冷たい雨が降りました。東北・北陸の日本海側では雪が降り、積もったりもしたそうです。内陸の岐阜の郡上八幡というところでは、満開の桜に雪が積もったというのがニュースになったみたいでした。
先月の末、ひとりで奈良に出かけた時も雨が降っていました。今日ほどではないけど、寒かったです。でも、街はものすごい熱気と人いきれでモヤモヤしていました。
そんなに歩けたわけではないけど、近鉄の奈良駅から興福寺の中金堂、氷室神社、東大寺の参道と歩いたものでした。
いつもなら中国系の人たちが、楽しまなきゃ損みたいにして、鹿と戯れたり、着物を着てみたり、家族みんなでわがままを言い合ったり、存分に活力を発揮しているんですが、この前はそれが目立たないくらいに欧米系の人たちもたくさんいました。そりゃ、サクラの季節ですから、それを目当てに京都・奈良をめざしたんでしょう。
雨なのに、南大門の前も後ろもたくさんの外国の人たちでいっぱいでした。こんなに外国の人が来るのなら、やはりその人たちを相手に商売しよう、外国の人たちが求めるものを提供しよう、というのは自然な流れです。
昔なら、たくさんの団体客が全国各地から来たでしょう。でも、あんなに団体旅行を楽しみにしていた世代、たぶん、うちの父や母たちの世代はみんな年を取ってしまいました。だから、遠くに出られなくなっている。みんなテレビか何かで旅をしているような気分になっていて、「もう、あそこにも行けないな」とつぶやいておられることでしょう。
次の世代、たぶん、私たちの世代は、団体旅行をするには照れがありますし、自分で旅を決めたい、みたいなこだわりがあります。だから、わざわざどこかに行くにはそれなりに理由が必要だし、何となくみんなで押し掛けることはしません。
せいぜい朱印帳集め、西国さんまわり、四国遍路、何か無理矢理な理由が必要です。素直にボンヤリ、どこでも出かけたらいいのに、それはしたくないみたい。かくして、私たちの世代は、どこかに行きたいと思いつつ、どこにも行けないまま、くすぶっているのかな。
そんなにこだわりがあるのなら、せいぜいこだわった旅をしてこなくちゃ! とはいうものの、どんな旅ができるんだろう。
そして、私たちの次の世代、たぶん、うちの子たちの世代は、どこにも興味がないか、仕事で忙しいか、誰か友だちがいないと、どこにも行けないようです。この世代は、人のつながりが命みたいにして、友だちや恋人を大切にしていくことでしょう。その次の世代は? それはまだ分かりません。
私は、大仏殿には行かないという強い気持ちを持っていました。
こんな雨の日に、大仏さんにお参りしても、大仏さんはちゃんと私みたいなものでも見てくださるでしょうけど、心が乱れまくっている私は、ちゃんと素直になれなかったでしょう。花粉でグシャグシャですし、お祈りどころではありませんでした。
大仏殿・西側の入口をスルーした時点で、私の気持ちは吉城園に向かっていたようです。こんな雨の日に、入江泰吉さんの旧居にお邪魔しては申し訳ない気持ちもありました。自分が湿気を持ち込むみたいで、それは遠慮しました。
吉城園の中に入りました。この建物は、1919年に作られたものだそうです。正法院家の住宅なんだそうです。そもそもそれは誰なんでしょう?
江戸時代までは、興福寺の塔頭・摩尼珠院(まにしゅいん)というところがこちらにあったようです。それが明治になり、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた時、興福寺は、生き残りをかけて守れないものは切り捨てて、民間に売り渡した。そして、正法院家さんがおうちを建てた。茶室も作った。それが1919年・大正8年、今から百年前でした。
やがて、奈良県の所有になり、ご近所に知事公舎もあるし、あたり一帯をすべて県が管理することになった。せっかくの庭園も、県が一人占めしているわけにもいかず、1989年、今から三十年前に一般公開することになったそうです。
そうか。平成になってやっと開放されたお庭だったのか。
そういえば、奈良でいつもクルマを止める県営駐車場の真ん前、あそこも垣根に囲まれたどこからも入れない気になる庭だと思っていましたが、あそこも県有地で、それを民間に委託してホテルを作ろうという話が出ているというのがニュースになっていました。今もたくさんの、私たちが踏み入れられない、公有地というのがあるようです。
そんなのひとり占めしないで、みんなに開放してくれたら、奈良の魅力はさらに上がるのに! 確かにお泊りするところが少ないから、ホテルを建てるというのはアリだけど、あまりに下心が見え見えだな。大きな施設は要らないから、京都みたいに泊まれる長屋とか、そういうのを開発してくれたら、喜んで泊まりに行くのにな。
お屋敷のガラス窓、ここは入れなくなっていて、もう少し開放度を高める必要がありますね。展示会とか、いろんな利用法があると思います。それこそ、旅館にするとか、いろんなアイデアもあるでしょう。
十日くらい前だけど、奈良のレンギョウは元気だった。
しょうじょうばかま、という不思議な、小さな植物も案内してくれてました。
大和路の春といえば、そりゃ、馬酔木(あしび)です。サクラもいいけど、興福寺のあちらこちら、民家の垣根、いろんなところで咲いていました。雨にも負けていなかった。
茶室も、一万いくらで貸してくれたりするそうです。私が茶人なら、ここでイベントも企画したいくらいです。まだまだ奈良の魅力は開発途上というところです。