もう何年経ちましたっけ。8年と7か月ということになるんでしょうか。
今日放送の「こころ旅」という番組で、火野正平さんは陸前高田からスタートして、町から山に入ったところのお寺の、人々の思いのこもった五百羅漢さんを探しに行ってたみたいでした。
何度か被災地を訪れている正平さんですけど、少しずつ防波堤やかさ上げされた街並み、新しいお店など、復興はしてきているみたいで、勝手知ったる町で、少しだけ慰霊、少しだけ応援、少しだけ旅、少しだけふれあい、そういうことを目標に町を散策していました。今日の感じでいくと、ピザやさんのご夫婦とふれあってましたね。
町の人々は、そこに住んでるというよりも、みんな健気な気持ちで、そこに踏みとどまっている感じでした。新しい街並みはまだ、そこで人々が生活している感じはまだ弱い気がしました。それにまばらな感じ。少し疎だったみたいです。もう少し密でもいいのにな。
クルマとダンプは走っているけれど、どれだけ人々の心が復興したのか、それは何十年も変わりはしないでしょうね。そして、新しい町で、住み続けようと思う人たちがどれくらい出るのか、どれくらいよその地域は、そうした取り組みとつながれるのか、私たちのこれからが問われている気がします。
私は、テレビを見て、ただシンミリしているだけではないのか。どうして、一度訪ねてみようと思わないのか。
私みたいなものが、行ったところで、何が変わるわけではないけれど、何らかの関りは持ちたいとは思っているんです。ただ、実践がともなわないだけです。
日々の生活に追われていると言い訳して、奥さんのふるさとである岩手県にどれくらい行けたというんでしょう。どれくらい関われたでしょう。ほとんど何もやれていないのです。
テレビを見ながら、改めて奥さんは話してくれました。内陸の高校に通った妻は、英語が得意だったそうで、特に大好きな先生がいて、その先生のご指導で大学に進学した。そして、私みたいなとんでもないヤツに出会い、とうとう三重県に住むような、彼女の流転の人生(というと、ことばが悪いですね。彼女と僕のローリングストーン人生とでも言えばいいのかな?)のきっかけを作ってくださった先生がいたそうです。
その先生は、やがてご退職され、縁あって陸前高田に住むことになり、そちらで退職後の人生を送っておられたそうです。そして、2011年の3月に遭難されて、奥さんはふたたびお会いしたくても、それができなくなってしまったということでした。
何度か聞かされてきた話だけど、改めて陸前高田の海、堤防、新しい町、きれいな道路、そして町の山の奥の古い集落などを見せてもらいました。過去と今との間に断絶があるのは仕方がないことですけど、それを町の人々は、もう一度昔みたいにつなぎ合わせようと、努力されてるんだなと思ったものでした。
そう、町に行って、ピザを食べたり、海鮮丼食べたり、いろんなことをして、町の人とふれあい、お寺に行って、新しい羅漢さんたちを拝むだけでいいんだと思いました。
偉そうなことはできないんです。ただ、そこへ行くだけでいいのかな。ずっと海側には行けてなかったけど、来年の夏か、再来年か、いつか行こうと思います。
私は、ひざの弱いヨボヨボだけど、行かせてもらいたい。奥さんは行くかな。彼女はクルマで岩手まで、とても耐えられないだろうしな。計画練って行きたいです。フェリーにするかな?