大好きな映画の『誓いの休暇』、もう何年も見ていませんけど、いつでも見れるさ、と思いつつ、なかなかNHKさんがやってくれなくて、そのままになっています。もしやってくれたとしても、今、ブルーレイは壊れているし、どうしたらいいんだろうなあ。
とにかく、大好きなんです。第二次世界大戦でドイツに侵略されているソビエトの若い兵士が主人公です。
戦闘の場面で、たまたま向こうの戦車を大破させることができた。それで、一週間ばかりの休暇をもらい、記者を乗り継いでふるさとに帰る。ふるさとでは、お母さんとほんの一瞬会えただけで、自宅の屋根の修理をするという彼の願いは遂げられず、母はずっと街道に立ちつくす、という映画です。90分くらいの映画です。
その90分の中で、記者の乗り継ぎの失敗とか、出会った人にお届け物を託されたりとか、気のいい若者は、あれを受け入れ、これを受け入れしている間に時間はなくなっていきました。
ちゃんと、途中で女の人にも出会いました。彼女とは心が通じたのか、と思える瞬間もありました。一緒に移動もしました。楽しい時間だったと思います。そんなことが起こり得るのか、それは夢であり、理想ですけど、極限で生きていたら、そんな出会いがあるのかもしれない。
1959年の映画ですけど、1965年には切手にもなるくらいに、人々から愛された映画だったんでしょうか。
彼女と別れる駅が来て、彼女の住所も聞けなかったし、詳しい話は何もしませんでした。戦時中ですから、そんなところで恋愛なんて、できたとしても一瞬で消えていくものでした。
主人公は、母を残して再び戦場に戻り、二度と帰って来ませんでした。たまたまもらった休暇は、母に別れを告げに来ただけのものでしかなかった。
戦争というのは、そんな別れが当たり前にあるところだというのは理解していますが、それでも、あまりに悲しくて、やりきれなくなります。
もう64年前の映画かと思っていたら、今もそんなことが繰り返されるようになりました。ウクライナとロシアの戦争だけではなくて、スーダンも、ミャンマーも、アフガニスタンも? スリランカも? いろんなところで戦争を始める人たちがいる。
どうにもならない世の中で、私たちの国も、侵略する国があれば、その国へ先制攻撃できるような軍事国家になりつつあります。コントロールできているのか、わかりません。よその国との交渉を何もしなくて、ひたすら戦争準備だけをしている。お金は国民負担でやらかしている。
人々は、それを受け入れさせられているのに、詳しい説明はありません。政府を信頼していることになっているから、政府のやることを信じ、認め、支持していくことになっている。軍事だけではなくて、原子力発電所の問題もそうです。そして、核のゴミの問題だけは、経済的に苦しい地域の人たちだけに押し付けている。それは国民全体の議論はしなくていいのかな。
わからないですね。
ロシアでは、今も子どもの帰りを待つ家族がたくさんいることでしょう。ロシアのPはいつまでこんなことを続けるのか、わからないのです。ウクライナの人々は、何が何でもロシアを追いやること、それしかないでしょう。
それははっきりしている。