このフレーズを教わったのは、たぶん、この本からです。
立川昭二(たつかわしょうじ)著「歴史紀行 死の風景」1982 朝日新聞社刊、うちには1982.12.28に着いていて、700円でナンバの古本屋さんで買ったと書いてありました。そうか、出たらすぐに古本屋で買えたのか。
あれ、このころプータローしてたんですよ。年末に何を探しにナンバに出かけたんだろう。アホですね。
自分のアホは置いておいて、とにかく、この本はわりとすぐに読んで、何か勉強した気分になってたようですが、全く何も憶えていないので、あまり意味はないみたい。
最初の10ページくらいを読んでみたら、オッチャンの心にしみることが書かれています。いろんな本を家のあちこちに投げ捨てながら、ちっとも進んでないけど、これもところどころ読みで、ふたたび読んでみてもいいですね。
少し抜き出してみると、
昭和五十二年(1977)の平均寿命は、男72.69歳、女77.95歳、女はまさに喜寿時代にはいった。しかし、すべてのひとが七十歳で死ぬ、というのではない。
いまから八十年前、日本で初めて生命表が発表された明治24~31年には、男42.8歳、女44.3歳であった。生から死までの距離が、いまよりはるかに短かった。人生四十から人生七十……この平均寿命の伸長という事態は、社会の年齢構造を大きく変化させ、老齢化社会というまったく未経験の問題にわたしたちを直面させた。
いろいろ抜き出したいところはあるけれど、数十年前と今との変化も感じました。今、私たちはそこのただ中に行こうとしていて、あと何十年かしたら、人口減少社会が始まるはずです。それはまた、今の子どもたちが乗り越えなきゃいけない問題ですけど、当事者としての私は、もうなるべくお年寄りを利用して、踏み台にして、あまりお金もかけないで、お年寄り同士で活性化させて、若い人の迷惑にならないようにしていけたらと思うばかりです。
何を反省しているんだ? 迷惑にならないようにしたい一心かな。
死のかたちは時代により社会により異なる。
かつて、日本人の死因の首位は飢餓と疫病であった。また、将軍の子女にしても、その大半が乳幼児のうちに死亡し、民衆のあいだでは、子堕し(こおろし 堕胎)や間引き(嬰児殺し)がなかば公然と行われていた。だが一面、そこには子育てのさまざまな習俗にみられるように、幼いいのちを大事にまもろうという深い祈りが存在していた。
というように、いのちは社会とつながりながら見守られてきた、と立川さんは言います。
今もそうなんじゃないの? と思うけれど、これも時間とともにいろいろと変化している気がする。
私が生きてきたほんの短い間でも、お葬式って、少しずつ変化してきているし、これからも変わっていくかもしれない。
朝から、少し陰気なことを書いてますね。
この本の最初のところで、今の死は、何だか生きていく人々と切り離された形になっているけれど、過去の日本や、立川さんが見てきたところなどを取り上げて、死を見つめ、生を考えていこうということになるみたいです。
もうすぐゴハン食べなきゃ。
今朝も四時起きになりました。まともに眠れなくなりました。それがとても悲しい。
本も読んで、思いついたことを書きます。あまり明るい話題ではないけど、それでも書いてみよう!