「愛著の道(あいじゃくのみち)」……男が女への愛欲に執着することという言葉があるようです。兼好さんは、そういう世界と関係があったんでしょうか? まあ、ちゃんと一通りの恋愛は経験されたんでしようね。
私などは、「愛」について近ごろはあまり考えてないんですけど、それもこれも、どっしりとした奥さまがいるからで しょうか? いや、どれだけ彼女を大事にしているのか危ないですね。彼女は納得してないだろうな……。せいぜい頑張りたいです。
兼好さんは190段で「妻(め)といふものこそ、男の持つまじきものなれ」とおっしゃっていて、どうしてそんな極端なことを言われるのか、そんなこと言わないで、みんながそれぞれの大事なパートナーを見つけられたらいいのになあ。と、個人的には思いますが、とにかく、中世の女性観みたいなのを見ていきますか。
女は髪のめでたからんこそ、人の目たつべかンめれ。人のほど、心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、物越しにも知らるれ。
女性というものは、髪の立派なのが、最も他人の目を引き付けるようである。その人柄や気立てなどは、ものを言う声や様子・雰囲気だけで、何か隔てるものがあったとしても、だいたいはわかってしまうものである。
女性はまず髪の毛だなんて、それだけじゃないのに、髪でまずインパクトがあるということらしい。けれども、人柄や性格というのは、その人のもの言い、ふるまいでわかってしまう。そりゃ、ルックス・髪型で決まるものではありません。見た目は大事だけれど、結局はその人の持っているものが大事になる。そんなのあたり前ですね。「人のほど・こころばへ」の方か大事!?
確かに、第一印象はキレイな髪かもしれないけど、ふれあいの中で、こんな声なんだな。こんなしゃべり方をするのか。こういう態度で人に接するんだなとわかってくると、何だか一緒にいたくないな、または一緒にいたいななど、いろいろ思ってしまうんですね。
まことに、愛著(あいじゃく)の道、その根ふかく、源とほし。六塵の楽欲(ろくじんのごうよく)おほしといへども、みな厭離(おんり)しつべし。
本当に、女への愛情に執着することは、男にとってその根は深く、源が遠く、どうすることもできないものである。人間の六根の対象となる、さまざまな刺激が起こす願いや欲望は多いといっても、たいていは努力次第で捨て去ることができるものである。
欲望のタネは尽きない。でも、捨て去ることができる。まあ、理想はそうですね。頑張れば、突き詰めれば、たいていの欲望は捨てられる。健康で平和で大切な家族がいればいいんです。たいていのものは捨て去るべし、なのです。
その中に、ただ、かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、かはる所なしとみゆる。
その中で、ただ男どもが女性に心を迷わせること、この一つだけがどうしても断ち切りがたいようで、老人も青年も、知恵のある賢い人も愚か者も、あらゆる男にわたって共通しているようである。
その中で、ただ男どもが女性に心を迷わせること、この一つだけがどうしても断ち切りがたいようで、老人も青年も、知恵のある賢い人も愚か者も、あらゆる男にわたって共通しているようである。
ああ、女性を追い求めるということは、どんな男でも「止めがたき」であると兼好さんは言います。あれ、現代の世の中もそうなんだろうか。確かに、ある程度はそういうところはあるけど、今の世の中は、男どもはそうした気持ちを素直に表出・表現できなくて、女性たちにもどかしい思いをさせているのは確かのようです。
兼好さん、21世紀のこの国では、心のなかはどうなのかわからないけれど、表面的には男女の恋愛は潜伏している気がするんです。これから、世の中はどんどん閉鎖的になるんじゃないのか。自分の気持ちを素直に出せない世の中になっていくのではないか、なんて私は心配しています。
☆ さて、「六塵の楽欲(ろくじんのごうよく)」とは何でしょう?
目・耳・鼻・舌・身・意の人の部分 を仏教では「六根(ろっこん)」というそうですが、それらを迷わせるもの「色・声・香・味・触 ・法」などの刺激から、願望・欲望が生まれるということらしいです。
目でいろんな恋愛の対象を見つけてしまう。耳できれいな物音・声を聞き分けてしまう。鼻は、ステキな匂いをかぎつけちゃう。舌は、いろんな味覚を刺激しますね。体は、いろんな触れたいものを求めてしまいます。意とは、気持ち、気持ちはいろんなルールを作ってしまう。好きなことが、勝手に自分で決めごとを作って行くんだ。不思議なものですね。五感にあと一つ「意」があるんだなあ。