眠くなってきたので、写真だけ貼り付けます。
明日も仕事だし、朝早いし、とりあえず室生芸術の森です。
入っていいのかわからないくらい静かで、だれもいなかった。
★ そういう書き出しでした。今さらながら反省します。どうして個人的な事情をベラベラ書くのかなぁ。もっとクールに書かなきゃいけないのに、つい甘えが出てしまいます。
私のいけないところです。反省します。たぶん、ダメとは思うけど、そういうのが身についています。もう一度気分あらたに……
大野寺の方から室生寺をめざして道路沿いを歩いていて、たまたま東海自然歩道という道標を見つけました。私は何度か自然歩道というのを歩いていたはずでした。だから、平坦な道ではないというのはわかっていました、たぶん。
それなのに、「エーイ、バス通りはしゃらくさいから歩いてしまえ」なんていう変な気が起きてしまった。バスと変わらない時間でたどりつけるのを実現したかった。できればバスの通らない道を通って室生寺に行きたかった。
そして、ハラハラドキドキの、誰もいない山道を2時間半も歩くことになった。そして、ヘロヘロになった。肉体的にも精神的にも、クタクタでした。
逃げ道がないので、仕方なく誰にも会わないで歩いた。たまたまガイドをしている人に出会った。
その方は「1週間に3回くらいは歩くけれど、スズメバチの巣を見つけたから、それを写真に撮り、役場に報告しなくてはいけない。今日は日曜だから、明日報告するんです」ということだった。
どうにかスズメバチにも刺されず、峠を越えて、坂道はわりと楽だったけれど、そうなるとやはりクマに会わないか、誰も他の人はいないのか、とにかく人恋しさが募って、ポッカリと人工的な自然、というのか、山の上の芝生に出た。
ここは何なのか、そういうところがある、というのは知っていたけれど、まさかそれが芸術の森なのか、半信半疑の汗だくだくで、エントランスの建物に入った。オバサンが1人だけいて、「入れますか」とたずねてしまう。
それくらい人っけがなかった。そう、山の中のタヌキ御殿だったり、キツネにつままれるような、真っ昼間なのに、人間の世界なのか、よくわからない感じで、入ったんでした。
中に入ったら、写真を撮っているオジサンたちが3人。それと中年カップル1組がポツンといて、「ああ、人間の世界にもどってきた」とようやくホッとすることができた。
先ほどの峠の写真を撮ってから、もう何も撮る気にならず、ひたすら歩いた私は、ようやく落ち着いたのだと思われます。
適当な場所を見つけて、ゴハンを食べようという気持ちも起こります。
母の作ってくれたオニギリを食べ、実家に2年ほどしまいこまれていた奥さんの俳句の載っている伊藤園のお茶を飲み、母と奥さんの愛に包まれてお昼を食べます。
でも、水分も切れていたのか、お茶はすべて飲んでしまうし、汗は乾くのはいいけれど、山の中から解放されたら、太陽光線が容赦なく照りつけて、別の意味でヘロヘロになりそうです。
それに芸術の森は高低差があって、もう山の道は歩きたくないのに、仕方なしに高低差を上がったり下りたりしなくてはならなかった。
ピンクフロイドの「対」というCD持っています。ジャケットはこんな感じです。でも、ここは山の中で、静かでした。
山がすべての音を吸い取るんでしょう。カッコウもいないし、ホトトギスもいない。ただ芸術が転がっている。
★ だれもいないと思っていたら、時々人は通り過ぎていくし、それなりに撮影スポットらしきものがあります。山の中に突然のとんがった鉄のピラミッドがあります。
木と水と土と金、鉄は火で作るので、五行のすべてが調和した形なのかな。人はこういうものだけがあれば生きていけるのかもしれません。
ケータイも、ミサイルも、テロ組織も(これは人が作り出すものですね)、電波も、放射能もいらないのに、どういうわけか人間は、五行を離れたモノを作りたがるようです。
ここが一番上の池で、私は逆で、下から上がってきました。
太陽の塔という名前がついていました。そうだといえばそうだけど、岡本太郎ファンの私は、その名前は他にあげたない不寛容なオッサンです。でもタロウさんだけのものではないし、作者が気に入れば、なんだっていいのかもしれないな。
らせんの水路。水に触れればよかったのになあ。
★ ということで、昨夜はダウンしました。
実は、何回か、白い服の女性が出ています。人とオブジェとのスケール感が欲しくて、遠目から入れさせてもらいました。勝手に撮っている盗撮です。よくないけど、遠いからいいかなと、入ってもらいました。
この人たちと帰りは一緒になって、スマホでところどころ撮っている女性とそのお母さんらしき2人連れでした。特に私はこの人たちと交流するわけでもなく、室生寺めざして、おそらく足もとにある室生の里に歩いて行かなくてはと気持ちを切り替えていました。道はたぶんわかるだろうけど、寄り道はしたけど、とりあえずアジサイと室生寺だ!
と思っていた。2人の女性が外に出たら、黒いワンボックスカーが現れます。お父さんらしき人が運転していて、高知から親子でここを訪れたのだな、家族旅行なのだと、感心します。ちゃんと親夫婦に着いてくる娘さんって、ありがたいことじゃないですか。
もうそれだけで私は感心したんです。大人しい感じの娘さんでしたから、そういう家族もあるんだとホッコリしました。
そうです。もうクタクタで、お寺はそんなに熱心に見に行こうというふうではなくなっていました。
とはいうものの、即物的な私は、動物と同じで、食傷気味でも、撮る材料があれば、飛び込んでしまうし、足が痛いのもなんのそのになってしまう。
その結果は、見るも無惨になるのはわかっているのに、それでもやってしまうんだから、懲りないのだなと思います。もう一生そんなふうにして生きていくのだと思います。
そんなことさえ気づかないし、気づいてもまた同じ失敗を繰り返していく。ああ……。
まあ、とにかくがんばります。さあ、今日はお仕事です。セミも鳴き始めました。
明日も仕事だし、朝早いし、とりあえず室生芸術の森です。
入っていいのかわからないくらい静かで、だれもいなかった。
★ そういう書き出しでした。今さらながら反省します。どうして個人的な事情をベラベラ書くのかなぁ。もっとクールに書かなきゃいけないのに、つい甘えが出てしまいます。
私のいけないところです。反省します。たぶん、ダメとは思うけど、そういうのが身についています。もう一度気分あらたに……
大野寺の方から室生寺をめざして道路沿いを歩いていて、たまたま東海自然歩道という道標を見つけました。私は何度か自然歩道というのを歩いていたはずでした。だから、平坦な道ではないというのはわかっていました、たぶん。
それなのに、「エーイ、バス通りはしゃらくさいから歩いてしまえ」なんていう変な気が起きてしまった。バスと変わらない時間でたどりつけるのを実現したかった。できればバスの通らない道を通って室生寺に行きたかった。
そして、ハラハラドキドキの、誰もいない山道を2時間半も歩くことになった。そして、ヘロヘロになった。肉体的にも精神的にも、クタクタでした。
逃げ道がないので、仕方なく誰にも会わないで歩いた。たまたまガイドをしている人に出会った。
その方は「1週間に3回くらいは歩くけれど、スズメバチの巣を見つけたから、それを写真に撮り、役場に報告しなくてはいけない。今日は日曜だから、明日報告するんです」ということだった。
どうにかスズメバチにも刺されず、峠を越えて、坂道はわりと楽だったけれど、そうなるとやはりクマに会わないか、誰も他の人はいないのか、とにかく人恋しさが募って、ポッカリと人工的な自然、というのか、山の上の芝生に出た。
ここは何なのか、そういうところがある、というのは知っていたけれど、まさかそれが芸術の森なのか、半信半疑の汗だくだくで、エントランスの建物に入った。オバサンが1人だけいて、「入れますか」とたずねてしまう。
それくらい人っけがなかった。そう、山の中のタヌキ御殿だったり、キツネにつままれるような、真っ昼間なのに、人間の世界なのか、よくわからない感じで、入ったんでした。
中に入ったら、写真を撮っているオジサンたちが3人。それと中年カップル1組がポツンといて、「ああ、人間の世界にもどってきた」とようやくホッとすることができた。
先ほどの峠の写真を撮ってから、もう何も撮る気にならず、ひたすら歩いた私は、ようやく落ち着いたのだと思われます。
適当な場所を見つけて、ゴハンを食べようという気持ちも起こります。
母の作ってくれたオニギリを食べ、実家に2年ほどしまいこまれていた奥さんの俳句の載っている伊藤園のお茶を飲み、母と奥さんの愛に包まれてお昼を食べます。
でも、水分も切れていたのか、お茶はすべて飲んでしまうし、汗は乾くのはいいけれど、山の中から解放されたら、太陽光線が容赦なく照りつけて、別の意味でヘロヘロになりそうです。
それに芸術の森は高低差があって、もう山の道は歩きたくないのに、仕方なしに高低差を上がったり下りたりしなくてはならなかった。
ピンクフロイドの「対」というCD持っています。ジャケットはこんな感じです。でも、ここは山の中で、静かでした。
山がすべての音を吸い取るんでしょう。カッコウもいないし、ホトトギスもいない。ただ芸術が転がっている。
★ だれもいないと思っていたら、時々人は通り過ぎていくし、それなりに撮影スポットらしきものがあります。山の中に突然のとんがった鉄のピラミッドがあります。
木と水と土と金、鉄は火で作るので、五行のすべてが調和した形なのかな。人はこういうものだけがあれば生きていけるのかもしれません。
ケータイも、ミサイルも、テロ組織も(これは人が作り出すものですね)、電波も、放射能もいらないのに、どういうわけか人間は、五行を離れたモノを作りたがるようです。
ここが一番上の池で、私は逆で、下から上がってきました。
太陽の塔という名前がついていました。そうだといえばそうだけど、岡本太郎ファンの私は、その名前は他にあげたない不寛容なオッサンです。でもタロウさんだけのものではないし、作者が気に入れば、なんだっていいのかもしれないな。
らせんの水路。水に触れればよかったのになあ。
★ ということで、昨夜はダウンしました。
実は、何回か、白い服の女性が出ています。人とオブジェとのスケール感が欲しくて、遠目から入れさせてもらいました。勝手に撮っている盗撮です。よくないけど、遠いからいいかなと、入ってもらいました。
この人たちと帰りは一緒になって、スマホでところどころ撮っている女性とそのお母さんらしき2人連れでした。特に私はこの人たちと交流するわけでもなく、室生寺めざして、おそらく足もとにある室生の里に歩いて行かなくてはと気持ちを切り替えていました。道はたぶんわかるだろうけど、寄り道はしたけど、とりあえずアジサイと室生寺だ!
と思っていた。2人の女性が外に出たら、黒いワンボックスカーが現れます。お父さんらしき人が運転していて、高知から親子でここを訪れたのだな、家族旅行なのだと、感心します。ちゃんと親夫婦に着いてくる娘さんって、ありがたいことじゃないですか。
もうそれだけで私は感心したんです。大人しい感じの娘さんでしたから、そういう家族もあるんだとホッコリしました。
そうです。もうクタクタで、お寺はそんなに熱心に見に行こうというふうではなくなっていました。
とはいうものの、即物的な私は、動物と同じで、食傷気味でも、撮る材料があれば、飛び込んでしまうし、足が痛いのもなんのそのになってしまう。
その結果は、見るも無惨になるのはわかっているのに、それでもやってしまうんだから、懲りないのだなと思います。もう一生そんなふうにして生きていくのだと思います。
そんなことさえ気づかないし、気づいてもまた同じ失敗を繰り返していく。ああ……。
まあ、とにかくがんばります。さあ、今日はお仕事です。セミも鳴き始めました。