
7月28日 月曜 4時に目が覚めた。自然に目ざめたようだ。本当は4時半に目覚ましをかけていたのだが、じいさんになったせいか、自然に起きた。起きるまではよかったが、何となくボッとしている。そのせいか、朝用に買った大好きなブドウパンも食べたくなかった。仕方がないので、適当にそのあたりにあるものを食べた。6時の列車なので、ゆとりがあって、持ち物などをチェックして家を出た。
駐車場は空いていて、すばやく止めて、すばやく駅に向かう。空はもうとっくに明るくなっており、この日の好天と猛暑を告げている。しかし、ほとんど電車に乗っている時間がメインではあるので、あまり猛暑も気にならないだろうと、何事も前向きに受け止める気分になっていた。
……朝の松阪大映 一度でいいから、これらの映画を見に行けたらねえ?
亀山までの車内は、意外とたくさんのお客さんたちがいた。たっぷり乗車している時間があるのだから、ぜひ本を読もうと、カバンから取り出す。この日は、チェーホフの「カシタンカ ねむい」(岩波文庫)を持参した。カシタンカは犬の名前で、飼い主のおやじさんにはぐれて、サーカスのおじさんに引き取られ、そこでネコやがちょう、ぶたたちとの交流などを、犬の目線で淡々と述べていくお話だった。楽しいものではあるが、すぐ眠くなってしまって、本を何度も閉じ、また開くということを繰り返すことになる。
あっという間というか、ついウトウトしていたら亀山に着いた。3分で乗り換えねばならないので、スタスタと跨線橋を歩く。自分と同じような名古屋をめざすお客に混じり、始発なのだから座席を確保しなくてはと、適当な座席を見つけてようやく安心する。トイレの近い私なのに、これから90分ほど、トイレに行かなくて大丈夫と心配したが、またも眠気の力により、通勤客が乗り込もうが、キレイなお姉さんが近くにいようとも(たぶん、いませんでした!)、本も読まずに、景色も見ない、もちろんスマホなどというものは持っていないので、ただぼんやりと過ごしていた。今のお客さんたちは、時間をとても有効利用していて、寸暇を惜しんで、スマホの画面を見ているというのに……。
名古屋に9時前に到着する列車は、通勤には少し遅いくらいではあるが、それでもお勤め風の人たちがいっぱいだった(ような気がする)。記憶は少しはっきりしていない。到着直前のアナウンスで、中央線がいまだに南木曽町のところで普通になっているのを知らされる。そう、名古屋に着く前は、どこへ行こうか、迷い始めていたのだった。とにかく中津川に出て、そこであれこれ見るという道、うまくすれば松本にも行けるかもしれない。東海道線を上っていく道、どこで降りるかが大きな問題である。東海道線を下っていくという道、これもありではあるが、全く何も調べていないので、どこを目的にしていいのかわからない。飛騨本線への道は、本数がたぶんないであろうし、これも予定には入っていなかった。
こんなに直前になって、松本行きがダメになるとは思ってもみなかった。眠気は吹き飛び、どこへ行くか、自分なりに一生懸命に考えてみた。
それで、金谷(かなや)まで行けば、大井川鉄道がある。全く今まで縁もゆかりもなかったが、そこまで行けたら、降りてみてもいいかもしれない。静岡は、大きな町で、数年前仕事でお城の近くまで行ったことがあった。そこで1日カンヅメ状態で、解放されたらすぐに帰らなくてはならなくて、折角お城のそばまで来たというのに、何も見ないで帰ったという無念を晴らすにはいいチャンスではある。でも、それ以外に楽しみはというと、古本屋回りなのだが、場所を調べていないので、下調べなしで回るのは無理だろうと思い、それでは富士市まで行って富士を見るとか、沼津に出て深海魚水族館なるものを見るか、それとも更に進んで三島で湧水の町を歩くのも楽しいだろうなど、思い巡らし、ひたすら東をめざすことにした。
……豊橋では、わざわざ飯田線のホームまで走っていきました。
……弁天島は、私のあこがれの駅で、一度この駅で途中下車してみたいのに、電車から見てるだけです。ザンネン!
豊橋まで快速で1時間ほど、そこから浜松まで普通で40分くらい、浜松からは連絡が悪いはずだし、時間もかかると思われ、少し不安ではあったが、意外と連絡はよく、興津行きに乗り、またも本を読んでいるのか、寝ているのか、モーローとしたままの乗車を続けることになった。かくして金谷は白河夜船で、掛川で少しよみがえり、藤枝・焼津はトロロンとして、静岡あたりでやっと意識がもどり、外を眺めることができるようになったと思ったら、すぐに興津に到着して、ホームの上に投げ出されてしまった。次の電車はしばらく待って沼津行きだった。

……折角貨物列車が通ってくれたのに、連写もしないで遠くの1枚をパチリ!
……電気機関車の顔が好きなんですね。すすけていようが、オンボロだろうが、ツートーンのこの車体を見たら、ときめいてしまいます。小さいときにすり込まれたのでしょう。小さいときの遠くへの旅は、この顔を見ることから始まったのです。
「もう、こうなりゃ深海魚を見に行こう」と覚悟を決めて、乗り換え最後の電車に乗り込む。由比(ゆい)、蒲原(かんばら)と、いかにも東海道の宿場町の駅を過ぎて、富士川という駅に到着する。そして気づいた。今日はガスが出ていて、富士山は見えない日なのだと。
……雲の下に富士山はあります。広い裾野は見えていました。
半分沼津の気持ち、富士山は諦め、三島にも興味を抱きつつ、吉原(よしわら)という駅に着いた。自分はすべてこれらの地名を知っていた。まあ、昔何度も新幹線に乗らずにこの路線をトコトコ走ったこともあるが、箱根から、三島、沼津、原、吉原、蒲原、由比、興津、駿府とどれもこれも、広重さんの浮世絵で何度も見ていたせいで、とてもなじみがあったのである。そして、アナウンスは「岳南鉄道はこの駅でお乗り換えです」というのを聞けば、どれ降りてみようという気になって、降りてしまったのであった。
……乗り換え口はこちら! 町中に出る人は東側の跨線橋に行かなくてはいけません。こちらは西側の跨線橋です。
何のドラマもなく(もともとドラマなんかないんですけど)、吉原駅で降りて、乗り換え口の階段をトコトコ駆け上がり、一台しかない車両に乗り込む。1日乗車券は720円であった。
★ ウチから東海道線・吉原までものすごく時間がかかります。たったの9キロの電車に乗るために、往復6時間をかけ、1日仕事で大人が出かけていくなんて、それこそ大人げないですね。いや、だからこそ大人かな。子どもならそんなのイヤだというだろうし、早く目的地に着かないのとダダをこねるでしょう。
大人って、変なところで忍耐強いんですね。でも、ウチの奥さんなら、絶対に行かないようです。本を読んだり、外を眺めたり、ボンヤリできるんだけどなあ。仕方ないですね。松本になら、付いてきてくれるかな。最近、ほしよりこさんとか、いしいしんじさんとか、そうした仲間の人たちの本を読んでいるみたいだし……。
駐車場は空いていて、すばやく止めて、すばやく駅に向かう。空はもうとっくに明るくなっており、この日の好天と猛暑を告げている。しかし、ほとんど電車に乗っている時間がメインではあるので、あまり猛暑も気にならないだろうと、何事も前向きに受け止める気分になっていた。

亀山までの車内は、意外とたくさんのお客さんたちがいた。たっぷり乗車している時間があるのだから、ぜひ本を読もうと、カバンから取り出す。この日は、チェーホフの「カシタンカ ねむい」(岩波文庫)を持参した。カシタンカは犬の名前で、飼い主のおやじさんにはぐれて、サーカスのおじさんに引き取られ、そこでネコやがちょう、ぶたたちとの交流などを、犬の目線で淡々と述べていくお話だった。楽しいものではあるが、すぐ眠くなってしまって、本を何度も閉じ、また開くということを繰り返すことになる。
あっという間というか、ついウトウトしていたら亀山に着いた。3分で乗り換えねばならないので、スタスタと跨線橋を歩く。自分と同じような名古屋をめざすお客に混じり、始発なのだから座席を確保しなくてはと、適当な座席を見つけてようやく安心する。トイレの近い私なのに、これから90分ほど、トイレに行かなくて大丈夫と心配したが、またも眠気の力により、通勤客が乗り込もうが、キレイなお姉さんが近くにいようとも(たぶん、いませんでした!)、本も読まずに、景色も見ない、もちろんスマホなどというものは持っていないので、ただぼんやりと過ごしていた。今のお客さんたちは、時間をとても有効利用していて、寸暇を惜しんで、スマホの画面を見ているというのに……。
名古屋に9時前に到着する列車は、通勤には少し遅いくらいではあるが、それでもお勤め風の人たちがいっぱいだった(ような気がする)。記憶は少しはっきりしていない。到着直前のアナウンスで、中央線がいまだに南木曽町のところで普通になっているのを知らされる。そう、名古屋に着く前は、どこへ行こうか、迷い始めていたのだった。とにかく中津川に出て、そこであれこれ見るという道、うまくすれば松本にも行けるかもしれない。東海道線を上っていく道、どこで降りるかが大きな問題である。東海道線を下っていくという道、これもありではあるが、全く何も調べていないので、どこを目的にしていいのかわからない。飛騨本線への道は、本数がたぶんないであろうし、これも予定には入っていなかった。
こんなに直前になって、松本行きがダメになるとは思ってもみなかった。眠気は吹き飛び、どこへ行くか、自分なりに一生懸命に考えてみた。
それで、金谷(かなや)まで行けば、大井川鉄道がある。全く今まで縁もゆかりもなかったが、そこまで行けたら、降りてみてもいいかもしれない。静岡は、大きな町で、数年前仕事でお城の近くまで行ったことがあった。そこで1日カンヅメ状態で、解放されたらすぐに帰らなくてはならなくて、折角お城のそばまで来たというのに、何も見ないで帰ったという無念を晴らすにはいいチャンスではある。でも、それ以外に楽しみはというと、古本屋回りなのだが、場所を調べていないので、下調べなしで回るのは無理だろうと思い、それでは富士市まで行って富士を見るとか、沼津に出て深海魚水族館なるものを見るか、それとも更に進んで三島で湧水の町を歩くのも楽しいだろうなど、思い巡らし、ひたすら東をめざすことにした。


豊橋まで快速で1時間ほど、そこから浜松まで普通で40分くらい、浜松からは連絡が悪いはずだし、時間もかかると思われ、少し不安ではあったが、意外と連絡はよく、興津行きに乗り、またも本を読んでいるのか、寝ているのか、モーローとしたままの乗車を続けることになった。かくして金谷は白河夜船で、掛川で少しよみがえり、藤枝・焼津はトロロンとして、静岡あたりでやっと意識がもどり、外を眺めることができるようになったと思ったら、すぐに興津に到着して、ホームの上に投げ出されてしまった。次の電車はしばらく待って沼津行きだった。



「もう、こうなりゃ深海魚を見に行こう」と覚悟を決めて、乗り換え最後の電車に乗り込む。由比(ゆい)、蒲原(かんばら)と、いかにも東海道の宿場町の駅を過ぎて、富士川という駅に到着する。そして気づいた。今日はガスが出ていて、富士山は見えない日なのだと。

半分沼津の気持ち、富士山は諦め、三島にも興味を抱きつつ、吉原(よしわら)という駅に着いた。自分はすべてこれらの地名を知っていた。まあ、昔何度も新幹線に乗らずにこの路線をトコトコ走ったこともあるが、箱根から、三島、沼津、原、吉原、蒲原、由比、興津、駿府とどれもこれも、広重さんの浮世絵で何度も見ていたせいで、とてもなじみがあったのである。そして、アナウンスは「岳南鉄道はこの駅でお乗り換えです」というのを聞けば、どれ降りてみようという気になって、降りてしまったのであった。

何のドラマもなく(もともとドラマなんかないんですけど)、吉原駅で降りて、乗り換え口の階段をトコトコ駆け上がり、一台しかない車両に乗り込む。1日乗車券は720円であった。
★ ウチから東海道線・吉原までものすごく時間がかかります。たったの9キロの電車に乗るために、往復6時間をかけ、1日仕事で大人が出かけていくなんて、それこそ大人げないですね。いや、だからこそ大人かな。子どもならそんなのイヤだというだろうし、早く目的地に着かないのとダダをこねるでしょう。
大人って、変なところで忍耐強いんですね。でも、ウチの奥さんなら、絶対に行かないようです。本を読んだり、外を眺めたり、ボンヤリできるんだけどなあ。仕方ないですね。松本になら、付いてきてくれるかな。最近、ほしよりこさんとか、いしいしんじさんとか、そうした仲間の人たちの本を読んでいるみたいだし……。