今朝、4時半に時計をセットしてみました。22時半に寝始めたので6時間睡眠できる予定でした。
起きるのが早いのと、電車に乗り遅れたら、すべての乗り継ぎが狂ってしまいます。そんな不安と緊張からか、ずっと眠れなくなりました。まあ、よくあることです。旅する興奮もあったんでしょう。
眠れないなぁーと嘆きつつ、何度も時計を見ました。
もう、寝なくていいからと覚悟を決めました。
かくして、松阪から亀山、名古屋、中津川でしばらく休憩してそこから2時間近くで塩尻、その後、甲府に着いたら14時くらいでした。
山梨県立美術館のミレーを見て来ようと決めたのに、バスが30分ほどありませんでした。
今はものすごい「イラチ(ジジイだから、じっと待つことができなくなりました。短気なんですね?)」なので、とても待てなくて、駅近くの徳川幕府の城趾(信玄さんのお城ではなかったんじゃないかな?)で街を見渡して、富士山も見えて来たし、大月に行くことにしたのでした。
たくさんの欧米系の旅行者たちが奈良井、妻籠などの宿場を歩きに行くようでした。きっと、私たちには見つけられないものを見つけてくださるでしょう。そして、私たちはその見つけてもらったものを改めて鑑賞することになります。
自分たちの古いものは、外国人経由で教えてもらうのかなあ。何だか情けないです。でも自力で見つける力や感性をなくしているのかもしれないな。
欧米系の人たちに教えてあげられるものはないのかな?
[4/3記]外国の人たちにわざわざお勧めしたい、というものを持っていないのだと気づきました。
来年、大阪の不安定な土地の上で万博をするみたいだけど、これはオススメしているはずです。でも、誰も見向きもしないはず。大阪のUSJもオススメだけど、欧米系の人たちは有り難がるとは思えないです。
私たちが忘れていたものを世界の人たちは見つけてくれているはずです。奈良公園も少し飽きていた。修学旅行でいけばそれで終わりだと思っていた。京都は、JR東海が何度も「そうだ、京都行こう」なんていうキャンペーンをしなきゃいけないくらい、その魅力をよく突きつめていなかった。すでに何人もの外国の人たちが住みつき、発信してくれて、みんなの憧れへと大きくなっていった。
浅草、鎌倉、姫路城、いろんな観光スポットがありました。でも、何となく忘れられていた。それがここ二十年ほどで、ということは21せいきになってから、日本のさびれた観光地は世界中の人が訪れるところになりました。
これで日本には観光地にお金があふれる、というところもあるでしょう。でも、ピンポイントであり、その地域全体はそんなに潤わない、かもしれない。
富士山はものすごい観光客で、それこそ殺人的で、とても富士急行の3両しかない、本数の少ない電車には乗れない。バスもついでに混んでいる。けれども、途中はサッパリでした。大月市に宿泊し、途中の都留市を歩いてみましたけど、それらの町には歩いている人はいなさそうでした。
塩尻の駅にはたくさんの外国人がいました。注目スポットの松本に向かう人たちがいたのでしょう。岡谷市・下諏訪町・上諏訪市は、そんなに出会わなかったけれど、たぶんいたような感じです。そして、富士吉田市、河口湖町はたくさんの人たち、峠を越えて御殿場市、裾野市、沼津市、富士市などでは欧米系の人には出会わなくて、町の中に入り込んでいるアジア系の女の子たちに出会いました。
何だか偏っている。情報を頼りに世界の人たちは押し寄せている。ということは、それらがあれば、世界の人たちはそこに行ってみようと思うみたいです。
世界の人々のツボは何なのか。私は知りたいとは思いません。それよりも、消えていく日本の人の暮らしをもう一度見つめていきたいと思います。気持ちとしてはそんな感じ。情報よりも、自分の気持ち優先で、とりあえず、何か感じられそうな所に行ってみる。できれば、人と関わりたいけど、しり込みして関われない。でも、行ってみたい。そういう気持ちです。