憲法第9条の制約があり、他国のようには集団的自衛権を行使できないというものです。確かに、法的には集団的自衛権の行使には存立危機事態という条件が付されており、行使容認の幅は比較的狭く設定されています。しかしながら、その定義は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」となりますので、かなり抽象的な表現です。‘密接な関係にある他国’という表現では、もっともらしい理屈を付ければおよそ全ての国が対象となる可能性も否定はできないのです。

 このことから、憲法第9条は、決定的な制約とはならず、アジア版NATOが実現すれば、むしろ、北大西洋条約と同様に、’アジア・太平洋条約’によって集団的自衛権の発動条件や範囲を明確化、あるいは、限定化することとなりましょう。その一方で、アジア版NATOには、もう一つ、別の大問題があるように思えます。それは、韓国の存在です。

 韓国は、休戦中とはいえ、朝鮮戦争の当事国です。しかも、朝鮮戦争は、北朝鮮による侵略を理由として’国連軍’が結成されていますので、アメリカを筆頭に欧米諸国が軍隊を派遣しています。単なる二国間戦争の枠を越えた極めて複雑な様相を呈する戦争なのですが、仮に、韓国がアジア版NATOに加盟するとなりますと、日本国を含めた他の加盟国は、朝鮮戦争(第二次朝鮮戦争?)に参戦せざるを得なくなります。言い換えますと、北朝鮮が韓国、あるいは、アメリカを攻撃した途端、集団的自衛権が発動され、日本国も参戦する義務を負うこととなるのです。北朝鮮は、事実上の核保有国であり、かつ、長距離ミサイルの開発も進めています。

アメリカは、既に朝鮮戦争の当事国といってもよい状況にありますが、他の日本国、オーストラリア、ニュージーランド、並びに、東南アジア諸国等(加盟したとすれば…)は、朝鮮戦争に巻き込まれるということになりましょう。北朝鮮は、自国がロシア・中国陣営にあることを明言していますし、1961年に締結された中朝友好協力相互援助条約も未だに有効ですので、中国も同条約を根拠として参戦してくることでしょう。韓国の参加は、戦争当事国であるウクライナをNATOに加盟させるようなものなのです(仮に、ウクライナがNATO加盟すると、即、NATO対ロシアの戦争になるように、アジア版NATOと中ロ陣営との戦争となる)。

仮に、今日、既に三次元戦争が戦われているならば、アジア版NATOの結成も、第三次世界大戦への道を開くための導火線を敷くことを意味するかもしれません。二次元における中国の脅威に対抗する必要性は否定のしようもありませんが、アジア版NATOについては、世界大戦リスク含みの朝鮮戦争ファクターを無視してはならないと思うのです。

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