今日も15分の中国の国道381号線をヒッチハイクする番組を見ました。とても乾燥していて、険しくて、木はなくて、人々を隔ててきたのがわかる酷道の沿線風景です。気分を伝えるために中国人ディレクターはところどころで歩いています。
いつも通りに歩いていると、甘粛省からチベットに移住してきた夫婦のクルマに乗せてもらいました。チベットによそから移住してきた人たちには一人ずつに毎月政府から手当てが出るそうで、さらにチベットでお仕事でもすれば、まるまるの儲けになるようでした。だからなおさら、チベット以外のところから政府のお金を目当てに移籍する人たちが続いていく。
手当がいつまで出るのか、はたして彼らはチベットに対する土地愛があるのか、私にはわかりませんでした。ほんの15分の番組ですし、ただクルマに乗せてもらっただけだから、この夫婦の本音はわかりません。それが旅のディレターの聞いた声ではありました。
この番組が、中国で作られているのか、NHKによって作られているのか、どれだけの真実がつかめるというのか、はたして真実とは何か、つかめませんでした。
やがてチベットにしては珍しく開けたところに出て、川も蛇行して土地を潤しているような感じの町に出ました。町から七千メートル級の山も見えています。ここで弓の祭りが行われているようでした。
といっても、射撃が目的ではなく、音のなる矢でした。弓はどちらかというとアーチェリーに近い形のものでした。けれども、昔は戦いに使われたかもしれない弓矢も、今ではどれだけ的にはなばなしく当たったかを競うもので、当たればお酒をいただき、それでみんなが幸せになる、そういうお祭りのようでした。
これは戦いではなくて、みんながお互いをたたえ合う、お互いを認め合う、ただの酒盛りではなくて、紳士としてのお祭りのようで、中国人ディレクターは、私なんかは都会に住んで、隣にだれが住んでいるかも知らず、言葉も交わさず、個々に生きているのに、なんとチベットの人たちのおおらかなことよと感心しているコメントがありました。素直な気持ちだったでしょう。
中国の都会に住む人だけではなく、現代人の誰もが孤独に生き、お互いに干渉し合わずに、それぞれが自分の納得するように生きているけれども、どこか支え合いが足らないと感じる不安、それを訴えたに過ぎない場面でした。
そこで彼は、孔子さんのことを教えてくれて、私はあわてて『論語』を開かねばならなくなりました。八佾編(はちいつへん)に乗っていることばでした。
子の曰わく、「君子は争う所なし。必らずや射(しゃ)か。揖讓(ゆうじょう)して升(のぼ)り下(くだ)り、而(しか)て飲ましむ。その争いは君子なり。
先生が言われました。「情け深い教養人というのは争わないのです。もし戦いがあるとすれば、それは弓争いくらいでしょう。それにしても、会釈をして譲り合って、お辞儀をして上り下りし、やがてお酒を飲みます。その争いは君子らしいものなのです。」〈八佾〉
ちょうど2500年前に孔子先生が言われていたことが、たまたま中国人ディレクター(彼は20年ほど日本にいたということでした)はチベットで目にすることができた。その通りのことが行われていた。まさか、信じられないような、夢のような景色ではあったのです。
昔のチベットのアーチェリーの写真はないかなと探したら、いくつかあったので借りてきました。
みんな弓をスポーツというよりも、何かの祭り、神様に見てもらうような、人々がこんなに興じ、騒いでいるのを見てもらうためにやっている姿、それはずっとあの大陸で行われてきたことのようです。
どんなに共産党政府がお金でつり上げ、コントロールしたところで、やがてはその管理もほどけていくことでしょう。すぐには終わらないけれど、いつかはまた昔のようになっていくはずです。それが自然なんだもん!
スギ花粉が猛然と舞う今日、たぶん、大したことはしません。だから、せいぜい身のまわりを片づけ、明日からに備えたいです。そして、どこかに遊びに行きたいです。お金はないし、花粉はイヤなんだけど、私の自然は、フラフラすることなんだと信じたいです。