老子さんは周の図書室の管理人だったそうです。たまたま孔子さんが周の都に出張で出かけていって、老子さんに出会います。本当に老子さんって実在したんでしょうか。なかなかわからないけれど、そうしたスノッブな人がいてくれてもいいですね。それでこそ中国です。そういう人が、現代の中国を変えていってくれたらいいんですけどね……。
出会うべくして出会った2人は、次のような会話をしたそうです。「十八史略」から取り上げてみます。
孔子さんは老子さんに、「礼とは何か?」という質問をしたそうです。
老子さんが答えます。
「良賈(りょうこ)は深く蔵(おさ)めて虚(むな)しきがごとくし、
富んでいる商人は奥深くしまい込んで、商品はほとんどないように見えるものであり、
君子は盛徳(せいとく)ありて、容貌(ようぼう)愚(ぐ)なるがごとし。」
徳のある君子はその徳を外へ表さないものだから、みかけは愚かな人間のようにみえるものである。
どうして老子さんは、こんなメッセージを孔子さんに託したのでしょう。実話にしても、作り話にしても、なかなか気になるメッセージです。
孔子さんは、あまりに「できる人」としての評判が高く、そのうわさがあちらこちらに伝わっていたのかもしれません。また、孔子さんの人に対する態度が、いつも他人をどれくらいのものかと評価するような目線で、自分に役に立つのか立たないのか、そういう視点で、どこの馬の骨でもいいから、自分の身の肥やしにしようという魂胆が見え隠れしたのかもしれません。
孔子先生は、人と出会い、そのお互いの真情の中から、次なる展開を開いていこうという方なので、相手とのしっかりとした関係性が大事な人なのです。相手とどうつながれるか、それに真剣勝負で向き合っています。それが老子さんには許せないんでしょうね。
自分は自分、人は人、自分はだれにも影響されず、自分のリラックスした道を自分のやり方で生きていくという姿勢の人ですから、孔子先生と意見が合うわけがありません。全くちがうフィールドにいる2人が、たまたま同じ空間に居合わせたわけで、老子さんは好きなことを言い、孔子さんはどうにもできなかったという場面が起こるのかもしれません。
孔子さんは老子さんのもとを去ってからお弟子さんに語ります。
「鳥はよく空を飛ぶものであるということを、自分は知っている。
魚はよく水を泳ぐものであることを、自分は知っている。
獣はよく地を走るものであることを、自分は知っている。
走る獣なら網を張って捕らえることができるし、泳ぐ魚なら釣り糸を垂れて釣ることができる。
飛ぶ鳥ならいぐるみで射捕ることもできる。
竜に至っては吾(われ)知ること能(あた)わず。
しかし、竜に至っては、自分はどうして捕らえてよいかまったく見当がつかない。
なぜかといえば、竜は風雲に乗じて天に上り、実に自由自在であるからだ。今老子を見るに、それはちょうど竜のようであろうか。その偉大さは計り知れない。」と。
2人の出会いにおいては、老子さんの勝ちということになっています。というのか、老子さんがカウンターパンチで来るので、孔子さんはそれを丁寧によけるのに精一杯。不戦敗ですね。
まあ、老子さんに好きに語らせている感じです。他の隠者との対決でもそうでした。隠者のみなさんは、自説を道ばたで思い切り言い放ち、それはどういうこと? と議論に行くと、もうそこにはいないのです。
隠者のみなさんは、議論をしてもムダ。自分たちは、そうした議論こそやめるべきだと、田舎に逃げているわけですから、まともな議論をするつもりがないのです。ムダじゃ、ムダじゃで終わってしまう。
それも一理あるかもしれないけど、世の中を変える力にはなりません。無駄な抵抗とわかっていても、私たちはやらなきゃいけないことがあるのではないかと思ったりします。こんな私だって、いつか命を賭けて何かする場面だってあるかもしれない。子供たちのことを考え、自分を犠牲にしようということ、いつかあるでしょうか? まあ、わからないですね。
そういう頑張ること、必要ないのかなあ。よくわかりませんね。……今も、三島由紀夫さんのお父さんの本を読み切ってないけど、お父さんはずっと問い続けたことでしょうね。私は? まあ、たいした人間ではないので、ムダじゃ、ムダじゃと言ってる方が楽ではありますね。
ちくま文庫の「史記 孔子世家(こうしせいか)」から引用してみます。
辞去するとき、老子は孔子を見送って言った。
「わたしはこう聞いています。『富貴な者は人を送るに財をもってし、仁者は人を送るに言をもってす』と。
わたしは富貴になれないので、仁者の名を借り、あなたを送るのにことばをもってしたいと思います。」
老子はことばをついで言った。
「聡明(そうめい)で事理(じり)に徹(てっ)していても、死地に近づくのは、好んで他人をそしる者です。
弁舌(べんぜつ)さわやかで見識(けんしき)が広くても、わが身を危地(きち)におとしいれるのは、他人の悪をあばく者です。
人の子たるものは、自分を顧慮(こりょ)してはなりません。人の臣たるものは、自分を顧慮してはなりません。」
これが老子さんのおことばです。自分のことを考えてはならない。他人の悪をあばいてはならない。他人を批判してはならない。自分もなくして、他人のことも考えない。だったら、何が残るというのでしょう。
これは老子さんの本当のことばなんでしょうか。よくわからなくなってきました。とにかく、司馬遷さんが2人の出会いを記録しています。
とらえどころがなくて、神出鬼没で、おことばも役に立つのか立たないのか、見当がつきません。また、そのうち老子さんの勉強もしなくちゃいけません。
私も、孔子さんと同じように、よくわからない発言だな、とらえどころがないよ、と言うしかありません。
出会うべくして出会った2人は、次のような会話をしたそうです。「十八史略」から取り上げてみます。
孔子さんは老子さんに、「礼とは何か?」という質問をしたそうです。
老子さんが答えます。
「良賈(りょうこ)は深く蔵(おさ)めて虚(むな)しきがごとくし、
富んでいる商人は奥深くしまい込んで、商品はほとんどないように見えるものであり、
君子は盛徳(せいとく)ありて、容貌(ようぼう)愚(ぐ)なるがごとし。」
徳のある君子はその徳を外へ表さないものだから、みかけは愚かな人間のようにみえるものである。
どうして老子さんは、こんなメッセージを孔子さんに託したのでしょう。実話にしても、作り話にしても、なかなか気になるメッセージです。
孔子さんは、あまりに「できる人」としての評判が高く、そのうわさがあちらこちらに伝わっていたのかもしれません。また、孔子さんの人に対する態度が、いつも他人をどれくらいのものかと評価するような目線で、自分に役に立つのか立たないのか、そういう視点で、どこの馬の骨でもいいから、自分の身の肥やしにしようという魂胆が見え隠れしたのかもしれません。
孔子先生は、人と出会い、そのお互いの真情の中から、次なる展開を開いていこうという方なので、相手とのしっかりとした関係性が大事な人なのです。相手とどうつながれるか、それに真剣勝負で向き合っています。それが老子さんには許せないんでしょうね。
自分は自分、人は人、自分はだれにも影響されず、自分のリラックスした道を自分のやり方で生きていくという姿勢の人ですから、孔子先生と意見が合うわけがありません。全くちがうフィールドにいる2人が、たまたま同じ空間に居合わせたわけで、老子さんは好きなことを言い、孔子さんはどうにもできなかったという場面が起こるのかもしれません。
孔子さんは老子さんのもとを去ってからお弟子さんに語ります。
「鳥はよく空を飛ぶものであるということを、自分は知っている。
魚はよく水を泳ぐものであることを、自分は知っている。
獣はよく地を走るものであることを、自分は知っている。
走る獣なら網を張って捕らえることができるし、泳ぐ魚なら釣り糸を垂れて釣ることができる。
飛ぶ鳥ならいぐるみで射捕ることもできる。
竜に至っては吾(われ)知ること能(あた)わず。
しかし、竜に至っては、自分はどうして捕らえてよいかまったく見当がつかない。
なぜかといえば、竜は風雲に乗じて天に上り、実に自由自在であるからだ。今老子を見るに、それはちょうど竜のようであろうか。その偉大さは計り知れない。」と。
2人の出会いにおいては、老子さんの勝ちということになっています。というのか、老子さんがカウンターパンチで来るので、孔子さんはそれを丁寧によけるのに精一杯。不戦敗ですね。
まあ、老子さんに好きに語らせている感じです。他の隠者との対決でもそうでした。隠者のみなさんは、自説を道ばたで思い切り言い放ち、それはどういうこと? と議論に行くと、もうそこにはいないのです。
隠者のみなさんは、議論をしてもムダ。自分たちは、そうした議論こそやめるべきだと、田舎に逃げているわけですから、まともな議論をするつもりがないのです。ムダじゃ、ムダじゃで終わってしまう。
それも一理あるかもしれないけど、世の中を変える力にはなりません。無駄な抵抗とわかっていても、私たちはやらなきゃいけないことがあるのではないかと思ったりします。こんな私だって、いつか命を賭けて何かする場面だってあるかもしれない。子供たちのことを考え、自分を犠牲にしようということ、いつかあるでしょうか? まあ、わからないですね。
そういう頑張ること、必要ないのかなあ。よくわかりませんね。……今も、三島由紀夫さんのお父さんの本を読み切ってないけど、お父さんはずっと問い続けたことでしょうね。私は? まあ、たいした人間ではないので、ムダじゃ、ムダじゃと言ってる方が楽ではありますね。
ちくま文庫の「史記 孔子世家(こうしせいか)」から引用してみます。
辞去するとき、老子は孔子を見送って言った。
「わたしはこう聞いています。『富貴な者は人を送るに財をもってし、仁者は人を送るに言をもってす』と。
わたしは富貴になれないので、仁者の名を借り、あなたを送るのにことばをもってしたいと思います。」
老子はことばをついで言った。
「聡明(そうめい)で事理(じり)に徹(てっ)していても、死地に近づくのは、好んで他人をそしる者です。
弁舌(べんぜつ)さわやかで見識(けんしき)が広くても、わが身を危地(きち)におとしいれるのは、他人の悪をあばく者です。
人の子たるものは、自分を顧慮(こりょ)してはなりません。人の臣たるものは、自分を顧慮してはなりません。」
これが老子さんのおことばです。自分のことを考えてはならない。他人の悪をあばいてはならない。他人を批判してはならない。自分もなくして、他人のことも考えない。だったら、何が残るというのでしょう。
これは老子さんの本当のことばなんでしょうか。よくわからなくなってきました。とにかく、司馬遷さんが2人の出会いを記録しています。
とらえどころがなくて、神出鬼没で、おことばも役に立つのか立たないのか、見当がつきません。また、そのうち老子さんの勉強もしなくちゃいけません。
私も、孔子さんと同じように、よくわからない発言だな、とらえどころがないよ、と言うしかありません。