今日も時間はあったんですけど、これはという決め手がありませんでした。お風呂に入っても、これといって思い浮かばなかった。
もうサッパリ、スッキリしたい。何だかモヤモヤする、みたいな気分でした。いろいろと家族のものは片づけることができるのに、いざ自分のものになると、何も片づけられなくなります。
冬になったら、少しは片づけられたりするんだろうか。少しだけ予感はあって、いろんなものをテキパキと捨てたりするイメージはあるんだけど、イメージ先行で、現実はどうなるんだろうな。
そんなこんなで、クリフ・リチャードさんの「恋はこれっきり」を思い出しました。サッパリしたかった、という気持ちからの連想かな。
♪It's so funny how we don't talk any more
タイトルがそのままサビというか、聞かせどころになっています。これだけ見ると、失恋の歌というのか、女の人にすがってる男、みたいな感じの歌でした。
1979年の秋、大音量で歌い、聞きしていたような記憶があります。まわりの人にはすごい迷惑な話でした。だから、すぐに音量を下げて、またシンミリ聞いたりもしましたっけ。
情けない男の歌なのに、明るいメロディで、軽やかにシンセサイザーの音がメロディを支えています。どうしてこんなに明るいんだろう。
女の子に、どうしてだよ、おかしいじゃないか。キミとボクが、もうお話しないなんてさ。そんなの無理だよ。ボクたちはずっと愛し合うって、決めたじゃないか。
そんなわがままな男の理屈が見えてきます。そういうのはたいていもう何度も境界線を越えていて、そんなことをしちゃダメというのを何度も彼女に感じさせていて、「もう、こんな男と一緒にはいられない」というのを突き付けてきた後だったのです。
でも、男は気づいていなかった。そんなすれ違いカップルによくある話を歌にしたみたいでした。今さらながら、何だかつまらない歌だったなあ、と思います。二十代の私には、そんな内容なんてあまり気にならず、おかしいよ、もっとしゃべろうよ、という男の理屈の方へ傾いていた気がします。
今の時代は、クリフ・リチャードさんが「恋はこれっきり」を歌う姿が簡単に見られるので、二三度はみてみました。優男(ヤサオトコ)が頼りなく歌っていて、こんなにしょぼくれたニイチャンの歌だったのだと、ものすごく落胆したものでした。
見なきゃいいのに、つい確認のために見てしまった。
そんなものなんでしよう。若い時、あんなに憧れ、何度も親しんだものは、時間の経過でコロッととてつもなくつまらなくなってしまう。そんなことがあるみたいです。「恋はこれっきり」は、そんな歌でした。
でも、何十年も前に、何度も何度も聞いた過去は消せなくて、当時はものすごく気に入っていたのです。だから、今はもうそれっきりになっていて、ちっともオーラみたいなのがないのです。それはもう悲しいくらいなんです。