2週間くらい前、少し右足の関節がギクッとなりました。それから、クルマを降りるときと、開脚したときと、和式トイレに座ろうとしたとき、驚くような痛みに襲われています。悲鳴を上げて和式トイレにしゃがんでいます。そんなことなら、外でしなかったらいいのに! まあ、仕方ないです。回復を待ちます。
もともと私はランナーではなくて、トボトボ歩く派だったので、冗談で「炎のランナー」と書いたけれど、走れないけれど、ものすごくあこがれは持っています。
きれいな浜辺を、たくさんの仲間と集団になって、心を1つにして走ること。とてもすばらしいではないですか。お互いのことを思いやり、また、負けないという自負心を持ち、競い合い、時には冗談を交わし、時には励まし合う。そんな意志のある集団に所属していたこと。私にはどれくらいあったのかなあ。
別に走らなくてもいいですね。みんなでコーラスするとか、みんなで遠足するとか、みんなで富士登山するとか、みんなで選挙運動をするとか、何だっていいから、みんなで心を1つにして向かっていくことは、私たちを少しだけ強くしてくれます。
本来私たちは、弱くてもろい生き物です。すぐにカゼをひくし、知らない間に病気になったり、知らない間にだれかがいなくなったり、自分が消えてなくなったりしてしまう。とても頼りない、はかない生き物だと思われます。少し段差のあるところを降りようと無理したら、カンタンに右足の関節がダメになったりする。湿布も貼らないで治るのを気長に待っていますが、なかなか治らないのです。
とにかく、ものすごくチャッチイ私たちだから、逆に私たちは自分を鍛えようと、あちらこちらに筋肉をつけようとする。筋肉をつけるのが面倒な人は、カブトやヨロイで守ろうとするんでしょうけど、それは一時しのぎなわけですね。私たちは人生すべてをマジンガーZの中で過ごすことはできないんだから、外に出るときは生身の体です。だったら筋肉しかないわけです。
筋肉をつけられない弱い人は? そのお互いの弱さを理解し合って、適切に支え合って生きていくしかないですね。それを行うために、私たちは思いやりをはぐくんできましたし、これを教育という形にも変化させてきたはずでした。
教育の衰退か、行政のサボリか、時代の変化なのか、お互いを支えるのではなくて、個々の努力がずっと強調され、推進されてきた?十年かがあって、今も結局は「自助努力」が大切ですから、支え合う社会はもうないのかもしれない。
だから、もう一度、現代から未来に向けて、ふたたび「炎のランナー」の中の人々のように、みんなでワイワイ言いながら、怒ったり、笑ったりしながら、みんなで走るような経験しないといけないのだと思います。
まだまだ説明不足ですね。
「炎のランナー」というのは、80年代初めのアカデミー作品賞を取ったイギリス映画です。アカデミー賞は、別にハリウッド系の映画だけではなくて、英語圏なら作品賞の対象にするのだと感心した記憶があります。それくらい英語というのは広がりがあるし、英語さえ使えれば、スウェーデンのアバだって、イングリッド・バーグマンさんだってアメリカへ行けるし、イギリスのコメディアンであったチャップリンだって受け入れたのです。アメリカは世界の人々を受け入れるおおらかさを持っている国でした。
さて、映画では2人の若者が出てきます。ユダヤ系のハロルド。彼はケンブリッジ(エリート校ですね)に入学し、自らの走りを誇りとして、とうとう代表選手に選抜されるのでした。もちろんユダヤ系の若者なので、他のアングロサクソン系の人たちより抜きんでるため、上流階級の人たちなら優雅に自らを磨いていくのに、彼だけは専属コーチを頼み、アマチュア精神スレスレのところまで踏み込んでいきます。まだオリンピックが、そのアマチュアリズムを大切にしていた、ちょうど百年くらい前のころです。やがて物語の最後には、パリにおいて、イギリス代表として金メダルを獲得します。
もう1人の若者のエリック・リデルは、スコットランドの神職者(宣教師)でした。ですから、安息日(日曜日)には当然走らないのです。神の教えを実践している。パリ入りすると、競技日程を知ることになり、エントリー種目は安息日が競技日になっていました。悩んだものの、彼はキリスト教を大切にしている人だから、走らないことに決めます。走るときも走らないときも、神はそばにいてくれて、自分を導いてくれる。神様の声を聞くために走る人でした。
そうしたかたくなな態度は、イギリスのおえら方と対立することになります。どうして国のために走らないのだ。宗教がなんだ。国家の威厳を見せることの方が大事だろう。とおえら方は言うけれど、それは説得にも何もなりません。信念なんですから、それを否定されてはどうしようもない。
エリックさんは意地を通したり、妻に支えられたり、他の選手たちにも支持されて、結局競技種目を変更して、その競技で見事金メダルを取るのでした。他にも、この2人を取り巻く若者たちそれぞれがオリンピックに向けて励ましあい、それぞれに業績を残し、ドーバー海峡を船で渡って凱旋するのでした。
若者たちのその後は、字幕か何かで最後にでてきて、みんなそれらしいその後の人生を送っていくのだとお客は納得した。これで映画が終わった。と、思ったら、ふたたびみんなが海岸を走り去って行き、いよいよおしまいとなる。
そんな映画でした。
私は、選手としては二流なんだけど、政治力とかキャブテンシーがビカイチの脇役の人が、かっこいいなあと、あこがれたりするんですけど(その人はアンドリュー卿で、実際に男爵でもあるナイジェル・ヘイワースという俳優さんです。エリックさんを胴上げしている写真の1番左側の人です)、その他の選手たちもそれぞれ魅力があって、どの人にもそれぞれに共感のできる、大好きな映画でした。
原題は「Chariots of fire」となっていて、燃えている二頭馬車という意味だそうです。たしかに、燃えている2人の若者が主人公で、まわりの青年群像もさわやかだし、それぞれの信念と共に、それぞれがイキイキしていた。これは物語の最後のあたりで歌われる愛国歌のことだそうで、神様が天の上から私たちをのぞいていて、馬車に乗っておられるという内容みたいです。
あのさわやかさと強い信念、そして何にでもチャレンジしていく負けじ魂。私にはあるかなあと心配になりました。自分で言うのも何だけど、あまりないような気がします。自分で言うものではないかな。なくても、努力しなくちゃ!
人にどう思われることなんか考えないで、とにかく、前を向いて、馬車馬のように何かに突き進まなきゃ! まあ、明日から、コツコツ歩いていきます。
黙って、静かに何かに夢中になりたいです。とりあえず、カゼを治します。土日は大阪の実家に行きます。土曜日の朝、ブログを書きます。自分の部屋を片付けます。本を少しずつでいいから読みます。中国の歴史と言葉を勉強します。
そんなことかな。走るのは無理だけど、みんなと何かできる場を探していきたいです。ナマケモノの私ですけど、頑張ります。誰かのためになること、できるかなあ。
★ 映画のプロデューサーはデビッド・パットナムさん。「小さな恋のメロディ」1971 からスタートして、80年代頃すごく活躍された方でした。
ユダヤ系のエリック役は、ベン・クロスさん。今も活躍しているのかなあ。映画は、彼のお葬式から始まったようです。そういう演出は忘れてましたね。
貴族のご学友役のナイジェル・ヘイワースさん。彼は「インドへの道」にも出ておられました。かっこい役者さんでした。
そして、リデル役のイアン・チャールソンさんは、映画の時には30手前で、それから十年したらエイズで亡くなったというのを、どこかで知りました。作品の中と同じように、演劇界でがんばっておられたと思うのですが、40で亡くなられてしまった。
映画は生きて、その後も見続けられるのに、役者は生き物だから、いつかはこの世からいなくなってしまう。それは当たり前のことなんだけど、世の無常を感じます。
だからこそ、生きている今を大事にしなくちゃ! と、あなたはことばで書いているだけだと妻から指摘されます。現実と理想は違うかもしれないけど、少しは頑張ります。