まだ荻昌弘さんの本を読んでいます。懐かしいモロコの話が出ていました。
このあたり(木曾三川地方、木曽川、長良川、揖斐川が愛知と岐阜・三重の間を流れています)には以前から、川魚料理屋なども多い。その点はやや、東京の江戸川近辺を思わせるものがある。私は名古屋近辺の親類が多い。大垣あたりから贈られるフナやモロコの甘露煮などを味わうたびに、これまでなんとなく、江戸川の連想から、これは長良川あたり、川でとれる魚なのだろう、と想像していた。が、最近、その川魚料理の一軒から詳しく話を聞いて、これらの魚が昔から、堀田の産物であったことを知り直した。つまり川魚ではなく、池魚だったのである。
濃尾平野の川沿いの、田んぼの中にあちらこちらに池があったそうで、それはもう何度も洪水は起こるし、耕作にも向かないし、湿地みたいにしてたんでしょうか。
農家の皆さんは、舟で田から田へと移動したそうで、それが可能な、水郷と田んぼと池の混ざり合った土地だったのでしょう。地元の人は、それを「堀田(ほりた)」と呼んでいたそうで、川ではなくて池だったそうです。
なかでもおもしろかったのは、モロコが〝湧く〟話だった。モロコは、肥ったのは空揚げにも使うが、ふつう甘露煮やつくだ煮にする小魚である。多くの堀田は埋められてしまった現在、いったいこの小魚がどこで獲れるのか、というと、ウナギの養殖池なのだそうである。
ウナギの池にどうしてモロコが湧くのでしょう?
ウナギは、餌が投げ込まれると全員が水面に殺到して食べあらし、水面下では餌を食べようとしない。そのため、ウナギが食べ残して底まで沈んだ餌は、腐敗してメタンガスを発生するもととなる。そこで、養殖業者は、残飯さらいの役目をコイやフナに背負わせるわけだが、一年に一回、池をさらえて、このコイやフナを引き上げる時、必ず、放ったはずも育てた憶えもないモロコが、うじゃうじゃ〝湧いて〟出てくるのだという。
モロコたちは、どこからやってきたんでしょう。ウナギは移動するというのは聞いたことがあります。ドジョウも移動するんだろうか。あまりタフには見えないモロコたちは、どこの道を通るんでしょう?
池をマッサラに整え直し、そして一年経つと、また必ずこの魚が自然発生しており、ウナギの食べものを底のほうで頂戴し、まるまる肥って出て来るのだそうだ。
ああ、モロコねえ。昔飼ってました。川からメダカだと思って小さなサカナたちをつかまえて来たら、少しずつ大きくなると、メダカではなくて、何かの川魚の子どもたちだったんだと、うちの子とワクワクしながら水槽見てました。
そんな水槽ライフしてたのになあ。今は外でメダカが四匹だけだなんて、何だか悲しくなりますし、ずっと心のそこでは飼いたいなあという気持ちは持っています。
またいつか、川魚が捕まえられる川のそばに暮らすようになったら、水槽買おうかな。とにかく、モロコが湧く話でした。