最近ずっと電車の中からもれる光を探していました。ただのビジュアルだけの話だったのかなと、ふと考えてみたら、そうではありませんでした。
当然のことながら、電車の中には誰かが乗っているんだった。空っぽの電車というのもあるかもしれないけど、そんなのはめったになくて、誰かは座っている。スマホを見ているのか、寝ているのか、本を読んでいるのか、メールをしているのか。
誰かは、そこでどこかへの移動をしている。家に帰るのか、仕事に行くのか、遊びに行くのか、何かをする途中なんだと思う。
外に光があふれていたら、それはうれしい。でも、暑すぎたり、まぶしすぎたりしたら、困るんだけど、今の車両はたいてい快適になるようにしているから、大丈夫なんだろうな。
キラキラした海が見えたら、それは最高なんだけど、ずっとそんなばかり見ていたら、海のキラキラだって飽きてしまうんだから、人間って、本当にぜいたくにできている。お金持ちはすぐに慣れてしまうし、お金を浴びるほど使うことにも慣れてしまう。この慣れって、いけないんだけど、それが人間というものだ、というのを私たちは知ってしまっている。
中から外を見たら、何でもない風景が過ぎ去っていくだけです。サクラが咲いてたり、大きな川を渡ったり、特別なお山が見える時もあるけど、だいたいはボンヤリとしてしまうことが多い。
私たちは、この電車で移動している時間はムダなことの一つに数えてしまうところがあります。
確かに、何かをするには、いい環境ではないのかもしれないけど、でも、勉強したり、本を読んだり、音楽を聴いたりできますよ。それはムダなこととは言えないね。それはとても大事な、特別な時間でしたよ。毎日、一定量こういう時間がある、というのは毎日規則的に何かができるということでしたよ。
できたら、そこで、誰かに出会い、お話をしたりできたら、それはしあわせです。私にもそんなしあわせな時間、あったはずなんだけど、ありすぎて忘れたのかもしれないな。覚えきれないのかもしれないです。
近ごろは一人で出歩くことが多くなって、奥さんと話すとか、誰かと話しながら電車に乗るとか、そういうことがなくなりました。電車は黙って乗るもの、ゴハンも黙って食べるもの、仕事は黙ってすること。よくわからない物事に対して、アドバイスもなし、相談もなし、何にもなしで立ち向かわされることが多くなりました。
みんな、それでいいわけはないですよね。人間なんですから、たくさんムダな話をしたり、してもらったりしなきゃ、やってられないのです。
電車を見かけた時、そこに誰かの人影が見えたら、もちろんそれは私ではないんだけど、でも、誰かの人生ではあるんです。
クルマで行きすぎる姿はすぐに忘れてしまうけど、電車の中の人影は、とても私たちを旅に誘ってくれる。
誰かの人生が、今、私の目の前を過ぎていく。シェードをおろしていると、中の人が見えないけれど、たまたま窓ごしに向こうが透けて見えたら、誰かのシルエットが見えたら、それは特別なものになります。
そんな一瞬が切り取れたら、私としては何だかお手柄な気持ちになれるんです。つまらない楽しみなんですけど……。
明日は曇りのち雨というから、もちろん無理なんだけど、またいつか、窓越しのあかりをつかまえられるように、線路わきに時間をはかって行こうと思います。できれば遠いところに行きたいけど、遠いところは場所を見つけるのが大変だから、自分の慣れたところに行くしかないかな。