万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

核保有は主権平等を実現する-核は多面的に評価を

2023年02月07日 12時28分01秒 | 国際政治
 今日の国民国家体系では、国家間の対等性を意味する主権平等が基本原則として確立しています。しかしながら、この原則はあくまでも‘建前’であって、実際には、国力の差により国家間関係が対等ではなくなるケースも少なくありません。軍事力を基準として国際社会全体と構造的に理解しようとする現実主義の立場からも、世界は、パワーを有する大国を‘極’とする、超大国による二極構造や三極構造、あるいは、幾つかの大国によって構成される多極構造として説明されます。軍事ではなくマネーをパワーの主要な源泉と見なすならば、もしかしますと、世界は、既に金融・経済財閥が牛耳る一極支配に近づいているのかもしれません。

 何れにしましても、その源泉が何であれ、パワーというものは個々の関係性に多大な影響を与えますので、平等原則を損なう作用があります。否、逆から見ますと、パワーの格差が強者による弱者に対する横暴を招きかねないからこそ、人々は、他者を侵害しがちな強者を制御し、弱者の基本的な自由や権利を擁護するための‘公的なパワー’、即ち、個々のメンバーの私的パワーを上回る統治権力を求め、法や法制度をも発展させてきたのかもしれません。少なくとも現代の統治システムは、時には犠牲を払いながら弱肉強食の野蛮な世界から脱皮しようとしてきた人類の知恵と努力のたまものなのでしょう。

 かくして今日では、パワーの格差に拘わらず、国民の基本的な自由や権利の保護は国家の基本的な役割と認識されているのですが、現実には、権力の私物化は世界各国に見られ、政府が強者のために権力を行使する姿も日々目の当たりにしています。ましてや国際社会に至っては、国家レベルほどには司法制度も整備されておらず、各国は、他国から侵害された場合、個別であれ、集団的であれ、正当防衛権もって自らを護るしかない状況にあります(国連は制度的結果のため機能不全に・・・)。言い換えますと、パワーが未だにものを言っているのが、国際社会の現実なのです。

 しかも、このパワー格差はNPT体制によってさらに強化され、永続的に固定化されています。昨日の記事で述べたように、お世辞にも善良な国家とは言えない国が核兵器国として絶対的な優位な立場にあり、安全保障のための軍事同盟も、非核兵器国にとりましては、一方的な核兵器国に対する依存と、それに基づく上下関係を意味するのです。

それでは、何故、この理不尽な体制が定着してしまったのでしょうか。今日の状況は、核兵器を非人道的な破壊力という一面からしか評価しない態度に基づいています。しかしながら、何事にあっても、多面的に見なければ的確な評価や判断はできないものです。軍事力には破壊力という表の一面がある一方で、抑止力という裏の側面があります。核兵器にも、当然にもう片面の抑止力があります。否、破壊力と抑止力は比例関係にあり、前者が強いほど後者も強まるのです。核兵器を多面的に評価するならば、その抑止力を無視してはならないはずなのです。とりわけ、現在の国際社会が弱肉強食の世界から脱し切れていない状況にあればこそ、抑止力まで放棄させる手法は、核保有国の横暴をエスカレートさせこそすれ、必ずしも諸国の安全性を高めることはないのですから(同盟国である核兵器国による‘核の傘’の提供は、連鎖的に世界大戦や核戦争への道を開いてしまう、あるいは、核攻撃を受けるリスクにも・・・)。

 以上に述べたように、軍事面における核兵器の効果については、抑止力の側面からの再評価が必要とされましょう。そしてもう一つ、非軍事的な分野にありましても、核保有は、主権平等の原則に近づく効果が期待されます。それは、交渉において双方、あるいは、全ての当事国に対等な立場をもたらす効果です。

 法律問題の解決は司法解決が最も適しているものの(現状では上述したように未整備・・・)、双方が根拠を有する政治問題については、外交交渉などの話し合い解決が平和的な解決手段として奨励されています。しかしながら、当事国間にあって軍事力に著しい差がある場合には、交渉の席にあっても強国が有利となることは否めません。最悪のケースでは、対等な立場での話し合いと言うよりも、強国による弱小国に対する武力による威嚇に等しい脅迫の場となってしまうのです。当事国の双方が納得する合意を形成するためには、その前提として全ての当事者が対等である必要があります。この意味においても、核保有は、政府間交渉における対等化の効果が期待し得るのです。違法に核を保有した北朝鮮が、朝鮮戦争の休戦にあって初めてアメリカ大統領とのトップ会談は実現したのが、悪例ながらも核による対等性の事例とも言えましょう。

 北朝鮮の核開発については、それが詐術的な違法行為であった故に当然に非難されるべきであり、実際に同国は激しい国際的な批判を浴びることとなったのですが、より広い視点から見ますと、この事件は、NPT体制の破綻として捉えるべきなのかもしれません。当事は北朝鮮に核放棄を求める声で埋め尽くされていたものの、ウクライナ紛争に直面している今日にあっては、全諸国が核を保有する相互抑止体制の方が、よほど平和に資するかもしれないからです(世界権力は、対立や争いから利益を得る戦争利権の権化でもあるので、平和の実現は見えない‘一極支配’をも終焉させるかもしれない・・・)。果たして、核兵器解禁論は暴論なのでしょうか。それとも、日本国を含む全ての諸国の安全性を高めると共に、主権平等の原則を現実のものとする‘切り札’なのでしょうか。

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‘悪党’のみが核を保有する世界

2023年02月06日 11時11分58秒 | 国際政治
核兵器につきましては、その破壊力の凄まじさ、並びに、都市攻撃を前提とした民間人殺戮の非人道性から、この世からなくなるべき存在として広く認識されています。このため、国際社会では核技術の拡散を防ぐために核拡散防止条約が成立し、1970年代からNPT体制が構築されると共に、昨今では、核兵器の全面廃絶を目指す核兵器禁止条約まで出現しています。核拡散防止条約であれ、核兵器禁止条約であれ、少数かゼロかの違いがあっても、何れの条約も、核兵器=絶対悪の構図からのアプローチです。しかしながら、両条約とも、一つの重大な側面を見落としているように思えます。それは、既に核を保有する核兵器国が‘善’である保障はどこにもない、という点です。

NPT体制の成立に際して、アメリカをはじめ核保有国が他の諸国に核保有の道を断念させるために使ったロジックとは、核兵器は非人道的な兵器である⇒悪党国家が保有したならば大変なことになる⇒核兵器は拡散させてはならい⇒治安維持の責任を負う軍事大国には核が必要(もっとも、将来的には放棄する‘つもり’・・・)、ということになりましょう。NPTは、いわば、国際社会の‘銃刀法’のようなものであり、警察官のみが銃を保有する状態が、犯罪者を取り締まり、治安を維持することができるという論理です。

しかしながら現実を見ますと、この論理の前提条件は、最初から存在していませんでした。NPTでは、1966年までに核兵器を爆発させた国に核兵器国としての合法的な立場が認められているのであって、核兵器国=善=警察役という条件付けはなされていないのです(国連常任理事国が条件でもない・・・)。実際に、共産主義国家であったソ連邦という暴力主義国家が既に核兵器を保有していましたし、中国も、条約上の核兵器国の条件を満たしてしまっていたのです(NPTの採択は1963年でありながら、中国は1964年に核実験を実施している・・・)。これでは、暴力団に警官用の拳銃の所持を許したに等しくなります。

また、近代以降の歴史を振り返れば、イギリスやフランスのみならず、アメリカもまたフィリピン等を植民地として領有してきた所謂‘悪’の過去があります。国連安保理にあっては常任理事国の地位の地位にありながら、法律上の立場と現実とは必ずしも一致しておらず、法の支配を掲げる自由主義国とはいえ、‘世界の警察官’としての信頼性は必ずしも高いわけではないのです。アジア・アフリカ諸国にあって、しばしばこれらの諸国に対する反発が起きるのも、表看板として掲げる理想とは裏腹の言行の不一致という偽善性を見抜いているからなのでしょう。しかも、オバマ元大統領は、あっさりと‘世界の警察官’の役割の放棄を宣言してしまいました。

そして、極めつけと言えるのが、イスラエルや北朝鮮による核保有かもしれません。イスラエルといえば、モサドとういCIA並に全世界的に活動を展開している情報機関を有しており、世界権力とも繋がるグローバルなユダヤ系ネットワークとの関連が指摘されています。中東戦争を背景とした自衛のための措置であったとしても、ユダヤ人の利益追求にのみ利用されることでしょう(仮にイスラエルの保有を認めるならば、アラブ諸国にも認めるべき・・・)。また、北朝鮮に至っては、世界屈指の暴力主義国家にして無法国家であり、凄まじい国民虐待に留まらず、国際法の規範からも著しくかけ離れた行動で知られています。NPTの締約国でありながら、朝鮮半島非核化宣言も米朝合意も反故とし、六カ国協議で時間稼ぎをしながら国際社会を騙して核を保有したのですから。NPT体制への参加を諸国に促すに際しては、上述したように‘悪党国家が保有したならば大変なことになる’と力説されたのですが、まさにNPT体制下において、この恐れていた事態が現実となってしまっているのです。

インドとパキスタンにつきましては、印パ戦争を背景とした相互抑止のための保有ですので印パの両国については別に論じるとしても、今日の国際社会は、悪党のみが核を保有する世界といっても過言ではありません。すなわち、NPT体制は、その発足当初から、大手暴力団に警官の制服と拳銃が与えられる共に、他の警察官にも前科があるために全幅の信頼を置くことができない体制であると言えます。そして、遂には、最も危険な狂信的暴力団の手にも拳銃が渡り、世界権力の‘鉄砲玉’ともなりかねない状況にあるのです。

悪党のみが核を保有する現状は、善良な非核兵器国にとりましては、悪の支配を意味します(オセロの四隅を悪党達に独占されている・・・)。徒に‘核なき世界’の理想を追い求めるよりも(悪党は悪党であるが故に、自らの支配力の源泉を手放すはずがない・・・)、悪党による核の独占という、人類が現実に直面している問題の解決に努める方が、余程建設的ですし、平和に資することとなりましょう。NPT体制の見直しの必要性は、悪しき現状からの脱出という意味において、決して否定できないのでは亡いかと思うのです。

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核保有が日本国の戦場化を防ぐ-台湾有事への対応

2023年02月03日 12時31分58秒 | 国際政治
 中国の習近平国家主席が台湾の武力併合をも辞さない構えを見せている今日、台湾有事が、日本国の安全を直接的に脅かす事態であることは、誰もが認めるところです。アメリカのバイデン政権はウクライナ紛争への介入の度を強めており、同政権の介入主義的な方針からすれば、台湾有事に際して同様の対応を採ることが予測されます。

 台湾有事につきましては、あらゆる手を尽くしてこれを未然に防ぐのが最善の策です。平和的な解決手段としては、台湾の国際法上の独立的地位を確認訴訟を通して確立するという方策もあるのですが、各国の政治家の怠慢や中国、あるいは、世界権力の妨害により、阻止されてしまう可能性があります。このため、多方面からのアプローチを同時に進める必要があるのですが、軍事的手段としては、抑止力に期待する同国の核保有があります。そして、核保有案は、台湾有事が日本有事と同義となりかねない日本国につきましても、3つの局面において日本国の防衛力を高めるのではないかと思うのです。

 第一の局面は、中国が未だに台湾に軍事侵攻していない状態における間接的な対中抑止力の強化です。日本国と台湾とのダブルの核保有が実現すれば、第一列島線を凡そ覆ってしまいますので、最も効果的な対中核抑止体制となりましょう。否、仮に台湾の核武装が実現する一方で、日本国が非核兵器国のままですと、中国の拡張主義の矛先が日本国に向かうリスクが高まりますので、日本国にとりましては、両国の同時核武装が望ましいのです(日米同盟に基づく‘核の傘’については、有事に際して開かない可能性が高い・・・)。また、国際社会に対してNPTからの合法的脱退を説明するに際しても、対中抑止・防衛政策として両国同時の方が理解が得やすくなりましょう。

 第二の局面は、中国が台湾に軍事侵攻した際において期待される効果です。台湾有事に際しての日本国の関与については、(1)間接的な対台武器供与並びに後方支援に留める、(2)米軍と一体化して自衛隊が戦闘に参加する、という凡そ二つの選択肢があるそうです。(1)のケースは、さらに(1)a米軍は派遣されず、台湾関連法に基づく武器供与に限定する、(1)b.米軍のみが参戦し、自衛隊は後方支援を担当する、の凡そ二つに分かれることでしょう。(1)aのケースでは、日本国が直接的に中国の標的となる可能性は低いのですが、(2)b.の場合には、米軍基地並びに後方支援行為により対日攻撃の可能性が格段に高まります。

 (2)b.の結果、中国が対日攻撃を行なえば、日米同盟が発動されて(2)へと移行することとなるのですが、この場合、一つの大きな懸念があります。1月31日付けでJBプレスに掲載された「台湾有事に日本は戦場になる――が既成事実化し始めた危険度」というタイトルのWEB記事に依りますと、「米国はインサイド・アウト作戦と呼ばれる構想を採用している」といのです。この作戦、簡略化して述べますと二段階作戦であり、開戦後の第一段階にあっては、最初に第一列島線に配置されている「インサイド部隊」が中国からの対空・対艦攻撃をしのぎ、中国のミサイル攻撃力が消耗された時点で、第二段階に移行し、「アウトサイド部隊」によって人民解放軍を打ち負かすという作戦とされます。言い換えますと、自衛隊は「インサイド部隊」の一角を占めるのですが、第二段階への移行には、人民解放軍側のミサイルの消耗を要しますので、日本列島には、激しいミサイルの雨が降ることが予定されているのです(これらのミサイルを迎撃できなければ、日本国捨て石作戦、あるいは、米中戦争を装った世界権力による日中相打ち計画・・・)。

 ‘インサイド・アウト作戦’は米軍が決定した公式のものではないものの、現下の中国軍の海空によるミサイル攻撃重視の基本姿勢に対する米軍側の合理的な対応であり(陸続きのウクライナ紛争とは異なり、海を隔てた台湾や日本国への攻撃はミサイルが中心となる・・・)、実際に、この線に沿った米軍の配置転換が確認できるそうです。すなわち、中国と日台は、海を隔てているがゆえに、ミサイル戦となる確立は高いこととなりましょう。となりますと、たとえ最中的にアメリカが勝利をおさめたとしても、台湾有事は、日本国を廃墟と化しかねない深刻な事態となりましょう。日本国の核武装が必要とされる第三の局面は、中国が対日直接攻撃に踏み出そうとする時です。一端、中国が日本国を攻撃すれば、インサイド・アウト作戦が発動されてしまいますので、日本国には、何としても自国に対するミサイル攻撃を中国に躊躇わせる必要があるのです。

 以上に、中国からの核攻撃に対する報復という反撃効果もあるものの、三つの局面に分けて日本国の核保有の抑止効果について述べてきました。今般、日本国政府は、通常兵器の増強による抑止力の強化を訴えていますが、NPT体制とは、予めボードの四隅が核兵器国に与えられているオセロゲームのようなものですので、同ボードそのものを無効化しないことには、日本国は滅亡の危機に瀕してしまいます。最善の防止策は、中国を包囲する形でフィリピンから日本国に至るまでの第一列島線上にある国が同時に核兵器を保有することなのでしょうが、戦争の未然防止のため、すなわち、平和のための核保有という選択肢もあるのではないかと思うのです。固定概念への固執はしばしば身の破滅をもたらしますし、思考停止こそ、最大の‘内なる敵’なのかもしれません。

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ウクライナ紛争が示唆する台湾有事未然防止策

2023年02月02日 12時26分27秒 | 国際政治
 NPT体制とは、「オセロゲーム(リバーシ)」に喩えれば、初期設定において核兵器国によってゲーム板の四隅に既に石が置かれているようなものです。同ゲームでは、四隅に自らの石を置いたプレーヤーが圧倒的に有利となり、最終局面で勝敗を逆転させることができます。これをNPT体制に当てはめますと、核兵器国は、既に四隅を確保しているため、対戦相手となる非核兵器国が如何に通常兵器で善戦しても、最後の局面では一気に勝敗がひっくり返されてしまうのです。

 NPT体制における核兵器国の絶対的な非核兵器国に対する優位性は、核兵器国による軍事行動を引き起こす要因ともなり得ます。今般のウクライナ危機についても、ウクライナが「ブダベスト覚書」に基づいて核放棄に応じていなければ、ロシアは軍事介入を控えたであろうとする憶測があります。非核兵器国には核兵器が存在しないのですから、保有する通常兵器の規模に拘わらず、これらの諸国は、攻撃力のみならず抑止力においても絶対的な劣位にあるのです。

 そして、懸念されている中国による台湾侵攻もまた、核兵器国と非核兵器国との間の戦いとなり、上述した非対称な構図となります。もっとも、ウクライナ紛争は既に広義にあっては戦争に発展しましたが(ロシアは、戦争という言葉を避けて‘特別軍事作戦’と呼んでいる・・・)、台湾有事は、近い将来に起こると予測されている事態です。このことは、台湾有事については、現時点にあって、未然に防ぐための措置を講じる時間が残されていることを意味します。地政学を重視する世界権力のシナリオの一つが‘第三次世界大戦の誘発’であるならば、ウクライナの次は台湾のはずですから、同有事の未然防止策とは、破滅的なシナリオからの離脱策でもあるのです。

 ICANといった核兵器廃絶を目指す人々は、核兵器国に同兵器を放棄させれば、核兵器国と非核兵器国との間の非対称性の問題を解消できると主張するかもしれません。しかしながら、現状を見ますと、核兵器国は、世界権力と結託して既に自らの安全保障政策や世界戦略に核を組み入れており、自発的な放棄を期待するのは非現実的です。核兵器国は、確保しているゲーム板の四隅という特等席にして指定席を失うようなことはしないでしょう。非現実的な理想論で現状を固定するよりも(核兵器廃絶運動は核兵器国並びにこれらの諸国をコントロールする世界権力の下僕かもしれない・・・)、より現実的な方法を選択した方が、余程、戦争のリスクは低下しましょう。つまり、全世界の諸国が核の抑止力を備えるという道です。冷戦期にあって大国間に‘核の平和’が現出されたように、拡散化された核の抑止力は、国際社会全体に新たな相互抑止体制をもたらすことでしょう。

 戦後史が示してきた核の抑止力と平和との関連性に注目すれば、台湾の核保有こそが、中国の野心を打ち砕くかもしれません。そしてこの選択肢は、現実的な対中防衛政策として追求されて然るべきではないかと思うのです。

台湾の核武装につきましては、台湾関係法に基づいて核兵器国であるアメリカが提供するのか、それとも、台湾独自で核武装するのか、という問題もありますが、時間の余裕があるのであれば、第三次世界大戦への発展リスクを低減させるという意味においては、後者の方が望ましいかもしれません(この点は、ウクライナも同じ・・・)。台湾には、原子力発電所が全国に三カ所(原子炉6基)建設されており、核兵器の原材料となるプルトニウムを保有しています。政治レベルでの決断があれば、台湾の核保有は実現可能な選択肢なのです。

古来、戦争とは、複数のプレーヤーが勝敗を争うために、ゲームにも喩えられてきました。特に近代以降、大国や強国が世界戦略を遂行するに至ると、世界地図は、ゲームのボードと化してしまった観があります。今日のゲームボードが、既に勝敗の決まっているオセロゲームであるならば、先ずもって、核兵器国に四隅を与えている現状を見直す必要がありましょう。そして、それは、世界を常に戦いが繰り広げられるゲームボードと見なす世界観、否、世界権力がゲームを操り得るゲームボードそのものの転換にも繋がるのではないかと思うのです。

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キューバ危機は本当に核戦争の危機であったのか?

2023年02月01日 13時09分07秒 | 国際政治
 今から凡そ60年前の1962年に、人類は、核戦争の危機に直面したとされています。その名はキューバ危機。核戦略において遅れをとっていたソ連邦が、劣勢挽回を機としてアメリカの目と鼻の先にあるキューバに中距離核兵器を配備しようとしたことが発端となって発生した事件です。結局、アメリカ側の海上封鎖によりソ連邦がミサイル配備を断念したため、核戦争へと転じる一歩手前で立ち止まった事件として知られるのですが、このキューバ危機、今日における核戦争の危機を考える上でも、大いに参考になりましょう。ウクライナを強力に支援するバイデン大統領も、ウクライナ危機をキューバ危機に擬えています。

 キューバ危機は、同危機を平和裏に収束させたとしてジョン・F. ケネディ大統領の名声を高め、その優れた決断力と政治的手腕が後世に語り継がれるきっかけとなった事件でもあります。しかしながら、純粋に核兵器の効果というものを考えた場合、キューバ危機は、本当に核戦争の危機であったのか、疑問がないわけではありません。何故ならば、キューバへの核配備が、その過程で偶発的な米ソ間の衝突が生じたとしても、配備自体が必ずしも核戦争に直結するわけではないからです。

 先に触れたように、キューバ危機は、核戦略においてアメリカの後塵を拝していたソ連邦の焦りが引き起こしたと説明されています。同危機に先立つ1961年には、アメリカは、NATO加盟国かつソ連邦と国境を接するトルコに対して核爆弾を搭載し得る準中距離弾道ミサイル(ジュピターMRBM中隊)を既に配備し、ソ連邦を東西から挟撃し得る体制を整えつつありました。こうした状況下にあって、ソ連邦のフルシチョフ書記長は、赤色革命により共産化したキューバに核兵器を配備することで起死回生を狙う一方で、キューバのカストロ首相も、ピッグス湾事件等で明らかとなったアメリカのCIAによる政権転覆計画や軍事侵攻を防ぐ必要性を認識していたのです。核の攻撃力を高めたいソ連邦と抑止力を獲得できるキューバの双方の思惑は一致し、かくして両国は、キューバに核ミサイルを配備するアナディル作戦を実行することとなったのです。

 国民が政治から排除されるどころか、その生来の権利も自由も抑圧されてしまう共産主義体制が悪しき国家体制であることは疑いようもないのですが、国際社会の行動規範に視点を移しますと、ここで、一つの疑問が呈されます。それは、アメリカには、ソ連のキューバへの核配備、否、キューバの核保有を認める選択肢もあったのではないか、というものです(アメリカの対キューバ軍事介入計画も、海上封鎖も違法の疑いが・・・)。上述したトルコをはじめとしたアメリカによるNATO諸国に対する核配備に際して、ソ連邦はこれを黙認しています。1979年の「NATOの二重決定」際しても、双方が中距離核ミサイルの配備を認めることで決着しています。「NATOの二重決定」とは、軍縮交渉を条件としつつも、1972年以降にソ連邦が東欧諸国に配備していたSS-20弾道ミサイルによる脅威に対抗するために、西ヨーロッパ地域にパーシングⅡ弾道ミサイルを配備するという合意です。双方とも、相手側の核配備を容認することで、結局は、核の均衡による平和を認めているのです。

 さて、キューバ危機に際して成立した米ソ間の合意は、ソ連邦がキューバから核ミサイルを撤去する代わりに、アメリカは、キューバへの軍事介入を控えるというものとなりました。実のところ、トルコからのミサイル撤去も合意内容に含まれていたそうなのですが、これについては実行されなかったようです(トルコには、今なお、核兵器が配備されており、同国は核の抑止力の恩恵を受けている・・・)。一先ずは、アメリカの合意遵守による自制がキューバの共産主義体制を今日まで存続させてきたこととなるのですが、‘キューバの体制維持’という側面からすれば、ソ連邦による核の抑止力の提供であれ、米ソ合意に基づくアメリカによる体制保障であれ、結果は同じであったことになります。

 それでは、米ソ間での取引が成立する一方で、当事国であるキューバは、どのような立場におかれたのでしょうか。カストロ首相にとりましては、アメリカによって自らが樹立した共産主義体制が保障されたに等しいのですから、歓迎すべき合意であったことでしょう(故カストロ首相は、世界屈指の大富豪でもあった・・・)。しかしながら、キューバ国民はどうでしょうか。結局は、窮屈で抑圧的な共産主義体制の檻に押し込められ、経済発展もままならず、植民地時代の流れを汲む砂糖プランテーションの地主が国家に代わったに過ぎませんでした(しかも、主要貿易相手国はソ連邦に・・・)。そして、何よりも、キューバは、1970年に発効したNPTの成立に先立って、たとえ自力開発であったとしても核武装が凡そ不可能となる状況に置かれることとなったのです。

 以後、軍事大国による核兵器独占体制に向けた動きが加速化してゆくのですが、以上に述べた経緯からしますと、キューバ危機は、超大国間にあっては成功例であっても、他の中小非核兵器諸国の国民にとりましては反省材料とすべき事件であったように思えます。冷静になって振り返ってみれば、不必要な危機であったかもしれず(米ソ超大国、あるいは、世界権力によるマッチ・ポンプの疑い・・・)、これは、ウクライナ危機や今後に予測される台湾有事にも言えることなのかもしれません。そもそも、ロシアによる軍事介入を察知した時点でウクライナがNPTを合法的に脱退し、核保有に踏み切っていれば、今般の核戦争の危機は起きなかったと推測されるのですから。

 このように考えますと、キューバ危機にウクライナ紛争を喩えるならば、現在のアメリカが当事のソ連邦の立場となり、米ロ関係は逆転します(ロシアは、ウクライナのNATO加盟による核配備を恐れていた・・・)。となりますと、当事のキューバとは異なり、現在のウクライナは既にロシアから軍事介入を受けているのですから、アメリカは核の非配備をロシアに対して約する必要はなく、また、何れの国もウクライナの核保有には反対はできないはずです。何れにしましても、目下、人類に求められているのは、通常兵器による戦闘をエスカレーションさせることなく、世界権力のシナリオの裏をかくような、より賢明な判断なのではないかと思うのです(つづく)。

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