父よりひとつ年下の谷川俊太郎さんが亡くなられたというニュースを今朝聞きました。
もう半日過ぎてしまいました。父には俊太郎さんと同じくらい長生きしてもらいたかったけど、父は少し早かったです。
欲を言えばキリがなくて、百でも百十でも、たくさん時間をもらえたら、それはうれしいんだけど、健康でなくては辛いし、与えられたものを精一杯生きるしかないです。
俊太郎さんは希望でした。できれば同じ空間を共有したかった。そこにいらっしゃるだけで、何かオーラを感じるし、それから後も、私みたいなものでもいい言葉を言えそうな気にさせてもらえる方でした。
私の場合は、せっかくいただいた無形の力をうまく自分のものにはできなかったけれど、みんな力をもらったでしょうし、楽しい気分はなかなか忘れられないものでした。
これから、私たちは生きている詩人に出会うチャンスはありません。大学の先生か、芸人さんか、ユーチューバーか、何かの仕事もしつつ詩も書いている人に会うだけです。
詩がお金にならないのは、私たちの社会の貧しさなんでしょう。あと百年経つても、私たちの社会に詩人は生まれないかもしれません。
嘆いても仕方ありません。残され作品を折に触れて読んで行きます。
俊太郎さん、ありがとうございました。私たちは少しでもあなたの楽しさ、厳しさを学んでいきたいです。