FBのグループや地元のワッツアップグループなどで見聞きしたことや、興味を持って少し調べてわかった文化ネタと歴史ネタをちらほら。(ハリケーンシーズンに備えてスス払いとか壁拭きなどの大掃除しかしてないので、ほとんど外出してない。あと、最近蚊がすごくて家のすぐ外にさえ出たくない。)
メキシコ人に一番嫌われてるのがエルナン・コルテスだが、彼のルートがこちら。長年の謎。
で、キューバのハバナから、まずはユカタン半島西岸へ。これはわかる。で、なぜ北岸を無視してオレンジ色のとこまで行ったのか。これが謎だった。陸路を行かないにしろ、今我々が住んでいるあたりは?と思っていたのである。
最近、当時の(といってもコルテスの40年くらい後)宣教師が書いたユカタンレポートみたいのを見つけて読んだら、なんと「山がないので、海上から何も見えず気づかなかった」と書いてあった! 上の図では少し北に回っているのが気になるが、それは簡略図だからというか、まぁどうせ誰にも(行った本人たちにも)正確なルートはわからないのであろう。とにかく、確かにこの辺は真っ平らである。
メリダ - プログレソ自動車道からうちの村へ向かうバイパスに出る立体交差からの Google 先生だが、マジで目の前に広がる何もない大地はすごい。初めて来た人はみんな感動する。この写真でほんの30度くらい。360度、真っ平ら。
メリダ10メートル、プログレソなんかゼロ(それもセンチ表記)!
半島の中心部で多少高くなっている緑の部分は、有名なウシュマル遺跡の少し南で、一番標高が高いところで210メートル。半島の付け根の西側、くびれたところからさらに西にシエラマドレ山脈があって最高点は3300メートルを超える。山が一番メキシコ湾に迫ってるところがベラクルスで、そりゃぁスペイン人もそこ目指して行くだろう。謎が解けてよかった。
いやー、気がつかなかったのが理由だとは気がつかなかった。
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持っている本の題が『母語(である)スペイン語』で、スペイン語は母語じゃない!と文化グループで大きな議論になっていた。ちなみに母国語って言い方はあまりしないそうですよ、奥さん。
マヤ語をおろそかにしている、という議論。意見を集約すると、①(連邦)政府の施策が悪い、②(州)政府の方針は間違っていないが実行できてない、③悪いのはコンプレックスを感じている親。
①についてはいろいろ情報があるが、要は独立後の結束を狙って「みんなメキシコ人(民族間でゴタゴタ言わない)!」という政策がとられてきたことを批判している。②は、他の州同様、先住民文化を大切にしようという姿勢は明らかだが、一時すべての公立学校でマヤ語の授業があったのが必須じゃなくなった。授業がある学校がだんだん減っている。メリダの友達も、自分が通った小学校では今はないと話していた。③がなかなか興味深い。メキシコの他の地域に比べて先住民文化への誇りが大きいとなんとなく感じているが、やはり子供にはマヤ語の前にきちんとスペイン語を…と考える親が多い。気持ちはわかる、当たり前ったら当たり前。
田舎の公立小学校教員をしている知り合いによると、父兄とは生徒の通訳を通して面談していたらしい。そのバイリンガル世代がだんだん育ってきて街へ出ると、ほとんどマヤ語は使わなくなる。その子供世代になると話せない…という流れである。方言を話す人が高齢化してだんだん減ってる程度の話なら日本でもよく聞くが、ここでは侵略という歴史があるため、なかなか複雑だ。
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後は細かい話なんで、写真だけで。
新米ならぬ初物トウモロコシで作るトルティーヤ。ニシュタマルというアルカリ化プロセスなしで粉にして水と混ぜて焼く。タコスにしないでおやつみたいに食べるらしい。
F. C. U. というのはユカタン鉄道連合のことで、当時の貨車にそのロゴが入っている。駅での写真は多いけど、ロゴが写り込んだ写真は珍しい。F. C. U. は 1968年に(メキシコ)南部鉄道連合に入って組織解散した。まぁ、いつの世もユカタン州は我が道を行きたがる。
キビはこちら。写真はユカタン政府が作ったプロモーション画像。で、キビはユカタン名物なんだが、パンに挟んだトルタ・デ・キビもそうか?と議論になっていた。言われてみれば、メリダではキビだけを売っていた。トルタがあるのはプログレソだけ。
意見①トルタ・デ・キビは既にユカタン名物になった、②あくまでプログレソ名物、③そもそもレバノン料理なんだから不毛な議論。えーと、どっちでもいいです。わたしは焼きそばパンとかポテサラ・サンドとか嫌いなんで、キビだけの方が好き。
字幕が(爆)