甘い生活 since2013

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ビスマーク諸島へ

2022年09月06日 20時48分26秒 | 戦争と平和

 冒頭に地図を借りてきました。左側の色の濃い(高い山もあるんだろうな)大きな島がパプアニューギニア島です。日本の何倍くらいあるんだろう。二倍でしょうか、三倍かな?

 その東西に流れるライン上に(環太平洋火山帯であり、プレートの縁に当たるんでしょうか?)、ビスマーク諸島というのがあるそうです。縁というか、東に突き出た半島の上に、ニューブリテン島(東西のバナナ型の島)と、その北側にニューアイルランド島というのがあるようです。

 今では、観光リゾート地になっているみたいで、すぐ南側のオーストラリアや、ニュージーランドの人たち、欧米の人たちは、少しこんなとこまで足をのばしたりする人もいるのでしょう。

 もう少し東南に行くと、ニューカレドニア島もあるようです。

 ビスマークは英語読みで、ビスマルクはドイツ語読みなんでしょうね。地図ではビスマルクと書いてありますね。どっちにしろ占領者からのネーミングです。


 観光リゾートといっても、実はニューブリテン島は「ラバウル小唄」で有名な日本軍の前線基地がありました。もう少しだけ東にはガダルカナル島というのもありました。ここは玉砕の島でしたか。

 どうして、こんなとこまで進出して、何万人もの日本の人たちを降伏も退却もさせず、日本の捨て石になるために玉砕しろと命令したのでしょう。それは永遠の謎です。責任者は誰なんだろう。

 そういうことが過去にありました。今だって、いざそういう状況になれば、「日本国民のために、そこで玉砕しろ」と命令しかねない私たちの国なので、絶対に戦争はしてはいけないと思うんですが、そんなことより、ふと思ったことがあります。


 ラバウルという軍港があったニューブリテン島というのは、地図では小さいけれど、私たちのスケールに当てはめてみると、なんと九州くらいの大きさなんだそうです。その東北の端っこの湾に十万人以上の日本軍がいて、他の島々にもそれぞれ軍隊は進出していた。

 それら各地に分散された日本軍を、しらみつぶしにやっつけていけばいいのだから、時間と兵力さえあれば、着実につぶすことはできたでしょう。日本軍には武器も食料も補給もないのですから、追い立てれば、山の奥で苦しむはずでした。

 1943年に、漫画家の水木しげるさんは、ラバウル近くの陣地に着いてしまった。右も左も分からないまま、どこから敵がやって来るのか、それさえつかめないで、闇雲にジャングルで戦うのです。下っ端だから、選抜隊として敵陣地に近いところに十人ほどで行かされて、何度も死にそうな目に遭い、海に逃げ、海軍の陣地で助けられ、地元の人にもどういう訳かあたたかく接してもらったりして、左手は失ったけれど、敗戦をラバウルで迎えた。その時には、七万くらいの日本兵たちが、順番に帰国することになったということですが、それは大変だったでしょう。


 アイルランドとブリテンなのに、ビスマークは変だなと思ってたんですが、たぶん、発見したり、最初に関わりがあったのはイギリスで、具体的に統治したのが、ドイツだったそうで、1884年から1914年までドイツ領だったそうです。そのあと、オーストラリア領になり、1942年の1月から日本軍が占領をはじめ、ニューギニア、そして、やがてはオーストラリアを侵略する計画だったそうです。

 そういうこと、誰が考えたんだろう。日本軍が世界を征服する、アメリカも、オーストラリアも、すべてを呑み込む、そんな気持ちだったんでしょうか。

 なんと、あさましいというのか、みみっちいというのか、先が見えないというのか、独りよがりというのか、土地があれば、そこには人がいて、みんなそこで平和に暮らしたいというのが人情なのです。

 それを無視して、背の低い、外国語を理解できない、自分たちも階級制に分断されている、ただ支配することしか考えられない人たちに、何ができるというんでしょう。

 侵略し始めてから二年何か月、九州程の大きさの土地で、自分たちの占領とよその島もさらに占領しようと考えた人たち、それは水木しげるさんみたいな一兵卒のアイデアではありません。もしかしたら、現地に来たこともない東京の参謀本部が、立案・実施させている戦略であったのか。


 考えただけでゾッとします。たったの十万の兵士で、九州ほどの支配をしよう、ジャングルばっかりだけど、このジャングルを走り回り、現地の人たちを脅しつつ、支配しようだなんて、もうこの島だけを見ても、絶句するしかありません。どうして、こんなところにそんなに派遣したの?

 今もずっと問いたいところです。ドイツは、南洋諸島は諦めて、ヨーロッパの周辺諸国を責めようとした。それも迷惑なことではあるけど、まだ現実的な計画です。日本の南洋計画、こんなこと、今もしている気がして、暗澹たる気持ちです。


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