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この週末、大阪の実家に行ってきました。母と二人きりだとゴハンは17時半に食べて、すぐにお風呂に入り、19時にはフトンに寝転がりました。母とあれこれ話をしたらいいのに、特にお話もしないでずっとフトンの中でテレビを見ていました。何てことだ! オカンも「こんなあてにならない子なんだな」と思うのか、大音量でラジオを聞いていました。これがオカンの夜なんでした。
(オカンを放置したまま)息子の私は、話題のドラマ(?)とか、スポーツニュースとか、同じ話題のものを何度も見てしまいました。家ではテレビなんてあまり見ないのに、とんでもない!
実家用に防寒の手袋も持って行って、手袋したら本が読める、なんて思ってたのに、すべてテレビに取り込まれてしまった。寒かったのか、実家でだらけてしまったのか? 家でもだらけるのは同じなのだから、さらに何もしたくないだらしなさに毒されたんでしょう。私という人間はどこまでもだらしなくなれますから!
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NHKの23時からという番組枠の中で、70年代の連続爆破犯のただ一人の逃走者のキリシマサトシという人を取り上げた40分の番組がありました。前にもだいたい同じような内容のものを見たことがあったけど、彼が隠れていたアパートのような廃墟はとても印象に残りましたね。
70年代のテロ組織の中に、三つのグループがあったそうで、キリシマ容疑者は人に危害を与えないようにして、ゼネコンや国際的な企業に損害を与えようという爆破テロをいくつか企画したそうです。テロ組織の中の穏健派になろうとしたのか。その前の三菱重工爆破事件には関係していなかったようです。
三菱重工の事件は、たくさんの死傷者が出ていました。一般の人も巻き添えにするテロが、人々の支持を得られるわけはないし、社会悪の企業に打撃を与える、ただし人には危害を与えない、そういうショボいテロをめざすように路線変更をした。そういう中でキリシマサトシも組織の一員になった。
いつ、どこで、何を考えそういう組織に入ったのか、その辺はわかりません。けれども、彼は若くして組織に入った。
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岡山から東京に出てきた大学生のころには、同郷の女の子と何回かデート(?)をしたそうで、相手の同級生だった人も顔と声はわからないけれど、ちゃんと証言をしていました。そんな田舎から出てきた純真なところもあったのでしょうか。70年代の初めだったのか。
それにしても、岡山の同級生だった女性は、テレビの取材を受けましたね。50年ぶりにキリシマサトシが出てきて、死んだという話も聞いて、それなら話はしてみようと思ったのかもしれない。キリシマサトシにとっても数少ない楽しいひと時だったのかどうか。
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キリシマ容疑者がテロデビューしたとき、誰もいないはずのゼネコンの物置き場にたまたま人がいて、ケガをしたそうで、キリシマ容疑者は爆破犯になってしまう。全国に指名手配される身の上になりました。
岡山に一度帰省して、父に会い、父は自首しろと提案し、息子は受け入れず、潜伏生活を始めた。どんなふうにつながってきたのか、彼は藤沢あたりに適当な場所を見つけて、あらくれ者たちが働く鉄工所に勤めることになった。ある時、そこの社長さんに「おまえ、指名手配の写真に似ているな」と言われた。すると、次の日から姿を見せなくなった。その後の何十年、ずっと行方不明のままキリシマはこの世から消えていた。
ところが、2024年の1月、たまたま緊急搬送された入院先の看護師さんに「自分はキリシマサトシだ。警察を呼んでくれ。」と依頼し、病院から警察に連絡が入り、それからしばらくしてキリシマは息を引き取ります。ウチダヒロシとして潜伏し、肉体労働で働き、ひたすら隠れて生きてきた。それが70歳になって病気になり、苦しみは全身にあったと思われます。
キリシマと交流したというマッサージ師の人は、昔、そうしたように彼の命日にビールを飲もう、なんて言ってくれてたけど、目の不自由なマッサージ師さんには、真実は語らなかったけれど、隠れている自分を偽らずに話せたのでしょう。真実は話さなかったけれど、体のコリは投げ出してほぐしてもらったのだと思う。
死刑にはならなかったかもしれないのに、彼は服役しなかった。ずっと半世紀隠れたまま生きていた。その人生はどれだけ孤独で辛いものだったのか、私にはイメージできません。なくなってしまった彼の魂が安らかに眠れるように祈るしかない気がします。