大阪から三重に引っ越したのは三十何年ほど前のことだった。実家の近くに数年ほど住んだアパートがあって、今もあるのだけれど、引っ越してしばらくの頃は、大阪に行く度に、何となくそのアパートを見に行きたくなった。
違う人が住んで、その人の生活は日々動いている。ご近所だった人たちも相変わらず住んでいて、ご挨拶したり、その後のことを話したり、名残りというのか、とにかく現在の話をすることで何とか心を落ち着かせることになった。
あれは、何がしたかったのだろう。
「あなたたちがいなくなって、淋しくなった」
と言われたいわけでもなかった。
今も元気でやっているというのを伝えたかったのか。今があるということは、そこにつながる過去があったというのを確認することが大事だったのか。何がしたかったのだろう。
そういう過去への旅を何度もしなくてはいけない年になってしまった。ふり返れば、大したことはしていないが、それぞれの街角での自分の生活みたいなものがあったのは確かだ。確かなのだけれど、それは瞬間ごとに消えていくので、流れを止めることはできず、まるで昨日のように今日目の前にあったとしても、それはもう昨日ではない。今過ぎ去っていく現在なのだろう。
だから、いくら過去への旅をしても、得られるものはなく、時間の経過を突き付けられるだけである。そんなことなら、無駄なことはしないで、いくら過去を探したとしても、何も見つからない、二度と戻らない、そういう覚悟で、すべては目の前から消え去るものだと感じて生きていかなくてはならない。
過去を共に語れる仲間がいれば、過去は戻らないものではなくて、今ここにあるような錯覚も得られるかもしれない。
友人たちのメールやメッセージなどには、過去にいろいろな思い入れのあるものを少しその人なりのコメントも入れて、もらうことになる。
仲間は過去から今、今から未来につないでくれる手がかりなのだと思う。仲間がいなければ、空漠とした今があるだけで、そこから何も世界は広がらないだろう。
そう、この今でさえ、仲間がいなければ、何も生み出せない空っぽの自分がいるだけとなる。
芭蕉さんが、平泉において「夏草やつはものどもが夢のあと」という作品を作り上げた時、見わたしてみたところ、ただの草原だったかもしれない。つまらない未開墾の、役に立たない野原を見た。でも、そこは、義経と奥州藤原氏を攻め立てる鎌倉幕府の兵士たちが襲い掛かったところなのかもしれなかった。
平泉そのものが、草まみれの土地だったのかもしれないが、自分たちは歴史というものを手がかりにこの土地の物語を思い起こしてみる、そういうことをしてみた。それくらいしかできなかった、それくらいの無力感を手にすることができた。そういう思いだったろうか。
私は、これからも自分が今はここにいない、不在の場所を訪ねることだろう。そして、かつてはここにいて、自分なりの物語があったと思い出しながら、二度と戻らない過去をいとおしむだろうか。それとも、何もかも思い出せなくて茫然とするだろうか。
再訪する土地と、初めて行く土地、どちらも我々の刺激にはなるだろうけれど、うっかり者の私には、たくさんの忘れ物を見付けに行く不在の場所を訪ねることを大事にしていかなくてはならないのかもしれない。