来年、もしかしたら、金沢に行くチャンスがあるかもしれないし、新しい国立博物館が金沢にできたというし、どんななのかなとEテレの日曜美術館を見てみました。
国立金沢工芸館というのは、金沢にあった陸軍の施設をそのまま展示施設に改装したものだということでした。再利用はすばらしいことで、ぜひいろんなものを活性化させて、古いものを新しくしてもらえれば、古い人間としてはありがたいことだと思うのです。
でも、今までどんな形で軍の施設が残っていたのか、そちらは少し気になるところですが、それは番組では触れられていませんでした。まあ、軍事基地でなくて、事務施設みたいなものがあったようです。それがリフォームされたみたい。
番組では、明治以降の工芸品を全国から集め、作った人・作られた土地・その歴史みたいなのが感じられるようになっていたみたいです。
もちろん、明治以前の伝統や歴史も受け継いでいるはずなのですが、それは作品を見ながら考えてもらうことにして、明治以降の日本の工芸はどのように推移したのか、それが主眼に置かれているようでした。
金沢という土地でもあるので、漆や九谷焼や加賀友禅など、地域の独特の文化もあるはずです。でも、そこまでローカルなところは取り上げないで、時代の流れを追いかけ行くようでした。展示の細部ではもっといろいろな要素があるのかもしれません。
そうした流れの中で、取り上げられていたのが明治の初めの、超絶技巧・巨大工芸・細密描写など、こてこてでゴテゴテの作品群があったというのです。陶芸でも、提灯でも、織物でも、工芸品でも、これでもかというもの、人を驚かすもの、外国の人々に日本の技術の素晴らしさを認めてもらおうと必死の作品作りが行われます。
もちろん、国内ではそういう巨大なもの、リアルなもの、時にグロテスクなものの需要はありませんでした。生活していく上では、落ち着いて使える、生活サイズの工芸品があればよかった! できればさっぱりしたデザインで、いつまでも飽きの来ないシンプルなものが求められた。
まあ、当たり前のことでした。
でも、そうした流れの中で、職人さんなのか、芸術家なのか、少し微妙な位置にいて、独自のモノづくりをする人たちがいて、その歴史も何十年と続いて来て、そして今に至っているのだというのを感じました。
富本憲吉さんという陶芸家も取り上げられてたけれど、富本さんもそれなりに芸術的センスを抱えながら、九谷焼でも勉強されたそうで、その影響が九谷焼でも広がったという話を聞かせてもらったり、漆の世界でも、生活民具に学び、自分の芸術心も満たそうとする、芸術と生活を行ったり来たりしながら、自然に学びつつモノつくりをしてきた日本の人たちの流れ、というのを改めて知りました。
今の私たちは、もう自分たちの超絶技巧を披露する場合ではなくて、どんな風にして技巧を隠しつつ、その裏にどれだけの努力と歳月があるのか分からないままに、自然に使いたくなるものが求められている、そんな気がします。
何気ないモノなんだけど、実はすごいモノたちに囲まれてる生活、いいですね。私にもそういうモノをつくる技術があればなあ。身につけたいけど、何を作りたいのかも特にないし、そうした魂のないヤツは、いつまでも何も作れないですね。魂を自分の中に見つけなきゃなあ。