1908年の4月までは啄木くんは釧路にいたようです。釧路新聞の編集長格とされていたようです。とはいえ、勤務したのは1月から4月までだから、3か月ほどだったんですね。腰を落ち着ける気持ちはなかったようです。 それよりも彼には、自らの才能に恃むところがあって、やがては自らの作品をたくさんの人々に読ませてあげようという、妙な自信があったんです。まだ22歳なのに、どこでそんな自信があったのか、果たして彼 . . . 本文を読む
折り紙を見なくても、外に行けばアジサイは今盛りです。 アジサイって、こんなにたくさん私たちのそばに咲いてたなんて、十代、二十代の頃は知らなかったと思います。 存在を知ったのも、かなり後だと思われます。どんなにキレイに咲いてても、何にも見えてなかったなんて、私ってうかつに生きていたものでした。 私だけではなくて、たくさんの人たちが紫陽花のありがたさを若い時は見つけられてなかった、というのであればい . . . 本文を読む