私のスマホって、ギガがまるでないから、よそでは全くできないんですけど、少しだけ実家で書き込んでみます。
母と朝のワイドショーみたいなのを見ていて、個人がいなくなるということを考えました。
鶴瓶さんのお弟子さんの笑瓶さんのことです。……ワイドショーはさっそくいいネタだと飛びついていました。芸能界の話を伝えるのもワイドショーの役割ではあるんだけど、そこに何だか割り切れないものがあります。どうして、この人たちはこんなにハイエナみたいなの。というと、ハイエナさんに失礼なくらい、芸能ネタ、それも訃報ネタなんて、あまりに空ぞらしくて、何だかイヤでしたが、母は割と熱心でした。
鶴瓶さんのお弟子さんだけど、年齢は5つ下だったそうです。そういう人にも弟子入りすることはあるようです。まあ、弟子の方が年上という場合だってあるかもしれないけど、でも、何となくやりにくいかな。鶴瓶さんは「兄弟みたいなもんです」というようなお話もされていた。
師匠・鶴瓶さんの勧めにより東京進出をされて、東京で師匠ができないような、東京的なビジネスと大阪的なコテコテとを上手に使い分けて、まるで関東の芸人さんみたいに活動されていました。太田プロというところで、爆笑問題さんとか、山田邦子さんなどと仲間としてやっていたようです。
残念ながら、落語にもあまり出かけていない私は、笑瓶さんがどんな落語をされていたのか、全く見たこともありませんでした。何だか残念でもあります。
27日、お葬式は東京で行なわれたみたいです。完全に東京の方だった。
東京で活かされた才能なんだから、私なんかが全く知らない活躍をされたばずです。
そして、もう私なんかに、何か面白い話を伝えてくださること(番組も作品も
、何か本でも出しているのかなあ?)はありません。
何か、メッセージ、言葉、そういったものはなかったのかなぁ。方法はないんでしょうか。今さら遅いかな。
そう、人はいろんなことを伝えたいのに、何も伝えられない生き物だったんですね。なんだか、悲しい気持ちです。[2/27記]
[2/28記]
というんで、家に帰ってきました。うちはいいお天気です。四月くらいの陽気だそうです。朝晩は寒いけれど、光は完全に春です。雪が降ること、これからあるんだろうか。
まるで接点がなかった笑福亭笑瓶さんが亡くなって、自分とそんなに変わらなくて、自分も何も伝えられないまま、この世を去る時が来るんだと思うと、少し複雑というか、何か抵抗したい気持ちになりましたけど、今日になってみると、どうせ私なんて、何にもできないのは当たり前なんだから、焦らず、自分のまわりの人を楽しくさせる。それをテーマにやるしかないかなと思いました。
いつものところに落ち着きましたね。悲しんではいけない。いや、人がいなくなるのは、まわりはとてもショックではあるんです。でも、自分に返してみたら、自分は、やるだけのことをやるしかない。というだけです。
何だか、つまらないオチになりました。チャンチャン。