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2月19日の水曜日、スペインの不思議な映像作家ビクトル・エリセさんの長編第2弾の作品「エル・スール」というのを録画して、やっと見ることができました。1作目は先週オンエアされてた「ミツバチのささやき」で、1973年の作品でした。そこから10年が経過してやっと長編2作目って、すごい人です。
10年に1回映画を作る人なのかというと、実は「マルメロの陽光」1992年、
「瞳をとじて」2023年と、ここまで4作の長編映画を作っておられるようですが、最近は20年に1回というものすごく長い間をあけて映画は作られています。そんな生き方もあるんですね。お金が有り余って、ゆっくり作ればいいという方なのかもしれないけど、そうではない気もするのです。そこが作家としての生き方なんだろうな。
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女の子のエストレーリアが主人公で、10歳くらい、15歳くらいの役を二人の人が演じています。そんなに顔が変わるということはなかったけれど、似ていないようにも見えました。まあ、それはどうでもいいことでした。
主人公のお父さん・アグスティン(オメロ・アントヌッテイというイタリアの俳優さんで、タビアーニ兄弟やアンゲロプロス監督の作品など、渋い映画に出ている人でした。その人がたまたま乞われてスペイン映画にも出たということのようです)は、作品の中ではスペインの北部に住んでいます。映画の冒頭あたりではお医者さんの仕事をしている場面もあったので、職業はそうだったのかもしれない。けれども、映画の中では、あまりお仕事をしている場面は出てきませんでした。
このスペイン北部というのは、監督のビクトル・エリセさんのふるさとでもあります。たぶん、そのふるさとのバスク地方が舞台で物語は進んでいきます。スペイン北部のいつももやがかかっているような土地で、その寒さに耐えながら父母と娘とその他の人たちで暮らしている。大きなおうちみたいだし、人も雇っているくらいだから、貧乏ではない。けれども、幸せそうでもないのです。
映画の中ほどで出てくる父親の母(主人公の祖母)と乳母たちは、南(スペイン語で「エル・スール」のようです)にいて、あなたたち南に帰ってきたらいいのになんて言ってくれるのに、一切拒否してお父さんは北部に住んでいるようでした。その乳母からは「あの人は昔、背教者だった。キリスト教は捨てた人だ」なんていう話を主人公は聞かされてしまいます。
たしかに、子どもって、親のことは何も知らなくて、いつの間にかこの親たちの子としての自分がいて、ときおり昔話として父母たちの歴史は語られるけど、たいていは右から左で、ちっとも覚えていないものです。ものすごく貴重な話を聞きもらし、どうでもいいことだけ頭に引っかかるんだから、子どもって親にとっても永遠の謎ですね。
お父さんには、過去があったみたいだった。娘のエストレーリアに父の乳母だった人が話すには、「あなたのお父様と、おじい様には意見の対立がありました。おじい様が勝った方を支持し、負けた方を支持していたお父様は故郷を去ったんですよ」というのです。
やはり、スペイン内戦のころの話のようでした。労働運動やら、軍事独裁政権(1923~1930)、右左と大きく揺れた政治は、世界恐慌の嵐の中、アルフォンソ13世は1931年にフランスに亡命し、一度スペインは共和制になったそうです。けれども、それがそのまま続かないのがこの時代で、少しずつ権力をつかみつつあったフランコ将軍が反乱し、1939年の3月バルセロナ・マドリードを占領するまで内乱が続いたそうで、国が二つ分断された時代があった。
そして、その元凶のフランコ将軍は1975年の11月まで生きて現役だったので、スペインはずっと軍政の続く国だった。フランコ将軍がいなくなって、また右左とふれながら、今に至っているようで、人々も分断されているのだと思われます。百年近くの分断を経験している国だったのですね。
だから、どこにでもいる親子でも分断されたり、意見の対立があったり、生き別れたり、様々な悲喜劇がずっと繰り返されてきていた。
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小さいころ、ひたすら父を尊敬し、やることなすことすべてにつき従ったエストレーリアは、大きくなるにしたがって父に関してわからないことがあって、それを知ろうとするけれども、今さら語るものでもないし、今も様々な分断に引き裂かれている父親は、今を簡単に語ることができないでいる。まだ娘は若いし、父親の恋の悩みなども伝えるわけにはいかない。そんなある時、娘の昼休みに一緒にゴハンを食べ、昼からも一緒に話をしよう。学校は出なくていいからと父が言うのに、娘はそんなわがまま・メチャクチャについていけなくて、そのまま学校に出たら、父はそのまま死んでしまう。
娘はとまどい、どうしていいのかわからなくて、父の故郷の「南」へ向かう。それで終わってしまう映画でした。15歳の女の子に親たちの悩み・苦しみは簡単には伝えられないのです。言葉でもできるはずなんだけど、空気とか、助っ人とか、環境とか、いろんな手段を通して少しずつ伝えるものなのかもしれない。
映画は90分。短い中にいろんなサインがあるのだと思われます。いくつか目にしましたが、もう一度メモを取りながら見たくなりました。
エストレーレアが南に行ってどんなドラマがあるのか、後半が作られたという話もありますが、それらはお蔵入りしています。いつか完全版が出るでしょうか。出なくてもいいかもしれないけど、あるんだったら、見たい気がする。
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