花の詩山の詩

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このブログは「花と山とを友として」の続編です

旧同僚の友人とめぐる松戸市北小金の本土寺と東漸寺の紅葉

2018年12月05日 23時52分11秒 | アウトドアー
退職前の同僚の友人達と待ち合わせ、松戸市北小金の本土寺と東漸寺(とうぜんじ)という
二つの寺の紅葉めぐりをした。
本土寺はアジサイともみじの紅葉は有名で、私も何度か訪れたことがある。

今回は、同郷のKK君が、待ち合わせの時間より早めに着いたので、時間調整で東漸寺に
行ったら、紅葉も良かったというので、本土寺を回った後、駅前で食事をして、午後から
東漸寺に行ったのだった。

本土寺は紅葉のピークが過ぎている事は予想していた。
最初は先月の29日の予定だったが、先輩のNさんが予定が入っていて無理との事で
今日に変更したからだ。


各駅停車しか止まらない北小金で降りて、本土寺に向かうと、つけもの等の地元の
加工品を販売しているお店が二つほどあり、本土寺に来る参拝者や観光客の多さを
物語っている。
写真は本土寺の山門を額縁にして中の紅葉を写したつもりだったが、ピントが合わず
失敗作だが、周りの人も真似してスマホで撮るひとが多かった。






銀杏の落ち葉の上に、もみじの落ち葉が重なり、黄色と赤のじゅうたんが
広がっていた






苔むした屋根と紅葉を対比して撮影







現役のころ、毎年のように一緒に旅行に出かけたりしていた仲間だが
残念なことに私より若い仲間が二人、すでに鬼籍に入っている。
「寺巡りするのも、これからの功徳の為だよ」などと冗談を言いながら
KK君おすすめの東漸寺に向かった。
東漸寺は、本土寺とは駅を挟んで反対側にある。
(安孫子に向かって本土寺が左側にあり、東漸寺は右側にある)
駅前に確か東漸寺の案内表示があり、400メートルとか書いてあったような。


東漸寺に入る入り口の説明版


一つ目の山門、ここでKK君が面白い事を言った、「さんもん」という読みは一緒なのだが
門は、中央の大きな門と、その左右に小さな脇門を連ねた三つの門で出来ているものを
「三門」と呼ぶのだそうである。
その形式が仏教寺院に用いられたため、のちには門の形式に関わりなく三門と呼ばれる
ようになったというのである。

それがいつの間にか山門と呼ばれるようになったのは、仏教の寺院には「山号」と言われる
ものがあったり、山中に立てられたりしていたので、山門と呼ばれるようになったというのである

また先輩のNさんが、両方の寺にある仁王像の阿形(あぎょう)像と吽形(うんぎょう)像に
ついて、口を開いた阿形は誕生を表し、口を閉じた吽形は死を表していると言っていたので
調べてみると、阿は口を開いて最初に出す言葉、吽は口を閉じて最後に出す言葉を意味し
そこから、それぞれの宇宙の始まりと終わりを表す言葉だという。
狛犬などでも、阿形と吽形があるのも同じような理由なのであろう

これから転じて、二人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを
阿吽の呼吸というと書かれていた。

なお、仁王像が筋骨隆々で恐ろしい形相で立っているのは、寺院内に仏敵が入らないように
守護しているのだそうである (守護神)なので善人は何も恐れる必要はない。


山門をくぐった先に広がる紅葉、例によってこちら向きの人の顔にモザイクを
施しました。


歴史の古い寺なので、由緒やいわれを刻んだ石碑が多い


初めて東漸寺に来たので記念写真を撮ってもらったし、みんなでも記念写真を
撮ったが、それは今回掲載しない。


巨木のもみじが見事だ


中ほどに二つ目の立派な山門が立っていた


本堂の前には、まるで盆栽を巨大化したような見事な枝ぶりの松の木があった


午後の光を浴びて紅葉が美しい

歳ふりて、白髪頭に 変われども 友の夢みし 願い変わらず

(今も変わらず夢を追い続けているわが友に捧げる mino)