
★ いつもなら問題という形にできるのだけれど、今回は何だか無理な感じです。
17【子四を絶つ】……孔子は常人の陥りやすい四つのものを絶ち切って、きわめて円満であった。
問題がないように見せかけておいて、これは何? という形でまとまればいいんですけど、いつもの見切り発車ですね。少し不安だし、妻は雨の夜に出かけていて、迎えに行かなきゃいけない私は、何だか落ち着きません。
とりあえず、スタートしてみましょう。孔子さんが絶った4つとはなんでしょう?
お酒は飲まれないでしょうね。女はあまり興味ないでしょうね。私も興味ないです。出世は、放浪している間に、たくさんの弟子に囲まれて、どこの王様も、自分を採用してくれそうにないし、本来出世という考えを持っていなかったでしょう。
国家に、徳のある政治を広めたくて、それができる国を求めたわけだから、世の中を見る目がなかったといえばなかったのかもしれない。でも、広い中国だから、どこかに自分の話を聞いてくれる王様がいて、採用してくれる人がいると信じた。信じて14年間、各地を歩いたわけです。
これが不思議です。孔子先生くらい立派な方なら、先が読めても言いわけです。社会がどうなっているのか理解できなかったのではないと思います。

孔子先生は、最初っから、自分を採用してくれる人はいないと知っていたら、どうなるんでしょう。それでも付き従う弟子がいたり、各地に迎えてくれる人たちがいたら、ぜひその人たちを訪ねて、あれこれ話をしてみたいと思われたのかもしれない。
そして、各地の人とのふれあいの中で、弟子たちを育て、ことばを残し、中国という大地を周遊した。就職が目的ではなくて、旅そのものが目的だとしたら、それは大成功だっただろうし、孔子先生の勉強になったでしょうね。私はそういうことをしなさいと言われたら、やはりどこかで疲れてしまったと思います。根気が続きません。やはり強い精神力があるから、ずっと放浪十数年が可能だった。
というわけで、孔子先生が求めているものはわかりました。人を育てること・地域を落ち着かせること・思いやりのある社会が生まれること・文化が各地に広がることだったでしょう。
その実現のために、ずっと70ちかくまで放浪をした。ということは、私が孔子先生になりたければ、今からすぐ放浪しなくてはいけませんが、私にはお弟子さんはいないし、話は下手だし、家族がいないとやっていけないし、つくづく私には無理です。もちろん根性もありません。

「子四を絶つ。意毋(な)く、必毋く、固毋く、我毋し。」〈子罕〉
答えを見ても、わかりませんね。「意・必・固・我」って何でしょう?
「我」はわがままでしょうか。「固」って、ガチガチになるということ、頑固さ、そういうのが無かった。先生はわりとしなやかな考え方をお持ちだった。前の2つは何でしょう?
「意」は自分勝手な考え方、自己満足・自己完結の意志を捨てて、他人を立てる考え方に立つようにしたということでしょうか。口で言うのは簡単だけど、なかなかムズカシイことです。
「必」って、何でしょう? 必要・必須・必然など、こうあらねばならないという価値観みたいなものでしょうか。そうした意志の強さ・押しの強さは大切ですよね。それを孔子先生は捨てたというのですか?
何だか不思議な感じです。意志と強い使命感と粘り強さと自分を信頼する気持ち。すべて孔子先生の持ち味ではないですか。それを先生は「捨てた」と言われている。

微妙なことなのかもしれません。捨てたと言われている4つは、人から見たら、先生はある程度お持ちではないのかと見えるけれども、微妙なところで違っていて、ちゃんと人の話を聞き入れ、客観的な視点も持ち合わせ、頑固にならずしなやかで、決してワガママにならない。
そういうふうに先生は心がけておられた。私のような凡人には無理なことで、せいぜいそれらから距離を置いて生きていきたいと祈るばかりです。私は、すぐ自分の思い込みで失敗をし、自分が楽できることを思い、人の話を聞かなくてもいいところにポジションを取り、自己満足の世界でふくれあがっています。ああ……。

[答え] 孔子さんが捨てた4つとは……1・主観的な私意。 2・何が何でもやり通そうと無理押しすること。 3・頑固に自分を守り通そうとするかたくなさ。 4・自分の事だけを考える我執(がしゅう)。
17【子四を絶つ】……孔子は常人の陥りやすい四つのものを絶ち切って、きわめて円満であった。
問題がないように見せかけておいて、これは何? という形でまとまればいいんですけど、いつもの見切り発車ですね。少し不安だし、妻は雨の夜に出かけていて、迎えに行かなきゃいけない私は、何だか落ち着きません。
とりあえず、スタートしてみましょう。孔子さんが絶った4つとはなんでしょう?
お酒は飲まれないでしょうね。女はあまり興味ないでしょうね。私も興味ないです。出世は、放浪している間に、たくさんの弟子に囲まれて、どこの王様も、自分を採用してくれそうにないし、本来出世という考えを持っていなかったでしょう。
国家に、徳のある政治を広めたくて、それができる国を求めたわけだから、世の中を見る目がなかったといえばなかったのかもしれない。でも、広い中国だから、どこかに自分の話を聞いてくれる王様がいて、採用してくれる人がいると信じた。信じて14年間、各地を歩いたわけです。
これが不思議です。孔子先生くらい立派な方なら、先が読めても言いわけです。社会がどうなっているのか理解できなかったのではないと思います。

孔子先生は、最初っから、自分を採用してくれる人はいないと知っていたら、どうなるんでしょう。それでも付き従う弟子がいたり、各地に迎えてくれる人たちがいたら、ぜひその人たちを訪ねて、あれこれ話をしてみたいと思われたのかもしれない。
そして、各地の人とのふれあいの中で、弟子たちを育て、ことばを残し、中国という大地を周遊した。就職が目的ではなくて、旅そのものが目的だとしたら、それは大成功だっただろうし、孔子先生の勉強になったでしょうね。私はそういうことをしなさいと言われたら、やはりどこかで疲れてしまったと思います。根気が続きません。やはり強い精神力があるから、ずっと放浪十数年が可能だった。
というわけで、孔子先生が求めているものはわかりました。人を育てること・地域を落ち着かせること・思いやりのある社会が生まれること・文化が各地に広がることだったでしょう。
その実現のために、ずっと70ちかくまで放浪をした。ということは、私が孔子先生になりたければ、今からすぐ放浪しなくてはいけませんが、私にはお弟子さんはいないし、話は下手だし、家族がいないとやっていけないし、つくづく私には無理です。もちろん根性もありません。

「子四を絶つ。意毋(な)く、必毋く、固毋く、我毋し。」〈子罕〉
答えを見ても、わかりませんね。「意・必・固・我」って何でしょう?
「我」はわがままでしょうか。「固」って、ガチガチになるということ、頑固さ、そういうのが無かった。先生はわりとしなやかな考え方をお持ちだった。前の2つは何でしょう?
「意」は自分勝手な考え方、自己満足・自己完結の意志を捨てて、他人を立てる考え方に立つようにしたということでしょうか。口で言うのは簡単だけど、なかなかムズカシイことです。
「必」って、何でしょう? 必要・必須・必然など、こうあらねばならないという価値観みたいなものでしょうか。そうした意志の強さ・押しの強さは大切ですよね。それを孔子先生は捨てたというのですか?
何だか不思議な感じです。意志と強い使命感と粘り強さと自分を信頼する気持ち。すべて孔子先生の持ち味ではないですか。それを先生は「捨てた」と言われている。

微妙なことなのかもしれません。捨てたと言われている4つは、人から見たら、先生はある程度お持ちではないのかと見えるけれども、微妙なところで違っていて、ちゃんと人の話を聞き入れ、客観的な視点も持ち合わせ、頑固にならずしなやかで、決してワガママにならない。
そういうふうに先生は心がけておられた。私のような凡人には無理なことで、せいぜいそれらから距離を置いて生きていきたいと祈るばかりです。私は、すぐ自分の思い込みで失敗をし、自分が楽できることを思い、人の話を聞かなくてもいいところにポジションを取り、自己満足の世界でふくれあがっています。ああ……。

[答え] 孔子さんが捨てた4つとは……1・主観的な私意。 2・何が何でもやり通そうと無理押しすること。 3・頑固に自分を守り通そうとするかたくなさ。 4・自分の事だけを考える我執(がしゅう)。