以前の古本巡りは、岩波文庫から出ている幕末の外国人による日本の記録の本でした。それが落ち着いて安岡章太郎さんの「僕の昭和史」を探して、それから今は干刈あがたさんを探しています。探している割に、本を読むスピードが遅いので、たまっていくばっかりです。
古き良き日本を求めて、いろんな人が語る明治以前の日本の姿を探している(つもり)なんですが、なかなかイメージできません。でも、これは私のテーマみたいなものだから、少しずつ掘り起こしていくつもりです。
干刈さんは罪滅ぼしです。彼女が現役の時は、全く無視して、家族がテーマなんて、ばからしい、つまらないと、見向きもしませんでした。そういう自分こそバカモノでしたが、そうした自分を反省し、今さら遅いけれど、とにかく読もうとしています。まあ、私には何も見つけられないかもしれない。
奈良に行くのは、何となく楽しいからです。奥さんと2人でブラブラ歩くのは楽しいです。昨日も2人で歩きながら、昔はそれほど好きなわけではなかったねえと話しました。
確かに二十代のころ、奈良はキライではなかったけれど、2人で行くというほどではありませんでした。一通り、東大寺をお参りして、ハイ、終わりでした。だから、何年も遠ざかることがありました。でも今は、国立博物館には何もなくても休憩に入ったり、ナツのものすごく暑い時期にも特に目的がなくても行きますし、雑貨店めぐりで奈良町にもでかけます。自分たちの年齢に合った町になっているのかもしれない。
興福寺の国宝館に行きました。十二神将の板絵が最初にあって、実際は薬師如来像の周囲に置かれていたものだったということです。なかなかステキでした。そう、棟方志功さんの立体版でした。こちらの方が古いわけだから、棟方さんの芸術がたまたま似てしまったわけですが、新薬師寺やあちらこちらで十二神将像の造形物はありますが、それを平板にするときに、余計なものをそぎ落として、シンプルにした形がこれだったのです。
飛鳥の山田寺から本尊様を移動させ、飾っていたら、興福寺は度重なる火災で焼け落ちて、首から上だけになったお姿が何年か前に見つかって、それを大阪万博の時に、日本館で展示するとかしないとか、たぶん展示したと思われます。そんな変転を経験されてはいるけれど、とてもスッキリと何物にも乱されない、静かなお顔で、これまた感心してしまいます。これは銅造のホトケさまでした。
十大弟子像もすべてがそこにおられて、それぞれ思い思いのポーズ・表情で、涅槃像のまわりにおられた時にはただの泣いてる人々だけれど、1人ひとりのキャラとして取り出されると、りりしかったり、泣き虫だったり、力強さを心に秘めていたりしています。まるで人間そのもので、みんなで強い信仰心を表現しています。
千手観音像は昔からある大きなホトケさまで、あまりに大きいので、その大きさに圧倒されるわけですが、今回はこの興福寺の国宝館は昔はお寺の食堂(じきどう)だったそうで、つい何年か前まではお寺と同じでエアコンはないし、冬は寒いし、夏は風だけが頼りだったところですが、近年リフォームされて、美術館みたいになっていますが、なんと食堂当時からずっとここに立っておられたというのを知りました。
美術館の展示品ではなくて、朝夕に僧たちが見上げるご本尊だったというのです。そりゃ、とても立派な木のホトケ様で、ありがたいのは確かなのです。そのホトケさまが、ずっとこちらにおられたのがビックリで、お賽銭を入れてお参りする女性もいました。確かにその通りで、お参りされるべきでした。でも、つい鑑賞モードになっている私は、お参りよりも鑑賞になってしまった。
その千手観音さんの真正面に阿修羅像がおられます。左右には仲間たちの八部衆がいて、みんなで仏教の守護をしている。こちらは十大弟子の群像とはちがって、割と無表情というのか、敵に向かうお姿なので、クールで強いものをみんなが隠していて、どんなことがあっても負けない魂が感じられます。
さて、私はとても満足して、国宝館を出ようとしました。すると、中学生の修学旅行の団体さん(川口市の中学校みたいでした)がバスで三台ほど乗り込んできて、間一髪セーフで、この子らが押し寄せたら、中は騒然とした雰囲気になったところです。でも、私たちはなんとか静かに鑑賞できて(参拝ではなかったですね)、それはよかった。
このあと、私たちはトイレを探して奈良県庁に向かいます。というのも、屋上から外が見られるというのを聞いていたので、そこから外を見たかったからなんです。
古き良き日本を求めて、いろんな人が語る明治以前の日本の姿を探している(つもり)なんですが、なかなかイメージできません。でも、これは私のテーマみたいなものだから、少しずつ掘り起こしていくつもりです。
干刈さんは罪滅ぼしです。彼女が現役の時は、全く無視して、家族がテーマなんて、ばからしい、つまらないと、見向きもしませんでした。そういう自分こそバカモノでしたが、そうした自分を反省し、今さら遅いけれど、とにかく読もうとしています。まあ、私には何も見つけられないかもしれない。
奈良に行くのは、何となく楽しいからです。奥さんと2人でブラブラ歩くのは楽しいです。昨日も2人で歩きながら、昔はそれほど好きなわけではなかったねえと話しました。
確かに二十代のころ、奈良はキライではなかったけれど、2人で行くというほどではありませんでした。一通り、東大寺をお参りして、ハイ、終わりでした。だから、何年も遠ざかることがありました。でも今は、国立博物館には何もなくても休憩に入ったり、ナツのものすごく暑い時期にも特に目的がなくても行きますし、雑貨店めぐりで奈良町にもでかけます。自分たちの年齢に合った町になっているのかもしれない。
興福寺の国宝館に行きました。十二神将の板絵が最初にあって、実際は薬師如来像の周囲に置かれていたものだったということです。なかなかステキでした。そう、棟方志功さんの立体版でした。こちらの方が古いわけだから、棟方さんの芸術がたまたま似てしまったわけですが、新薬師寺やあちらこちらで十二神将像の造形物はありますが、それを平板にするときに、余計なものをそぎ落として、シンプルにした形がこれだったのです。
飛鳥の山田寺から本尊様を移動させ、飾っていたら、興福寺は度重なる火災で焼け落ちて、首から上だけになったお姿が何年か前に見つかって、それを大阪万博の時に、日本館で展示するとかしないとか、たぶん展示したと思われます。そんな変転を経験されてはいるけれど、とてもスッキリと何物にも乱されない、静かなお顔で、これまた感心してしまいます。これは銅造のホトケさまでした。
十大弟子像もすべてがそこにおられて、それぞれ思い思いのポーズ・表情で、涅槃像のまわりにおられた時にはただの泣いてる人々だけれど、1人ひとりのキャラとして取り出されると、りりしかったり、泣き虫だったり、力強さを心に秘めていたりしています。まるで人間そのもので、みんなで強い信仰心を表現しています。
千手観音像は昔からある大きなホトケさまで、あまりに大きいので、その大きさに圧倒されるわけですが、今回はこの興福寺の国宝館は昔はお寺の食堂(じきどう)だったそうで、つい何年か前まではお寺と同じでエアコンはないし、冬は寒いし、夏は風だけが頼りだったところですが、近年リフォームされて、美術館みたいになっていますが、なんと食堂当時からずっとここに立っておられたというのを知りました。
美術館の展示品ではなくて、朝夕に僧たちが見上げるご本尊だったというのです。そりゃ、とても立派な木のホトケ様で、ありがたいのは確かなのです。そのホトケさまが、ずっとこちらにおられたのがビックリで、お賽銭を入れてお参りする女性もいました。確かにその通りで、お参りされるべきでした。でも、つい鑑賞モードになっている私は、お参りよりも鑑賞になってしまった。
その千手観音さんの真正面に阿修羅像がおられます。左右には仲間たちの八部衆がいて、みんなで仏教の守護をしている。こちらは十大弟子の群像とはちがって、割と無表情というのか、敵に向かうお姿なので、クールで強いものをみんなが隠していて、どんなことがあっても負けない魂が感じられます。
さて、私はとても満足して、国宝館を出ようとしました。すると、中学生の修学旅行の団体さん(川口市の中学校みたいでした)がバスで三台ほど乗り込んできて、間一髪セーフで、この子らが押し寄せたら、中は騒然とした雰囲気になったところです。でも、私たちはなんとか静かに鑑賞できて(参拝ではなかったですね)、それはよかった。
このあと、私たちはトイレを探して奈良県庁に向かいます。というのも、屋上から外が見られるというのを聞いていたので、そこから外を見たかったからなんです。