昨年末の12月24日のブログ、「県境の山、高峰を歩く」で未掲載だった
山麓の遺跡を二つ紹介します。
平沢林道の入口手前の台地上にある遺跡が「大神台遺跡」です
大神台遺跡の案内板、隣の石柱には「たかみね山桜」と書いてあった
案内板を拡大した写真、大神駅家(うまや)の跡地に比定された場所らしい
但し発掘されていないので、規模などは不明だと書かれている。
案内板のある両側は台地状になっていて、上に登るとそこは麦畑だった
右に案内板の上が見えているので、およその地形が判るであろう
(珍しく番地も書いてあるよ)
案内板の上から見た高峰、案内板の前を登っていくと、平沢林道に
丁字路状に突き当たる。そこを左に登れば平沢林道の入口となる
平沢林道をわずかに登れば、左手に「だいだら坊背負い石」の入口がある
「だいだら坊背負い石」の入口の案内
最初は飛び石伝いに歩く
すぐに落ち葉の尾根道になり
やがて大石が見えてくる、こちらから見るとただの大石だが
下側の石の下から飛び石伝いに回り込むと
大石の脇に、「だいだら坊背負い石」の伝説の由来が刻まれた石碑が立っていた
それには次のように書かれている
万物に神が宿るとの思いが強かった古代、山すその大神台遺跡に住んでいた
人たちは、巨大なこの石には神が宿っているものと信じ、畏敬の念を抱いて
いたのではないだろうか。
それが後世、異様なその形から「だいだら坊」伝説となって語り継がれてきた
ものと思われる。
言い伝えによると、怪力の「だいだら坊」が、背負ってきたこの背負い縄が
ここで切れ、足でけって動かそうとしたが動かないので、そのまま置いて
立ち去ったとのことである。
巨石には、そのときの縄目と、けった時にできたと言われている足跡が、今でも
はっきりと確認することができる
平成21年1月吉日 桜川市平沢地区
それでは、早速裏に回ってみましょう
石の祠のある裏面には、縄目と言われれば縄目に見える模様と、足跡に見える
くぼみが有った
足跡の部分を拡大すると、これ右足じゃないか、すごいね
私は、このような古代のロマンを感じる伝説が好きである。
山麓の遺跡を二つ紹介します。
平沢林道の入口手前の台地上にある遺跡が「大神台遺跡」です
大神台遺跡の案内板、隣の石柱には「たかみね山桜」と書いてあった
案内板を拡大した写真、大神駅家(うまや)の跡地に比定された場所らしい
但し発掘されていないので、規模などは不明だと書かれている。
案内板のある両側は台地状になっていて、上に登るとそこは麦畑だった
右に案内板の上が見えているので、およその地形が判るであろう
(珍しく番地も書いてあるよ)
案内板の上から見た高峰、案内板の前を登っていくと、平沢林道に
丁字路状に突き当たる。そこを左に登れば平沢林道の入口となる
平沢林道をわずかに登れば、左手に「だいだら坊背負い石」の入口がある
「だいだら坊背負い石」の入口の案内
最初は飛び石伝いに歩く
すぐに落ち葉の尾根道になり
やがて大石が見えてくる、こちらから見るとただの大石だが
下側の石の下から飛び石伝いに回り込むと
大石の脇に、「だいだら坊背負い石」の伝説の由来が刻まれた石碑が立っていた
それには次のように書かれている
万物に神が宿るとの思いが強かった古代、山すその大神台遺跡に住んでいた
人たちは、巨大なこの石には神が宿っているものと信じ、畏敬の念を抱いて
いたのではないだろうか。
それが後世、異様なその形から「だいだら坊」伝説となって語り継がれてきた
ものと思われる。
言い伝えによると、怪力の「だいだら坊」が、背負ってきたこの背負い縄が
ここで切れ、足でけって動かそうとしたが動かないので、そのまま置いて
立ち去ったとのことである。
巨石には、そのときの縄目と、けった時にできたと言われている足跡が、今でも
はっきりと確認することができる
平成21年1月吉日 桜川市平沢地区
それでは、早速裏に回ってみましょう
石の祠のある裏面には、縄目と言われれば縄目に見える模様と、足跡に見える
くぼみが有った
足跡の部分を拡大すると、これ右足じゃないか、すごいね
私は、このような古代のロマンを感じる伝説が好きである。